実熊 秀史

2022年3月26日に投稿を開始してから、昨日(2023年9月26日)までで550日の…

実熊 秀史

2022年3月26日に投稿を開始してから、昨日(2023年9月26日)までで550日の連続投稿となりました。飽きっぽい性格なので、1年半も続いているものだと、我ながら、驚いています。主に読書メモを書いてきましたが、今後は、これに拘らずに、種々のことを投稿していくつもりです。

最近の記事

  • 固定された記事

パソコン歴について

#いま始めたいこと 私は、新しもの好きだったので、PC-6000というパソコンが1980年代の始めに売り出されたときに、すぐに手が出ました。 ただし、このパソコンは、BASICというプログラムを入力しなければ、ただの箱にしかすぎないので、しばらくは、出来合いのプログラムをそのままなぞっていると、テトリスやシューターなどのゲームが作れたので、夢中になっていました。 ところが、自分でプログラムを開発する気持ちと能力がなかったために、すぐに挫折してしまい、しばらくはパソコンか

    • 11日の大味な試合と違って12日は才木投手が0対1の完封勝ちで一人で投げ切ってくれた。 心配症の阪神ファンとしては、2022年の開幕戦で8点差を逆転されてからの怒涛の9連敗というのが、トラウマとして残っているだけに、昨日の試合に注目していた。 さすがの才木投手でした。サンキュー

      • 意識と無意識

        今回は、茂木健一郎著『無意識の鍛え方』を参照して、意識と無意識について考えます。 意識と無意識の違いとして、意識は順列的(一つひとつ順を追って行う)であるが、無意識は、並列的にいろいろなことを処理できる。 【余談:パソコンでいえば、パーソナルコンピューターは順列的であり量子コンピュータは並列的だと言われている。】 意識下の処理は、前頭前野を中心に行われるのに対して、無意識は、小脳、脳幹、大脳辺縁系といった、脳のあらゆる回路全体で行っている。 近年では腸と脳との関連性が明

        • 脳と記憶

          不思議なことと思っているのは、脳は物質なのに脳に意識が生まれるのは何故かでした。 脳科学者の茂木健一郎氏は、「神経細胞1個取り出して培養しても、われわれが知っているような人間の意識は生じない。何故なら、神経細胞の関係性を通して、意識は生まれるから、と断言しています。 これは現代科学の最大の謎の一つであり、中々解明には至らないようです。 一方、記憶は、どのように存在するのかは解明されつつあると言う。 なんと、最近の研究では、記憶の種類によって保存される脳の場所が異なるこ

        • 固定された記事

        パソコン歴について

        • 11日の大味な試合と違って12日は才木投手が0対1の完封勝ちで一人で投げ切ってくれた。 心配症の阪神ファンとしては、2022年の開幕戦で8点差を逆転されてからの怒涛の9連敗というのが、トラウマとして残っているだけに、昨日の試合に注目していた。 さすがの才木投手でした。サンキュー

        • 意識と無意識

          クオリアと人工意識

          今回は、茂木健一郎著『クオリアと人工意識』に基づいて、意識について学びます。タイトルは人工知能の誤植ではなく、人工意識です。 茂木氏の師匠である伊藤正男氏のさらに師匠にあたる師匠さんが、シナプスにおける情報伝達のメカニズム、とりわけ「抑制性シナプス」の研究で1963年にノーベル生理学・医学賞を受けたオーストラリアの神経科学者、ジョン・エックルスだった。 エックルス氏は、電極を脳に刺し、神経細胞の活動を拾う「電気生理学」という、神経科学の中でも最も王道となる、しかし地道で手

          クオリアと人工意識

          カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第二篇 第七章~第十ニ章 読書メモ

          カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第二篇 第七章~第十ニ章に目次をつけたものを再掲載します。 第二巻 資本の流通過程第二篇 資本の回転第七章 回転期間と回転度数与え られ た 一 資本 の 総 流 動 期 間 は、その流通期間とその生産期間との和に等しい。それは、一定の形態における資本価値の前貸しの瞬間から、同一の形態における過程進行中の資本価値の復帰に至るまでの期間である。 資本主義的生産の規定的目的は、つねに前貸価

          カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第二篇 第七章~第十ニ章 読書メモ

          「意識の謎」について

          これまで、意識については「量子力学で生命の謎を解く」と「心ー意識ー認識ー言語」などを投稿しましたが、今回も意識がテーマです。 そもそも意識という言葉は仏教用語からきていました。 人の感覚器官または感覚能力(根)には、眼・耳・鼻・舌・身・意(こころ)と、その対象(境)には、色・声・香・味・触・法がある。 さらに、根と境の接触によって生じる識(認知)には、眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識がある。 ということで、この意識は、仏教用語ということになります。 哲学では、ヘー

          「意識の謎」について

          「ことば」とは何か?(続)

          2024年5月5日に投稿した「ことば」とは何か?で竹田青嗣氏は、言語の本質について解明しているの記述しましたが、どのように解明したかについては省きましたので、今回は、記述することとします。 竹田は現象学的還元の方法で解明できると述べる。 「超越論的還元」の基本的な方法とは、対象存在の客観的な実在性をいったんエポケー(対象の実在を前提とせずに判断停止すること)し、意識内事象と対象の関係についての「原因と結果」を逆転させる変更を行うということです。 竹田はこの方法で言語現象

          「ことば」とは何か?(続)

          無駄話しです

          このところ、煮詰まってきていたので、Pythonというプログラミングに手を出しているということを、以前の投稿で呟きました。 プログラミングとなれば、論理学に関連するので、これまで触れることになかった、言語哲学の分野を勉強することになり、ドツボにはまってしまった感がある。 現象学という学問に数年前から興味を抱き始めたのですが、現象学の創始者フッサールは、元々数学者であり、論理学とは切っても切れない仲であったので、逃れられないことではあった。 現象学は、看護や介護などのケア

          無駄話しです

          「ことば」とは何か?

