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そんそんの教養文庫(今日の一冊)

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一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
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記事一覧

「ゆがんだ鏡」としての歴史家——野家啓一氏『歴史を哲学する』を読む

野家啓一(のえ けいいち、1949 - )氏は、日本の哲学者。専攻は科学哲学。「歴史の物語り論(ナラトロジー)」について講義スタイルで書き下ろされた本書は、野家氏の歴史哲学についての恰好の入門書となっている。野家氏の『物語の哲学』についての過去記事も参照のこと。 野家氏の「歴史の物語り論(ナラトロジー)」の出発点は単純なところにある。それは、歴史は過ぎ去った過去の出来事である以上、その出来事を直接に知覚することはできず、言葉による「語り(narrative)」を媒介にせざる

デリダの脱構築と第三項としてのパルマコン——千葉雅也氏『現代思想入門』を読む

千葉雅也(ちば まさや、1978 - )は、日本の哲学者・小説家。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。研究分野は、哲学および表象文化論。パリ第10大学および高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。学位は、博士(学術)。フランス現代思想と、美術・文学・ファッションの批評を連関させて行う。著作に『動きすぎてはいけない』(2013年)、『別のしかたでーツイッター哲学』(2014年)、『勉強の哲学』(2017年)、『意味がない

パノプティコン社会からシノプティコン社会へ——現代哲学におけるメディア・技術論的転回

本書『いま世界の哲学者が考えていること』は哲学者・倫理学者の岡本裕一朗氏(玉川大学教授)による現代の哲学の動向を解説した書籍である。 岡本氏は、現代の哲学が大きな潮目を迎えていると語る。一つは大陸系の哲学者たちが、こぞって英米系の分析哲学を導入しつつあることである。たとえば、ヘーゲル研究は本国ドイツよりも、むしろアメリカにおいて生産的であるように見えるという。カントやニーチェも、さらにハイデガーやフランクフルト学派の研究も、今ではアメリカが中心になりつつある。20世紀末にい

西郷隆盛の「敬天愛人」の思想——『南洲翁遺訓』を読む

西郷隆盛(さいごう たかもり、1828 - 1877)は、幕末から明治初期の日本の政治家、軍人。『南洲翁遺訓』は、西郷隆盛の遺訓集であり、旧出羽庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたものである。遺訓は41条、追加の2条、その他の問答と補遺から成る。「西郷南洲翁遺訓」、「西郷南洲遺訓」、「大西郷遺訓」などとも呼ばれる。 第21条が西郷の揮毫でよく見られる「敬天愛人」についてである。この「敬天愛人」は、西郷の生涯を貫く思想を最も簡潔に表現した句であると言われる。西郷は「敬天

四季の循環と人それぞれの「秀実のとき」——『留魂録』にみる吉田松陰の死生観

吉田松陰(よしだ しょういん、1830 - 1859)は、江戸時代後期の日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新で活躍した志士に大きな影響を与えた。吉田松陰の『講孟余話』に関する過去記事も参照のこと。 引用したのは『留魂録』からである。この書は松陰が死刑に処される前日、小伝馬町獄で門弟たちに宛てた書である。したがって、松陰最後の書である。完全に死を覚悟した上での文章であるが、実に見事に書かれている。少しも

歴史叙述の「物語り論(ナラトロジー)」——野家啓一『物語の哲学』より

野家啓一(のえ けいいち、1949 - )氏は、日本の哲学者。専攻は科学哲学。東北大学名誉教授。東北大学総長特命教授、元日本哲学会会長。本書『物語の哲学』は1996年に刊行された『物語の哲学——柳田國男と歴史の発見』を増補し新編集した文庫版である。 本書のテーマは「物語り論(ナラトロジー)」である。野家氏は、主にラッセルやウィトゲンシュタインら分析哲学者の手で押し進められた哲学における「言語論的転回」の議論を発展させ、歴史叙述についても、それは歴史の「事実」の探求から、言説

飢餓への権原(entitlement)アプローチと貧困の潜在能力(capability)概念——セン『貧困と飢饉』を読む

1998年のノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センの古典的著作『貧困と飢饉』(1981年)からの引用である。アマルティア・セン(Amartya Sen, 1933 - )は、インドの経済学者、哲学者。アジア初のノーベル経済学賞受賞者であり、政治学、倫理学、社会学にも影響を与えている。無神論者である。 『貧困と飢饉』は、1970年代にセンが発表した論文や報告書のアイデアと事例研究を集成したもので、その主目的は、飢饉と貧困を理解するための分析枠組みとして権原アプローチを提示す

