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医者。ときどき映画監督とか、落語とか。キーワード:対話、共感、コミュニティ。あと、学び…

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医者。ときどき映画監督とか、落語とか。キーワード:対話、共感、コミュニティ。あと、学び、アート、銭湯、つながり。単純に人が好き。でも、恥ずかしがり屋です。

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  • そんそんの教養文庫(今日の一冊)

    一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。

記事一覧

両義的なもの・相矛盾するものをうけいれる「あいまいな日本人」——ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』を読む

リチャード・E・ニスベット(Richard E. Nisbett, 1941 - )はアメリカの社会心理学者。彼はミシガン大学セオドア・M・ニューカムの社会心理学の教授であり、ミシガン大学…

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1時間前
4

平凡なる人生はすでに十分劇的である——福田恆存の『人間・この劇的なもの』の演戯論

福田恆存(ふくだ つねあり、1912 - 1994)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。日本芸術院会員。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事などを務めた。本書『福…

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23時間前
10

死者の不在そのものが存在に紛れ込む——レヴィナスの「イリヤ(ある)」の恐怖

エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas、1906 - 1995)は、フランスの哲学者。第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者であり、現代哲学における「他者論」の…

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2日前
12

コミュニティ再生、そして包摂的ローカリズムへ——ラグラム・ラジャン『第三の支柱』を読む

ラグラム・ゴヴィンダ・ラジャン(Raghuram Govinda Rajan、1963 - )はインドの経済学者。シカゴ大学経営大学院教授(Eric J. Gleacher Distinguished Service Professor …

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3日前
8

なぜ人は学ばなければならないのか——吉田松陰『講孟余話』を読む

吉田松陰の『講孟余話』からの一節。松陰の『講孟余話(講孟箚記)』は、松陰が安政二年から三年にかけて、長州の野山獄と杉家幽室で幽囚の身であった時、囚人や親戚と共に…

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4日前
12

〈自由〉および〈自由の相互承認〉の実質化としての教育論——苫野一徳氏『どのような教育が「よい」教育か』を読む

教育哲学者の苫野一徳氏による教育論の書籍『どのような教育が「よい」教育か』からの引用。苫野一徳(とまの いっとく)氏は1980年生まれ、早稲田大学大学院教育学研究科…

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5日前
17

ハイデガーが見落とした「消えゆく媒介者」——ジジェク『厄介なる主体』を読む

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949 - )はスロヴェニアの哲学者。リュブリアナ大学教授。ラカン派マルクス主義者として、その多彩な活動は世界の思想界で注目を…

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6日前
8

感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

アルフォンソ・リンギス(Alphonso Lingis, 1933-)はアメリカの哲学者。リトアニア系移民の農民の子どもとしてアメリカで生まれる。ベルギーのルーヴァン大学で哲学の博…

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7日前
13

究極的な卓越性に即しての魂の活動としての「最高善」——アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第一巻からの引用。『ニコマコス倫理学』は、アリストテレスの倫理学に関する著作群を、息子のニコマコスらが編…

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7日前
9

「よく生きる」こととしての幸福、そしてそのために徳を身につける——アリストテレス『エウデモス倫理学』を読む

『エウデモス倫理学』(希: Ηθικά Εὔδημια、羅: Ethica Eudemia、英: Eudemian Ethics)とは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって書かれたとされる、…

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9日前
10

A・H・Z・カーの小説「誰でもない男の裁判」を読む

異色のミステリー作家A・H・Z・カーによる小説「誰でもない男の裁判(THe Trial of John Nobody)」からの一節。アルバート・H・ゾラトコフ・カー(Albert H. Zolatkoff Ca…

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10日前
8

憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

小室直樹(こむろ なおき, 1932 - 2010)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。学位は法学博士。東京工業大学世界文明センター特任教授、現…

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11日前
10

身体性の回復としての「屋台」——ハイデガーの世界内存在と民藝

『日本のまちで屋台が踊る』という面白い本が2023年に出版された。編者の一人は、カモメ・ラボ代表で建築家の今村謙人さん。今村さんは屋台づくりワークショップを各地で開…

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12日前
21

民藝の「偉大なる平凡」——鞍田崇氏『民藝のインティマシー』より

哲学者の鞍田崇氏による民藝の解説書である。鞍田崇氏の別書籍についての過去記事も参照のこと(「生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」…

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13日前
15

民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889 - 1961)は、日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。民藝運動の主唱者である。名前は「やなぎ そうえつ」とも読まれ、欧文においても「So…