          「ことば」について、哲学者苫野一徳氏がVoicyで解説していた。これによると師匠の竹田青嗣が『言語的思考へ』で言語の本質について解明されているということでした。 2024年4月26日付で投稿した記事ウィトゲンシュタインと言語哲学(分析哲学)では言語の数学化を目指していた論理実証主義者の起点となった前期ウィトゲンシュタインの理論は後期ウィトゲンシュタインによって否定されたと記述しました。 現実世界と言語世界が厳密に対応するということを前提にすると、そこに無数のパラドクスやア

          「ことば」とは何か?

          「ラッセルのパラドクス」について

          以前の投稿記事プログラミングと論理学でフレーゲが構想した論理主義はラッセルにより矛盾を指摘されて挫折したと記述しました。その矛盾は「ラッセルのパラドクス」と称されていた。 フレーゲは、自身が構築した述語論理を算術においても還元できるもの考えていたが、実は述語論理の体系だけでは不十分だった。 というのは、算術的命題をすべてカバーするだけの表現能力を獲得する必要があった。そのためには、命題関数に変項に個体だけでなく命題関数それ自体も入れなければならなかったからです。 たとえ

          「ラッセルのパラドクス」について

          フッサール現象学が成立するまでの過程

          フッサール現象学が成立するまでの過程を榊原哲也共著『現代に生きる現象学 ー意味・身体・ケアー』に基づいて学びます。 フッサールは、「数」の概念を「数える」という心理的作用から考えた。 そのとき、手がかりにしたのは、ブレンターノの〈心理現象は内容ないし対象への志向的関係をもつ〉という思想であった。 たとえば、リンゴ、ミカン、バナナなどを一つ、一つ、一つと数えることによって数(この場合は3)の概念が成立すると考えた。数えるという心理作用がもつ、諸内容(リンゴ、ミカン、バナナな

          フッサール現象学が成立するまでの過程

          カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第一篇 第五章、第六章 読書メモ

          カール・マルクス 著『資本論 』読書メモ(1)~(172)をすでに投稿済ですが、第二巻 第一篇 第五章、第六章に目次をつけたものを再掲載します。 第二巻 資本の流通過程第一篇 資本の諸変化とそれらの循環第五章 流通期間生産 部面 と 流通 部面 との 二 段階 を 通る 資本の運動は、すでに見たように、一つの時間的順序をもって行われる。生産部門における資本の滞留の期間は、資本の生産期間をなし、流通部面におけるそれは流通期間をなす。したがって、資本がその循環を描く全期間は、生

          カール・マルクス 著『資本論 』第二巻 第一篇 第五章、第六章 読書メモ

          文化系トークラジオLife「ややスピ!?~令和的スピリチュアルを考える」を聴きました

          二ヶ月に一回放送される番組を今回も視聴しました。TBSラジオで29日深夜1時から放送された番組ですが、28日に補欠選挙があったので、YouTubeで選挙結果を伝えている番組を一通り観て、他の番組を探していたら、この番組にヒットしたので、前回に引き続いて視聴することになった。 著作権にかかわるため、YouTubeでは出演者がリクエストする曲はカットされるので、その場合は、Radikoで聴いていました。 この番組は、出演者が様変わりしていて、男性2名、女性5名と、昔と真逆の構

          文化系トークラジオLife「ややスピ!?~令和的スピリチュアルを考える」を聴きました

          プラトンの『パイドン』にある「哲学することは死の練習である」について

          もはや、77歳だというのに、何で、胸にモヤモヤとしたものがあるのだろう。 意識というものがあることは、確信できるが、それが、胸にあるのか、脳にあるのか、それとも身体全体にあるのかは、脳神経科学でさえ、分かっていないことなので、「胸にモヤモヤ」という表現を仮に使った。 私と同年齢である哲学者中島義道氏は、数々の書籍を刊行し、大学教員を務めあげ、実績も十分に積み上げてきた人でさえ、[私は哲学しているのか?」という問うと「していない!」]と答えるようです。 そんな中で、プラト

          プラトンの『パイドン』にある「哲学することは死の練習である」について

          1960年代前半と後半の学生運動について

          昨日は、スピノザについての國分功一郎氏の解説の要約を4千字以上の記事を投稿したので、今日はいささか虚脱状態です。 投稿記事のネタは、基本的には読書した本の中から、触発されたことを書いていくというスタイルを保っています。 今回は、どんよりとした状態なので、軽く以前読んだことのある「大江健三郎と柄谷行人の対談」本を取り上げます。 定年退職後に、マルクスの資本論を学びたくなり、古本屋で『資本論』をまとめ買いしました。しかし、まったく内容が理解できずに、挫折を繰り返していた。

          1960年代前半と後半の学生運動について