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私たちが失ってしまった3つの社会的自由とは——グレーバー=ウェングロウ『万物の黎明』を読む
人類学者のデヴィッド・グレーバーとデヴィッド・ウェングロウによる『万物の黎明』より引用。同書の過去記事「「平等主義的社会」とは何を意味するのか」と「主権、官僚制、カリスマ的競合の偶然の合流としての近代国家」も参照のこと。
私たちは近代以降、啓蒙主義によって「自由」や「平等」を目指し、それを手に入れてきたと考えている。しかし、私たちが考えている「自由」とは非常に抽象的なものであり、実際にはかなり自
不安とは無に至る本来的で適切な通路である——レヴィナス『倫理と無限』より
本書『倫理と無限——フィリップ・ネモとの対話』は、1981年にラジオ局「フランス・キュルチュール」で放送されたエマニュエル・レヴィナスとフィリップ・ネモとの対談である。同書についての過去記事(「客観性は世界を見つめる眼差しを覆い隠し忘却させる」)も参照のこと。
レヴィナスがハイデガーについて語った箇所である。レヴィナスはフライブルク大学においてハイデガーの講義を聴講して衝撃を受ける。1928年の
空間的実在としての「悪」とはどのようなものか——ミヒャエル・エンデ『郊外の家』を読む
作家ミヒャエル・エンデの短編集『自由の牢獄』より、「郊外の家」という作品から引用。ミヒャエル・エンデ(Michael Andreas Helmuth Ende、1929 - 1995)は、ドイツの小説家。南ドイツ・ガルミッシュ生まれ。1943年頃から創作活動を始め、俳優学校卒業後、本格的作家活動に入る。著書は各国で訳出され、幅広い年齢層に支持されている。主な作品に『モモ』『はてしない物語』『ジム・
もっとみる死の長所と短所について——エーコ『歴史が後ずさりするとき』を読む
イタリアの思想家・作家ウンベルト・エーコの著作『歴史が後ずさりするとき』(2006年)よりの引用。エーコについての過去記事「はじめにことばありき—エーコの『薔薇の名前』を読む」、「カフカをどう読むか——エーコの『開かれた作品』より」も参照のこと。本書は、エーコが2000年から2005年にかけて発表されたエッセイ、論文、講演などをまとめたものである。
本書の最後を飾るエッセイが「死の長所と短所につ
サリンジャーの「小さきもの」たちへのまなざし——『ライ麦畑でつかまえて』を読む
ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger、1919 - 2010)は、アメリカ合衆国の小説家。1951年刊の『ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)』が代表作である。
サリンジャーは、1949年頃、コネチカット州ウェストポートに家を借り執筆生活に専念、『ライ麦畑でつかまえて』の執筆を開始した。1950年秋『ライ麦畑でつかまえ
「強い視差」からくる超越論的な反省——柄谷行人『トランスクリティーク:カントとマルクス』を読む
柄谷行人による2000年代の著書『トランスクリティーク——カントとマルクス』からの引用。本書で柄谷は、カントによってマルクスを読み,マルクスによってカントを読むという試みに挑戦する。そして、コミュニズムの倫理的根源としてカントの哲学があることを明らかにする。「トランスクリティーク」とは、絶えざる「移動」による視差の獲得とそこからなされる批評作業の実践のことである。そして、新しい運動としての「アソシ
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