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2週間前
10

生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想

本書『〈民藝〉のレッスン:つたなさの技法』は、哲学者の鞍田崇(くらた たかし)氏による民藝を新たな眼差しで捉えた一冊。鞍田氏は1970年、兵庫県生まれ。京都大学大学…

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2週間前
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両義的なもの・相矛盾するものをうけいれる「あいまいな日本人」——ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』を読む

両義的なもの・相矛盾するものをうけいれる「あいまいな日本人」——ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』を読む

リチャード・E・ニスベット(Richard E. Nisbett, 1941 - )はアメリカの社会心理学者。彼はミシガン大学セオドア・M・ニューカムの社会心理学の教授であり、ミシガン大学アナーバー校の文化と認知プログラムの共同ディレクターである。 専門は、社会的認知、文化、社会階級、および加齢。著書は『Culture of Honor(名誉の文化)』はじめ、多数ある。

本書『木を見る西洋人 森

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平凡なる人生はすでに十分劇的である——福田恆存の『人間・この劇的なもの』の演戯論

平凡なる人生はすでに十分劇的である——福田恆存の『人間・この劇的なもの』の演戯論

福田恆存(ふくだ つねあり、1912 - 1994)は、日本の評論家、翻訳家、劇作家、演出家。日本芸術院会員。現代演劇協会理事長、日本文化会議常任理事などを務めた。本書『福田恆存:人間は弱い』は麗澤大学教授の川久保剛氏による福田恆存の評伝である。

福田は1930年、旧制浦和高等学校文科甲類入学。当時の旧制学校は昭和恐慌もあり同盟休校が盛んに行われた「シュトゥルム・ウント・ドランク」(疾風怒濤)の

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死者の不在そのものが存在に紛れ込む——レヴィナスの「イリヤ(ある)」の恐怖

死者の不在そのものが存在に紛れ込む——レヴィナスの「イリヤ(ある)」の恐怖

エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Lévinas、1906 - 1995)は、フランスの哲学者。第二次世界大戦後のヨーロッパを代表する哲学者であり、現代哲学における「他者論」の代表的人物だとされている。エトムント・フッサールやマルティン・ハイデッガーの現象学に関する研究を出発点とし、ユダヤ思想を背景にした独自の倫理学、更にはタルムードの研究などでも知られる。

レヴィナスは「ある(il

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コミュニティ再生、そして包摂的ローカリズムへ——ラグラム・ラジャン『第三の支柱』を読む

コミュニティ再生、そして包摂的ローカリズムへ——ラグラム・ラジャン『第三の支柱』を読む

ラグラム・ゴヴィンダ・ラジャン(Raghuram Govinda Rajan、1963 - )はインドの経済学者。シカゴ大学経営大学院教授(Eric J. Gleacher Distinguished Service Professor of Finance)や、インドの中央銀行であるインド準備銀行の総裁を務めた。専門は金融論、銀行論。

本書『第三の支柱』は、グローバリゼーションと、その社会的、

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なぜ人は学ばなければならないのか——吉田松陰『講孟余話』を読む

なぜ人は学ばなければならないのか——吉田松陰『講孟余話』を読む

吉田松陰の『講孟余話』からの一節。松陰の『講孟余話(講孟箚記)』は、松陰が安政二年から三年にかけて、長州の野山獄と杉家幽室で幽囚の身であった時、囚人や親戚と共に、孟子を講読した読後感や批評そして意見をまとめたものである。吉田松陰(よしだ しょういん、1830 - 1859)は、江戸時代後期の日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維

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〈自由〉および〈自由の相互承認〉の実質化としての教育論——苫野一徳氏『どのような教育が「よい」教育か』を読む

〈自由〉および〈自由の相互承認〉の実質化としての教育論——苫野一徳氏『どのような教育が「よい」教育か』を読む

教育哲学者の苫野一徳氏による教育論の書籍『どのような教育が「よい」教育か』からの引用。苫野一徳(とまの いっとく)氏は1980年生まれ、早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。早稲田大学教育・総合科学学術院助手などを経て、現在熊本大学教育学部准教授。著書に『教育の力』(講談社現代新書)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『「自由」はいかに可能か——社会構想のた

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ハイデガーが見落とした「消えゆく媒介者」——ジジェク『厄介なる主体』を読む

ハイデガーが見落とした「消えゆく媒介者」——ジジェク『厄介なる主体』を読む

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949 - )はスロヴェニアの哲学者。リュブリアナ大学教授。ラカン派マルクス主義者として、その多彩な活動は世界の思想界で注目を浴びている。主なる著書に、『斜めから見る』『快楽の転移』『幻想の感染』『脆弱なる絶対』『全体主義』『「テロル」と戦争』(全て、青土社刊)ほか。

