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哲学:現代思想の問題点➀カント

§0 序
 なるべく、一般の方にも伝わるように話したい。今回、哲学を専門としない人たち向けの話だが、哲学を学んだ事がある方もぜひ読んで欲しい。我々が普段考えている事が、どれだけ哲学の影響を受けているのか、見て欲しい。
 現代思想の問題点と題したので、主な論点はカント(注1)以降の話に限りたい。カント以前は、必要に応じて、触れる程度にしたい。哲学史ではなく、現代思想の問題点を伝えたい。
 故に小論文(dissertation)となる。論文ではない。研究者なら、気になる細かい論点もあるかも知れないが、今は触れないでおく。

§1 イマヌエル・カント(1724~1804)
 
カントの『純粋理性批判』(注2)という本がある。有名な哲学書だ。人間は、肉体の感覚器官で、物や事を把握するので、物自体は分からない。
 人間は起きている現象のみ把握できる。だから学問は、現象のみを取り扱うべきであり、それ以外は学問の対象とすべきでないとした。神や霊魂、霊界などが、学問の対象外とされた。
 学問は、現象界のみを扱い、叡智界は扱わない。これがカントの『純粋理性批判』からの提案だ。
 だがカントは、物自体の存在は否定していない。現象の背後には物自体がないと、現象の原因が説明できないので、叡智界の存在までは否定していない。ただし不可知とした。
 これを一種の無神論と取られる事を恐れたカントは、『実践理性批判』(注3)を書く。普遍的な道徳法則と、内なる確律に基づき、神の存在を要請するとした。
 『純粋理性批判』では、神の存在証明は、論理的にできない。不可能とカントは言っているが、『実践理性批判』では、神の存在証明はできないとしながらも、神の存在は、道徳的に必要で、その存在を要請した。
 結果、「単なる理性の限界内としての宗教」(注4)という文言が誕生した。これはもう現代思想だろう。以下、要約を示す。

 動物的な被造物として造られた我々は、この星で生を受け、自らを構成する物質を、いつかこの星に返さなければならない。だがその人格において、道徳律を立てる事によって、動物性に依存しない人生が開示される。
 神は、純粋理性で、その存在を証明する事ができないが、実践理性によって、道徳の根源として、その存在が求められる。

 現代人には受け入れ易いだろう。「単なる理性の限界内としての宗教」という議論は、道徳は必ず宗教に至る、というカントの信念に基づいている。理性宗教、理性の崇拝だ。
 キリスト教など、啓示宗教が存在するにも関わらず、カントは上記発言をしたため、現代では誤解されやすい状況に陥った。無論、カントはキリスト教徒である。
 『実践理性批判』の序言を読むと、カントは宗教裁判にかけられる事を恐れていた可能性がある。あるいは、『純粋理性批判』だけでは不味いと感じたから、書いたとも取れる。
 ガリレオ・ガリレイ(注5)が宗教裁判を受けたのは、1633年だ。カントの時代から150年前の話だが、まだ教会を脅威に感じていたのかもしれない。
 神の存在証明はできないとし、神は学問の対象から外すべきだと説いたカントは、神を信じていた。キリスト教徒として生涯を全うしている。無神論者ではない。カントは、神について、語ってはならないとは説いていない。
 だがカントの提案は、彼の意図を大きく超えて、現代に伝わり、言論を支配している。誤解だ。
 
