そんそん

医者。ときどき映画監督とか、落語とか。キーワード:対話、共感、コミュニティ。あと、学び、アート、銭湯、つながり。単純に人が好き。でも、恥ずかしがり屋です。

そんそん

医者。ときどき映画監督とか、落語とか。キーワード:対話、共感、コミュニティ。あと、学び、アート、銭湯、つながり。単純に人が好き。でも、恥ずかしがり屋です。

    最近の記事

    リゾーム的に◯◯せよ!―ドゥルーズからの挑戦状

    さて、ドゥルーズである。 ここで「ドゥルーズじゃなくて、リゾームならドゥルーズ&ガタリじゃね?」と思われたあなた。通ですね。 でも、ここではドゥルーズとしておきます(理由は後で述べます)。 ジル・ドゥルーズとは何者か。これについては前回のブログを参照してほしい。 先月、ドゥルーズの晩年の作品『哲学とは何か』を読み終わった。 そして今、彼(ら)の代表作である『千のプラトー』を読んでいる。 そして、相変わらずドゥルーズにやられちゃっている。 その序章の最後には、まるで哲

      • 哲学も芸術も「抵抗」する:ドゥルーズ哲学と「内在平面」

        今、ドゥルーズにハマっている。 ポストモダンの哲学者には、フーコー、ドゥルーズ、デリダなどが挙げられるが、果たしてドゥルーズとは一体何者なのか。 「差異と反復」「アンチ・オイディプス」「千のプラトー」など、代表作の解説を読み流しても、一切頭に入ってこない。そもそも、本のタイトルがエッヂが効きすぎていて、判然としない。しかし、めちゃくちゃ気になってしまう。そんな哲学者ではないだろうか。 思い切って今、彼の晩年の著書であり、ドゥルーズ哲学の総決算とも言われる『哲学とは何か』

        • 鳥の劇場の戯曲『葵上』を観る:繊細さと滑稽さの絶妙なバランス

          鳥取市にある鳥の劇場で三島由紀夫の戯曲『葵上』を観た。 これが、この数年観た演劇の中で、ダントツに面白かったので所感を記しておきたい。 『葵上』は、三島由紀夫の「近代能楽集」に収められている作品で、もともとは源氏物語のお話であるが、それが能楽『葵上』となったものだ。 三島は、その能楽としての演目をさらに現代風にアレンジして、見事な戯曲として完成させた。 源氏物語の初出が1008年であるから、1000年以上の昔より語り継がれ、演じ続けられている古典であるにも関わらず、その内容

          • 『コールヒストリー』と交錯する〈声〉

            湯梨浜町の小さな映画館ジグシアターで、佐々木友輔氏の映画『コールヒストリー』を観た。 とても不思議な映画である。この映画の深みあるいは含蓄について、自分は未だ十分に咀嚼できていない。しかし、それは圧倒的な〈体験〉であった。 映画は、ある〈声〉の話から始まる。 映画は、都市伝説のような〈声〉の話をめぐり展開する。 そして場所はフクシマであり、震災後の今を生きる我々にとって、二重にも三重にも意味を重ねることができる場所である。 〈声〉をめぐる心象風景、それが菊地ゆき氏の「朗

            「ドライブ・マイ・カー」から学ぶ家庭医としてのスタンス

            村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』を読んだ。 小説を読むという体験は、密やかな楽しみだ。 小説あるいは文学というものは、一人称である「私」にとって人生の出来事はどういう意味を持つのかということを描いている。その一人称の世界、一般論の私ではなく、一人称の私にとっての世界を、読者である私も密やかに、共有するのである。 主人公の家福は、死んでしまった妻の過去の行動が理解できず苦しんでいる。 家福は首を振った。「いや、理解はできなかったな。彼が持ち合わせていて、僕が持ち合わせ

            秘密めいたシフトチェンジと生の内奥性―「ドライブ・マイ・カー」を読む

            村上春樹の『ドライブ・マイ・カー』を読んだ。 彼の小説を読むとき、心の深奥にある何かに触られるような気がする。 いつもは隠されている、密やかな感情、あるいは覆われている生の真実めいた姿が、淡々とした筆致の運びの中で、いつしかむき出しに露わにされてしまう。 家福は彼の言ったことについてしばらく考えた。そして言った。「でもそれはあくまで一般論だ」 「そのとおりです」と高槻は認めた。 「僕は今、死んだ妻と僕との話をしているんだ。それほど簡単に一般論にしてもらいたくないな」

            ウェルビーイングなコミュニティ―「ゆるいつながり」とは

            コミュニティのウェルビーイングを考える三回目の記事である。 自殺希少地域を研究した岡檀(おかまゆみ)さんという研究者の本『生き心地の良い町:この自殺率の低さには理由(わけ)がある』(講談社)という本がある。日本の中でも極めて自殺率が低い町(徳島県旧海部町)で「自殺予防因子」を研究した本である。 一言で言えば、その町の特徴とは「ゆるやかな紐帯(loose bonds)」であった。もっと分かりやすく言えば「ゆるいつながり」だ。 具体的に言えば、隣近所の付き合いは「挨拶程度」