本書『厄介なる主体——政治的存在論の空虚な中心(The Ticklish S

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感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

アルフォンソ・リンギス(Alphonso Lingis, 1933-)はアメリカの哲学者。リトアニア系移民の農民の子どもとしてアメリカで生まれる。ベルギーのルーヴァン大学で哲学の博士号を取得。ピッツバークのドゥケーン大学で教鞭をとった後、現在はペンシルヴァニア州立大学の哲学教授。世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている。メルロ=ポンティ『

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究極的な卓越性に即しての魂の活動としての「最高善」——アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む

究極的な卓越性に即しての魂の活動としての「最高善」——アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第一巻からの引用。『ニコマコス倫理学』は、アリストテレスの倫理学に関する著作群を、息子のニコマコスらが編纂しまとめた書物である。アリストテレスの弟子エウデモスが編纂した『エウデモス倫理学』と中身の一部が同じとなっている。『エウデモス倫理学』に関する過去記事も参照のこと。

まず第一巻にて、人間の性質としての「善(アガトン)」の追求と、その従属

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「よく生きる」こととしての幸福、そしてそのために徳を身につける——アリストテレス『エウデモス倫理学』を読む

「よく生きる」こととしての幸福、そしてそのために徳を身につける——アリストテレス『エウデモス倫理学』を読む

『エウデモス倫理学』(希: Ηθικά Εὔδημια、羅: Ethica Eudemia、英: Eudemian Ethics)とは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって書かれたとされる、倫理哲学書の一つ。アリストテレスの弟子の1人であったロドスのエウデモスが編集したとされることからこの名が付いた。全8巻から成るが、第4〜6巻にかけては、『ニコマコス倫理学』の第5〜7巻と同じテキストとなっ

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A・H・Z・カーの小説「誰でもない男の裁判」を読む

A・H・Z・カーの小説「誰でもない男の裁判」を読む

異色のミステリー作家A・H・Z・カーによる小説「誰でもない男の裁判(THe Trial of John Nobody)」からの一節。アルバート・H・ゾラトコフ・カー(Albert H. Zolatkoff Carr, 1902 - 1971 )は、アメリカの作家・政治経済学者。F・D・ローズヴェルト、トルーマン大統領の補佐官をつとめ、実業界でも大きな成功を収めた。ミステリー作家としては、1950-

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憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

小室直樹(こむろ なおき, 1932 - 2010)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。学位は法学博士。東京工業大学世界文明センター特任教授、現代政治研究所(東京都千代田区)所長などを歴任。社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの多分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ。東京大学の伝説の自主ゼミナール「小室ゼミ」主宰者。著書に『ソビ

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身体性の回復としての「屋台」——ハイデガーの世界内存在と民藝

身体性の回復としての「屋台」——ハイデガーの世界内存在と民藝

『日本のまちで屋台が踊る』という面白い本が2023年に出版された。編者の一人は、カモメ・ラボ代表で建築家の今村謙人さん。今村さんは屋台づくりワークショップを各地で開催。屋台を使ったまちづくり活動を実践している。今村さんは新卒で入った設計事務所をクビになり、仕事を転々とした。その後、夫婦で世界一周旅行をした際、メキシコで思いつきで焼き鳥を路上で売り始めた。そのときに「これは屋根がないけれど、れっきと

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民藝の「偉大なる平凡」——鞍田崇氏『民藝のインティマシー』より

民藝の「偉大なる平凡」——鞍田崇氏『民藝のインティマシー』より

哲学者の鞍田崇氏による民藝の解説書である。鞍田崇氏の別書籍についての過去記事も参照のこと(「生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想」)。

鞍田氏はこの書籍で、「インティマシー(intimacy)」というキーワードで、民藝運動の本質を現代的に捉え直そうとする。「インティマシー」とは「親密」「親交」といった意味で、学術用語としては、心理学や社会学での使用例がある。

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民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889 - 1961)は、日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。民藝運動の主唱者である。名前は「やなぎ そうえつ」とも読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。宗教哲学、近代美術に関心を寄せ白樺派にも参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著名な著書に『手仕事の日本』、『民藝四十年』などがある。

引用したのは『美の

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生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想

生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想

本書『〈民藝〉のレッスン:つたなさの技法』は、哲学者の鞍田崇(くらた たかし)氏による民藝を新たな眼差しで捉えた一冊。鞍田氏は1970年、兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。著作に『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会)。2014年より明治大学理工学部准教授を務める。民藝に関しては、高木崇雄氏の書籍についての過去記事も参考のこと(「「時間」が溶けこん

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