 カントは神秘的なものに関心もあった。同時代人に、エマニュエル・スェーデンボルグ(注6)という人がいる。巨大霊能者で、幽体離脱して、魂だけで、火星や金星など、他の天体に行き、宇宙人と話した。あるいは、あの世について克明に語る人だった。
 18世紀の西欧社会で、霊界だけでなく、宇宙まで行き、それについて克明に語る人というのは衝撃的だった。スェーデンボルグは、ある時、スェーデン女王から直接テストされ、疑いをクリアしている。
 カントはこの人に強い関心を持ち、何とか会おうとしたが、断られていた。
 スェーデンボルグは、50代で霊能者となったが、それ以前の人生で、すでに科学者として、名声を獲得していた。そのため、当時まだ無名で、若かったカントが、相手にされなかったのは、無理もない。なおこの時代まで、学術論文は、ラテン語で書いていたが、ちょうどカントが台頭する辺りで、国際学術語としてのラテン語は廃れ始めた。
 スェーデンボルグは、ラテン語で多くの著作を残している。数学、物理学、鉱物学、化学、冶金、地質学、結晶学だ。特に結晶学で功績を上げた。霊的な話も、ラテン語で書いているが、母語であるスェーデン語もある。
 そしてカントは、ドイツ語で、『視霊者の夢』(注7)という本を書いた。相手にされなかった腹いせか、スェーデンボルグを批判している。だがそういう世界がないとも言っていない。分からないと言っている。
 時代のせいか、言語のせいか、スェーデンボルグの著作はあまり広がらず、カントの著作の方が後世、広がった。難解さで言えば、カントが上で、スェーデンボルグの話の方が分かり易い。だが後世、評価は逆転した。
 カントは、霊的なものを、軽視していた傾向はあるものの、完全に否定して、敵対的な態度を取っていた訳ではない。カントが敵対的な態度を取ったのは、ユダヤ人で、明確な反ユダヤ主義者だった。今の国連の元ネタとなった『永遠平和のために』(注8)でも、カントはユダヤ人が、国連に入る事は想定していないだろう。
 カントのユダヤ人問題は、全体から見れば、些末な事に見える。ドイツ観念論にも、影響を与えていないかもしれない。後世起こるナチズムの勃興とも、関係がないかも知れない。
 だがカントがそう言ったという事実は、印象に残るし、影響力はある。これは政治的発言で、哲学的問題ではないと言う人もいるが、言論として無視はできない。
 
