マガジンのカバー画像

そんそんの教養文庫(今日の一冊)

231
一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。
運営しているクリエイター

記事一覧

定言命法における「同時に」の重要性——和辻哲郎とカント

和辻哲郎(わつじ てつろう、1889 - 1960)は、日本の哲学者・倫理学者・文化史家・日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。法政大学教授・京都帝国大学教授・東京帝国大学教授を歴任。『人間の学としての倫理学』(1934年)で新しい倫理学の体系を構築。『風土』(1935年)、『面とペルソナ』(1937年)も名高い。 1931年に和辻が発表した論考「人格と人類性」では、カントの人格論が扱われている。この考察において下敷き

私たちが失ってしまった3つの社会的自由とは——グレーバー=ウェングロウ『万物の黎明』を読む

人類学者のデヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウによる『万物の黎明』より引用。同書の過去記事「「平等主義的社会」とは何を意味するのか」と「主権、官僚制、カリスマ的競合の偶然の合流としての近代国家」も参照のこと。 私たちは近代以降、啓蒙主義によって「自由」や「平等」を目指し、それを手に入れてきたと考えている。しかし、私たちが考えている「自由」とは非常に抽象的なものであり、実際にはかなり自由を失っているのではないだろうか?と二人のデヴィッドは問題提起を投げかける。

不安とは無に至る本来的で適切な通路である——レヴィナス『倫理と無限』より

本書『倫理と無限——フィリップ・ネモとの対話』は、1981年にラジオ局「フランス・キュルチュール」で放送されたエマニュエル・レヴィナスとフィリップ・ネモとの対談である。同書についての過去記事(「客観性は世界を見つめる眼差しを覆い隠し忘却させる」)も参照のこと。 レヴィナスがハイデガーについて語った箇所である。レヴィナスはフライブルク大学においてハイデガーの講義を聴講して衝撃を受ける。1928年のことである。ハイデガーの思想は、レヴィナスに決定的な影響をもたらした。レヴィナス

デカルトのコギト命題に潜む「隠された前提」——スピノザによる指摘

スピノザの『デカルトの哲学原理』によると、デカルトの「私は考える、故に私は存在する(Cogito, ergo sum)」という「コギト命題」には、隠された前提が存在する。デカルトは、この命題こそは、一切のものがその上に構築されるべき第一の真理とした。しかし、スピノザは、デカルト哲学における根本的な矛盾を指摘する。 その矛盾とは、「私は考える、故に私は存在する」には、よく見てみると、この命題は、ある別の命題を前提にしていることだ。たとえば「考えるためには存在しなければならない

空間的実在としての「悪」とはどのようなものか——ミヒャエル・エンデ『郊外の家』を読む

作家ミヒャエル・エンデの短編集『自由の牢獄』より、「郊外の家」という作品から引用。ミヒャエル・エンデ(Michael Andreas Helmuth Ende、1929 - 1995)は、ドイツの小説家。南ドイツ・ガルミッシュ生まれ。1943年頃から創作活動を始め、俳優学校卒業後、本格的作家活動に入る。著書は各国で訳出され、幅広い年齢層に支持されている。主な作品に『モモ』『はてしない物語』『ジム・ボタンの機関車大旅行』『鏡のなかの鏡』など。 短編集『自由の牢獄』では、エンデ

開いているのに入れない門——カフカの掌篇『法の前に』を読む

フランツ・カフカ(Franz Kafka、1883 - 1924)は、現在のチェコ出身の小説家。プラハのユダヤ人の家庭に生まれ、法律を学んだのち保険局に勤めながら作品を執筆した。どこかユーモラスな孤独感と不安の横溢する、夢の世界を想起させるような独特の小説作品を残した。その著作は数編の長編小説と多数の短編、日記および恋人などに宛てた膨大な量の手紙から成り、純粋な創作はその少なからぬ点数が未完であることで知られている。 引用したのはカフカの掌篇『法の前に』。男は「法の門」の前

理想の国家体制を考えるときの「条件」への着目——アリストテレス『政治学』を読む

アリストテレス(前384年 - 前322年)は、古代ギリシアの哲学者。プラトンの弟子であり、ソクラテス、プラトンとともに、しばしば西洋最大の哲学者の一人とされる。知的探求つまり科学的な探求全般を指した当時の哲学を、倫理学、自然科学を始めとした学問として分類し、それらの体系を築いた業績から「万学の祖」とも呼ばれる。特に動物に関する体系的な研究は古代世界では東西に類を見ない。様々な著書を残し、イスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えた。また、マケド