民藝の「用の美」とは心にも仕える美である——柳宗悦『民藝とは何か』を読む

民藝運動の主唱者でもあり、宗教哲学者・美術評論家の柳宗悦(やなぎ むねよし、1889 - 1961)による1941年の著書『民藝とは何か』より引用。非常に分かりやすい口語体で書かれている。柳宗悦の『美の法門』についての記事も参照のこと。 冒頭で柳は「民藝をこそ工藝中の工藝と呼ばねばなりません」と述べ、いわゆる美藝・美術品とされるものと民藝・工藝の違いを明らかにする。「民藝とは民衆が日々用いる工藝品との義です」と述べ、民藝がいわゆる「民衆的工藝」という意味であるとする。普段使

政治哲学はなぜ必要なのか——デイヴィッド・ミラー『はじめての政治哲学』を読む

デイヴィッド・ミラー(David Leslie Miller、1946 - )はイギリスの政治学者。専門は、政治哲学、政治理論。ケンブリッジ大学卒業後、オックスフォード大学で修士号および博士号取得。現在、オックスフォード大学ナフィールド・カレッジ教授。本書『はじめての政治哲学(原題:Political Phylosophy: A Very Short Introduction)』(2003年)は、哲人の言葉に頼ることなく、ごく普通の人々の言葉、意見、情報を手掛かりに政治哲学を

ヨブが見た神の暗黒面と無意識の関係——ユング『ヨブへの答え』を読む

カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung、1875 - 1961)は、スイスの精神科医・心理学者。ブロイラーに師事し深層心理について研究、分析心理学(ユング心理学)を創始した。本書『ヨブへの答え(原題:Antworf auf Hiob)』(1952年)は、旧約聖書と新約聖書にまたがるユダヤ-キリスト教の全歴史を貫く人間の心の変容を、意識と無意識のダイナミックなせめぎあいを通して明らかにするものであり、ユング心理学の応用としては他に類を見ない最高傑作であると訳

慰安所制度とは何だったのか——C・サラ・ソー『慰安婦問題論』を読む

著者のC・サラ・ソー(C. Sarah Soh/蘇貞姫/소정희)は、ソウル西江大学卒業後、ハワイ大学で文化人類学を専攻し博士号を取得。ハワイ大学、アリゾナ大学、サウスウェスト・テキサス州立大学、サンフランシスコ州立大学での教職を経て、サンフランシスコ州立大学名誉教授(人類学)。著書に「Chosen Women in Korean Politics: An Anthropological Study(Praeger, 1991)」など。 本書『慰安婦問題論(原題:The Co

戦犯受刑者の死生観の4つの型——作田啓一『価値の社会学』より

作田 啓一(さくた けいいち、1922 - 2016)は、日本の社会学者。京都大学名誉教授。元日本社会学会会長。第31回(平成24年度)京都府文化賞特別功労賞。京都帝大教授・満州建国大学副総長だった経済学者の作田荘一の長男。妻は作家の折目博子。 『恥の文化再考』(1967年)では、戦後の日本で広く受け容れられたルース・ベネディクトの「西欧社会は罪の文化、日本社会は恥の文化」という比較論に対し、稲作による地域共同体や幕藩体制以降の社会構造の特色から、日本人には外部の視線を気に

両義的なもの・相矛盾するものをうけいれる「あいまいな日本人」——ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』を読む

リチャード・E・ニスベット(Richard E. Nisbett, 1941 - )はアメリカの社会心理学者。彼はミシガン大学セオドア・M・ニューカムの社会心理学の教授であり、ミシガン大学アナーバー校の文化と認知プログラムの共同ディレクターである。 専門は、社会的認知、文化、社会階級、および加齢。著書は『Culture of Honor(名誉の文化)』はじめ、多数ある。 本書『木を見る西洋人 森を見る東洋人(原題:The Geography of Thought: How

平凡なる人生はすでに十分劇的である——福田恆存の『人間・この劇的なもの』の演戯論

福田恆存(ふくだ つねあり、1912 - 1994)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。日本芸術院会員。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事などを務めた。本書『福田恆存:人間は弱い』は麗澤大学教授の川久保剛氏による福田恆存の評伝である。 福田は1930年、旧制浦和高等学校文科甲類入学。当時の旧制学校は昭和恐慌もあり同盟休校が盛んに行われた「シュトゥルム・ウント・ドランク」(疾風怒濤)の時代だったが、福田自身は左翼的な学生運動には関わらなかった。小説から戯曲に関心を