 カントが、自らの哲学を立てる上で、注意を払っていたのが、当時の科学で、ニュートン(注9)の『プリンキピア・マテマティカ』(注10)を読んで、ニュートン力学の哲学的根拠として、『純粋理性批判』を書いた側面がある。カント哲学とニュートン力学はセットで、相互に理論を補完している。これも言論を支配した。
 ニュートンは、絶対時間と絶対空間の概念を定めた。これが現代人の世界観に大きく影響を与えていて、人間を時計のある世界に閉じ込めた。本来、人間は時計のない世界から来ている。だがニュートンが、時間と空間があると言い、それは量れるものとしてから、時計の外にいる人は、社会の外側にいる人となり、時計が社会を支配した。
 これを迷妄と取るか、進歩と取るか、判断の難しい処だ。だがこの星に住むほぼ全ての人が、時間と空間の概念を持っている。これは凄い事だ。重力も同じだ。物が地面に落ちる事を重力のせいだと考える。皆ニュートンに染まってしまった。だから魔女が箒に乗って、空を飛ぶとか、在り得ない話になった。全てニュートン力学の浸透だ。
 理解の度合いは異なっても、この星の住人は、ほぼ全てニュートン力学を受け入れ、基礎概念を理解している。時間と空間があり、重力が働いている。現代人は無条件で信じている。この科学信仰は凄いものがある。だがエジプトのピラミッドはどうやって作ったのか、ニュートン力学では解き明かせない。説明が不可能だ。神秘だ。
 魔術師がいて、重たい石を浮かせて、ピラミッドを作る。これは空想で、オカルトだとされている。
 理由は簡単で、ニュートン力学に反するからだ。だがニュートン力学が、全てを説明できる訳ではない。地球上で暮らす上で、最も便利な理論だから、皆信じている。ただそれだけだ。だから別の理論が生じて、そちらの方がよりよく説明できるなら、人々はそちらの方を信じるかもしれない。だが今の処、そういう理論もない。
 現代の土木建築でも、エジプトのピラミッドは建築不可能だと言われている。だが現に存在しているので、説明できる別の理論が必要だろう。ニュートン力学に反するからと言って、エジプトのピラミッドは消えたりしない。人々は空想を逞しくしつつ、ニュートン力学に甘んじる。時間、空間、重力の三次元空間に。
 これは社会が近代化する上で、止むを得ない面もあったと思うが、失ったものも少なくない。古代哲学では、永遠という概念があり、時間の外という考え方があった。ニュートン力学以降、哲学の中で、永遠は考えられなくなり、学問は永遠を取り扱わなくなった。だが近年、宇宙の外側という考えが出てきて、永遠は再び意識されてきた。
 ニュートン力学は、世界を狭い箱庭に閉じ込めて、計測するので、間違いが少ない便利な理論だった。これについては、功罪がある。ニュートンが作った世界観は、現代人の意識に完璧に浸透している。常識の常識だ。だがニュートン以前では、そんな世界観はなかった。だから魔女は、箒に乗って空を飛ぶと信じられていた。神秘だ。
 中世の魔女狩りというのは、行き過ぎたオカルトの一環だろう。常識が魔女を殺す。だからニュートン力学が現われて、完璧に世界に浸透した時、魔女狩りは止んだ。魔女なんていないから、そもそも在り得ない話になった。
 近代に、ニュートンが現われた事が、現代文明では、一番影響が大きいかも知れない。これにカントが乗っかり、ドイツ観念論が、理性主義を推し進めた。無論、個々人では、それぞれキリスト教徒として、神を信じていた。だが、彼らの著作を読んだ後世の人たちは、神から遠ざかり、理性を信じる道を歩いた。啓蒙の時代だ。
 カントは、当時のあらゆる分野に目を配り、理性と道徳に基づいて発言した。これは啓蒙思想とも言われるが、物事を理性的に見る立場として、多くの人たちによって、推奨された。ここに一種の理性信仰が成り立っている事は、見逃せない。これがカントの意図を超えて、大きく動き出し、次の時代の流れを形成して行った。
 なおカントは、ケーニヒスベルクから、1789年のフランス革命を見ている。晩年に起きた政治的事件だったが、ナポレオンの台頭までは知っていた筈だ。カントが亡くなったのが1804年2月12日で、ナポレオンが皇帝に戴冠したしたのが、同年12月2日だ。カントはフランス革命の結末を知っている。だが纏まった著作を残さなかった。
 カントが推し進めた啓蒙主義、理性主義が、どんな結果を迎えたのか、フランス革命はその回答だった筈だ。だが政治は、また別次元だと考えられたのか、理性主義の危険性が指摘されないまま、人類は20世紀に突入した。
 20世紀がどれだけ残酷だったのか、言うまでもない。カントに従えば、理性の最も偉大な力は、構想力(Einbildungskraft)だと言われる。人間がものを作る根源的な力だ。20世紀は、この構想力で創造的だったが、極めて破壊的だった。
 
注1 Immanuel Kant(1724~1804)Deutschland
注2 『Kritik der reinen Vernunft』Immanuel Kant 1781
注3 『Kritik der praktischen Vernunft』Immanuel Kant 1788 
注4 『Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft』Immanuel Kant 1793
   『たんなる理性の限界内の宗教』カント著1793年
注5 Galileo Galilei(1564~1642)Italia
注6 Emanuel Swedenborg(1688~1772)Konungariket Sverige
注7 『Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik』Immanuel Kant 1766
   『形而上学の夢によって説明される霊視者の夢』匿名で出版 1766年
注8 『Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf』Immanuel Kant 1795
   『永久平和へ。哲学的草案』カント著1795年
注9 Sir Isaac Newton(1642~1727)  England
注10『Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica』Isaac Newton 1687
   『自然哲学の数学的諸原理』ニュートン著1687年

                              ②に続く

哲学:現代思想の問題点②ヘーゲル


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