私たちは「意志教」の信者である——國分功一郎氏『はじめてのスピノザ』より

スピノザの哲学については、昨日の記事で『神学・政治論』を中心に紹介した。本書『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』は、スピノザの主著である『エチカ』について、なぜスピノザは人間には自由意志がないと考えたのか、自由とは何か、意志とは何かといった問題を、スピノザの哲学にそって、哲学者の國分功一郎氏が解説している本である。 まず、スピノザの考える「自由」について。ふつう私たちは「自由」というと「束縛がない」という意味で使う。しかし、スピノザは違う。制約がないだけでは自由とは言えな

なぜ「哲学する自由」を踏みにじってはいけないのか——スピノザ『神学・政治論』からの結論

バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza、1632 - 1677)は、オランダの哲学者である。デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な「汎神論」と考えられてきた。また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論やマルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた。スピノザの汎神論は新プラトン主義的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与え、または思

歴史的な生活世界のもつ対話的内部構造への侵食としての「近代化」——ハーバーマス『近代 未完のプロジェクト』より

ユルゲン・ハーバーマス(Jürgen Habermas、1929 - )は、ドイツの哲学者・社会哲学者・政治哲学者。フランクフルト学派第二世代に位置。公共性論や、コミュニケーション論の第一人者である。ドイツの哲学者ガダマーとの論争、フランスの哲学者デリダやリオタールとの論争、ドイツの社会学者ルーマンとの論争、アメリカ合衆国の哲学者ロールズとの論争でも有名である。 ハーバーマスは、フランクフルト学派第二世代に位置するが、第一世代の批判理論を承継しつつも、これを批判し、彼らによ

死の長所と短所について——エーコ『歴史が後ずさりするとき』を読む

イタリアの思想家・作家ウンベルト・エーコの著作『歴史が後ずさりするとき』(2006年)よりの引用。エーコについての過去記事「はじめにことばありき—エーコの『薔薇の名前』を読む」、「カフカをどう読むか——エーコの『開かれた作品』より」も参照のこと。本書は、エーコが2000年から2005年にかけて発表されたエッセイ、論文、講演などをまとめたものである。 本書の最後を飾るエッセイが「死の長所と短所について」である。エーコは、哲学者とは「すべての人間は死をまぬがれない」ことを分かっ

イソノミア(無支配)の危機が生み出したものとしての哲学——柄谷行人『哲学の起源』を読む

柄谷行人による『哲学の起源』(2012年)からの抜粋である。彼は紀元前6世紀頃に世界同時多発的に起こった哲学の勃興が驚くべき事態であるとまず論じる。エゼキエルに代表される預言者がバビロン捕囚の中からあらわれ、イオニアには賢人タレスがあらわれ、インドにはブッダやマハーヴィーラ(ジャイナ教開祖)が、そして、中国には老子や孔子があらわれた。この哲学の起源の同時代並行性はなぜおこったのか。この時代に、ある「危機」があったからだと柄谷はいう。それは一言でいうならば、「イソノミア(無支配

統整的理念としてのカントの「世界共和国」——柄谷行人『世界史の構造』を読む

柄谷行人の『世界史の構造』(2010年)は、彼の「交換様式」の理論からみた世界史の成り立ち、国家の起源、そして来たるべき世界へのアソシーエショニズムの展望を述べたものである。カントとマルクスを論じた『トランスクリティーク』と、交換様式の理論から新しいアソシーショニズムについて述べた『ニュー・アソシエーショニスト宣言』をつなぐような位置付けの書籍となっている。それぞれ、過去記事があるので参照されたい(『トランスクリティーク』、『ニュー・アソシエーショニスト宣言』)。 引用した

サリンジャーの「小さきもの」たちへのまなざし——『ライ麦畑でつかまえて』を読む

ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919 - 2010)は、アメリカ合衆国の小説家。1951年刊の『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』が代表作である。 サリンジャーは、1949年頃、コネチカット州ウェストポートに家を借り執筆生活に専念、『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始した。1950年秋『ライ麦畑でつかまえて』が完成する。当初ハーコード・プレスから作品は出版される予定だったが、「狂人を