            二つのウェルビーイング―地域と幸福感と寛容性の関係

            昨日に続いて、コミュニティのウェルビーイングの話である。 ウェルビーイングには大きく分けて二つの種類がある。ヘドニック・ウェルビーイング(hedonic well-being)と、エウダイモニック・ウェルビーイング(eudaimonic well-being)だ。 横文字すぎて意味が分からないと思う(笑)。 ちょー簡単に言うと、ヘドニック・ウェルビーイングは「心地よいという意味で幸福かどうか」であり、エウダイモニック・ウェルビーイングは「人生に意味(意義)を感じるか」と

            コミュニティとウェルビーイング―言葉の定義を考える

            最近、コミュニティのウェルビーイングについて考えている。 でも、コミュニティ(community)もウェルビーイング(well-being)も横文字でちょっと気持ち悪いという感覚も正直ある。 でも、SDGsとか、もっと良くわからない用語も流行ってきているから、まぁいいかとも思う。 そもそもコミュニティという言葉を考えてみる。これは、単純に地理的な意味での「地域」とは異なり、人と人とのつながりや帰属意識を軸にした集合体を意味する。「共同体」なんて訳されたりすることも多いの

            したたかに

            したたかに、頭をぶつけた。 朝おきて暗い中歩いていたとき、ガーンといういきなりの衝撃。 何もないと思って歩いていたときに障害物があったときの驚き。 その突拍子の無さと、頭蓋骨を揺らす衝撃と、情けなさと。 痛い。でも、誰のせいでもない、自分のせい。 身長が高いことは、たいていこのような不便を伴う。 鏡で見ると生え際から頭髪の中に入ったあたりに、赤黒い横一文字の傷。 でも、私の身長は185cmなので、大抵の人はこの傷に気づきもしないだろう。 さあ、今日も一日、がん

            「違和感」と自文化中心主義

            『医師と人類学者との対話―ともに地域医療について考える』(協同医書出版社, 2021年)という本を読んでいる。地域・へき地医療で働く若い医師たちの苦悩を人類学的に掘り下げている興味深い本だ。 冒頭の自治医科大学出身の医師の語りの中ではっとする部分に出会った。 異文化なのだから違いがあって当然という視点は、一見すると異文化への理解を示しているように思えるが、実際は異文化へのより深い理解を妨げており、むしろそこには異文化への無関心と自文化中心主義が内在している可能性すらあると

            「総括」のこわさ―若松孝二の『実録・連合赤軍』を観る

            若松孝二監督の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」を観た。 なかなかヘヴィーな映画である。この映画を観るのは2回目だったが、それでも十分見ごたえがあった。3時間10分あるが、時間を感じさせないほど引き込まれる。 あらすじは以下の通り。 60年代、世界的な潮流の中、日本でも学生運動が大きな盛り上がりを見せていく。革命を旗印に、運動は次第に過激化し、逮捕者も相次いでいく。そんな中、71年、先鋭化した若者たちによって連合赤軍が結成された。しかしその後彼らは、総括により同志に

            学生時代の「違和感」と社会化

            昨日、金沢医科大学の医学生・看護学生向けに特別オンライン授業をおこなった。 タイトルは「地域医療のブリコルール(器用人)を目指して」。 金沢医大の一般教育機構講師の菊地建至先生が企画してくれたもので、参加してくれた有志学生は、いずれも地域医療や在宅医療に興味のある若者ばかりだった。みな真剣に話を聞いてくれて、質問も鋭いポイントを突いていたりして、講師冥利につきる講演だった。 企画者の菊地さんとは、数年前からのお付き合いだけれど、もともとニーチェ思想が専門の哲学者であり、

            おにぎりくんのこと

            私が住む大山町(鳥取県)に「おにぎりくん」と呼ばれる青年がいる。 「おむすび屋ひとむすび」の若き店主であり、いつも明るい笑顔でおむすびを握っているという青年である。 噂は耳にしていたが、先日、「ぐるぐるかいけ」という米子市のイベントに出店している彼と初めて会い、おむすびを握ってもらった。 お寿司屋さんのように細いねじりはちまきをした彼が、移動型屋台の前に立っていた。 すがすがしい。そんな第一印象だ。 「氣愛の塩むすび」というものを注文した。他のおむすびの倍はする値段

            過去の幻影と自己同一性―マインドフルネスの考えより

            マインドフルネス(mindfulness)という考え方あるいは実践がある。 日本の「禅」が逆輸入されたものだ、という説明もあるが、仏教の、特に上座部仏教の流れが西洋に紹介され広まったもものとされる。 ティク・ナット・ハン師という方がいらっしゃった。つい先日、逝去された。師は1960年代から社会に働きかける仏教、応用仏教(applied Buddhism)を実践し、ベトナム反戦運動でフランスに亡命した後、そこでプラム・ビレッジというコミュニティをつくられた。そして世界にマイ

            「で、それからDJのほうが忙しくなってきて」の面白さ―『東京の生活史』を読む

            岸政彦氏編集の『東京の生活史』を読んでいる。 東京で生活したことのある地方出身者150人に聞き書きをしている150人分の生活史である。もちろん分厚い。およそ1200ページ、上下二段組みである。 さまざまな人生がある。 東京での生活は、医学部入学のための浪人生活で過ぎていき、とにかく苦しかったという人、演劇にのめり込み旗揚げ公演をしたところで燃え尽きて故郷に戻ってきたという人、沖縄でDJをやっていて東京で介護士をやりながらDJとして活躍した人など、十人十色、いや百五十人百