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慰安所制度とは何だったのか——C・サラ・ソー『慰安婦問題論』を読む

本書を貫いている主題は、日本軍慰安制度、そして韓国人被害者を生涯にわたって苦しめた要因をめぐる、複雑な真実である。理論の面では、慰安婦現象への理解に深みと陰影を与える一助を担いたいと考えていた。朝鮮の女性が戦時中に日本軍慰安婦の大多数を占めていたこと。さらに慰安婦という役割を演じたがゆえに負の烙印を押されたこと。その態様と理由を理解するため、私は女性たちの生の経験がもつ多様性や史実性を探求し、日本の戦争犯罪についての一面的な定型ストーリーの向こうにあるものを見てきた。また、戦前から戦中にかけての日本と植民地朝鮮における性文化や政治経済的文脈にも分け入った。そのなかでは自己本位な加害者、あるいは被害を受けた社会的行為者が、日々の生活のなかで互いに影響し合いながら、本書で見てきたような構造的暴力を具体的行動の形に変えていた。構造的な権力(植民地主義や軍事主義、資本国家主義に内在する)、異性愛の性道徳(男性中心の性文化における)、当然のごとく女性に向けられる暴力(家父長制、人種主義、軍国主義、エスニック・ナショナリズム、文化相対主義を背景にした)。こうした要素が歴史のある時期に入り混じり合ったことを、分析を通じて浮き彫りにした。また、歴史構造分析においては人物中心のアプローチを用いた。ジェンダーに力点をおくと同時にものごとを多元的に見る手法により、被抑圧者(サバルタン)でもある被害者・生存者自身が語る、当事者にとっての真実が見えてきただろう。

C・サラ・ソー『慰安婦問題論』山岡由美訳, みすず書房, 2022. p.277-278.

著者のC・サラ・ソー(C. Sarah Soh/蘇貞姫/소정희)は、ソウル西江大学卒業後、ハワイ大学で文化人類学を専攻し博士号を取得。ハワイ大学、アリゾナ大学、サウスウェスト・テキサス州立大学、サンフランシスコ州立大学での教職を経て、サンフランシスコ州立大学名誉教授(人類学)。著書に「Chosen Women in Korean Politics: An Anthropological Study(Praeger, 1991)」など。

本書『慰安婦問題論(原題:The Comfort Women: Sexual Violence and Postcolonial Memory in Korea and Japan)』は2008年に、韓国人研究者のサラ・ソーがシカゴ大学出版から英語で刊行した慰安婦問題に関する研究書の日本語版である。刊行当時から現在まで慰安婦問題をめぐる基本構図は変わらない。

日本軍の慰安所について、本書はそれを認可業者型、軍専属型、犯罪型に分類し、商業性と犯罪性の濃淡を認めている。公娼か性奴隷かの二元論はこの現実を見てこなかった。そうした論争は問題の核心も看過してきた。それは、慰安婦にされた女性を飲み込んだ女性蔑視・搾取の巨大な濁流、それに日韓双方が国家レベルでも国民レベルでも加担していた事実である。これが本書の問題意識である。

「認可業者型」は、認可を受けた民間人が営利目的で運営する待合や娼楼のことで、こうした施設は主に都市部にあった。民間の営業と許認可を与える軍当局の関係は契約に定められ、前者は認可業者として軍の要望する商品(性的サービスと娯楽)を提供し、後者は慰安所の運営条件や業務を規制する権限を握っていた。

一方「軍専属型」の慰安所は、兵士に規制の範囲内で性を提供して管理する目的で、家父長温情主義的な軍が運営した非営利の娯楽施設である(ただし、切符制を導入していたところでは収益を上げていた可能性がある)。認可業者型も軍専属型のいずれのタイプも人員の募集に際しては周旋業者に頼ることが多かったようだが、軍が直接関与する場合もあった。またどちらの慰安所も、兵士の士気を高め、性病の拡大を抑止し、現地の女性に対する性犯罪を防ぐという明確な目的のためにつくられたものである(しかし実際には戦地での強姦を防ぐことはできなかった)。

これに対し本書が「犯罪型」と名づける最も悪質な慰安所は、主として兵士による女性への性犯罪の結果つくられたものである。つまり、兵士たち自身が戦場で運営していたこの種の慰安所では、強姦あるいは誘拐、強制連行された女性が、性的な奴隷状態におかれていた。兵士は対価を払うこともなく、自由に性的「ニーズ」を満たした。犯罪型慰安所は、戦争末期に出現したようである。

日本の軍慰安所制度には、性交に対する男性の「生物学的欲求」を制御不能のものとして尊重する男性中心思想から生まれたという特徴がある。兵士の士気を保ち、現地女性の強姦を防ぐ手立てになるという信念から、とくに南京大虐殺以後(1938年以降)、家父長温情主義的な日本の国家は軍慰安所制度の実施と発展を組織的に支えた。この制度は確かに「殺伐なる感情及び劣情」を抑制できたのかもしれないが、はたして強姦を防止することはできなかった。1941年の東南アジアおよび南洋諸島への侵攻後、42年に兵士が犯した610件の犯罪を取り上げた軍の文書には、強姦が横行していたことが書かれている。これは「慰安設備不十分、監視監督不十分に起因す」と説明されている。

本書では日本の戦争犯罪についての一面的な定型ストーリーの「向こう側」をみるため、日本軍慰安制度に関して歴史的な考証をおこないつつ、慰安所制度についての社会学的・人類学的アプローチによって多角的に検証をおこなっている。女性たちの生の経験がもつ多様性や史実性を探求し、戦前から戦中にかけての日本と植民地朝鮮における性文化や政治経済的文脈をも考察している。そこでは、構造的な権力、異性愛の性道徳、当然のごとく女性に向けられる暴力などの要素が歴史のある時期に交錯し、それが慰安所制度を生み出したと考察されている。

本書は、戦時下の慰安所で女性たちが辛酸をなめたこと、解放後の韓国で社会から負の烙印を押されたことに加えて、幼少時や娘時代に女性たちが家庭内で深刻な虐待を受けたこと、地域の業者たちが進んで日本に協力し、女性たちを慰安婦にしたことなども描いている。本書がとった構造分析を人物中心の視点で補うという二元的なアプローチは、個々人にとっての多元的な真実を掘り下げるうえでも、また複数の物語を支える多様なイデオロギーの重要性をより広い文脈で考える上でも有効に機能していると思われる。

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