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医者。ときどき映画監督とか、落語とか。キーワード:対話、共感、コミュニティ。あと、学び…

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医者。ときどき映画監督とか、落語とか。キーワード:対話、共感、コミュニティ。あと、学び、アート、銭湯、つながり。単純に人が好き。でも、恥ずかしがり屋です。

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  • そんそんの教養文庫(今日の一冊)

    一日一冊、そんそん文庫から書籍をとりあげ、その中の印象的な言葉を紹介します。哲学、社会学、文学、物理学、美学・詩学、さまざまなジャンルの本をとりあげます。

記事一覧

〈自由〉および〈自由の相互承認〉の実質化としての教育論——苫野一徳氏『どのような教育が「よい」教育か』を読む

教育哲学者の苫野一徳氏による教育論の書籍『どのような教育が「よい」教育か』からの引用。苫野一徳(とまの いっとく)氏は1980年生まれ、早稲田大学大学院教育学研究科…

そんそん
22時間前
13

ハイデガーが見落とした「消えゆく媒介者」——ジジェク『厄介なる主体』を読む

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949 - )はスロヴェニアの哲学者。リュブリアナ大学教授。ラカン派マルクス主義者として、その多彩な活動は世界の思想界で注目を…

そんそん
1日前
8

感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

アルフォンソ・リンギス(Alphonso Lingis, 1933-)はアメリカの哲学者。リトアニア系移民の農民の子どもとしてアメリカで生まれる。ベルギーのルーヴァン大学で哲学の博…

そんそん
2日前
13

究極的な卓越性に即しての魂の活動としての「最高善」——アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第一巻からの引用。『ニコマコス倫理学』は、アリストテレスの倫理学に関する著作群を、息子のニコマコスらが編…

そんそん
3日前
9

「よく生きる」こととしての幸福、そしてそのために徳を身につける——アリストテレス『エウデモス倫理学』を読む

『エウデモス倫理学』(希: Ηθικά Εὔδημια、羅: Ethica Eudemia、英: Eudemian Ethics)とは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって書かれたとされる、…

そんそん
4日前
10

A・H・Z・カーの小説「誰でもない男の裁判」を読む

異色のミステリー作家A・H・Z・カーによる小説「誰でもない男の裁判(THe Trial of John Nobody)」からの一節。アルバート・H・ゾラトコフ・カー(Albert H. Zolatkoff Ca…

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5日前
8

憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

小室直樹(こむろ なおき, 1932 - 2010)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。学位は法学博士。東京工業大学世界文明センター特任教授、現…

そんそん
6日前
10

身体性の回復としての「屋台」——ハイデガーの世界内存在と民藝

『日本のまちで屋台が踊る』という面白い本が2023年に出版された。編者の一人は、カモメ・ラボ代表で建築家の今村謙人さん。今村さんは屋台づくりワークショップを各地で開…

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7日前
21

民藝の「偉大なる平凡」——鞍田崇氏『民藝のインティマシー』より

哲学者の鞍田崇氏による民藝の解説書である。鞍田崇氏の別書籍についての過去記事も参照のこと(「生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」…

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8日前
15

民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889 - 1961)は、日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。民藝運動の主唱者である。名前は「やなぎ そうえつ」とも読まれ、欧文においても「So…

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9日前
10

生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想

本書『〈民藝〉のレッスン:つたなさの技法』は、哲学者の鞍田崇(くらた たかし)氏による民藝を新たな眼差しで捉えた一冊。鞍田氏は1970年、兵庫県生まれ。京都大学大学…

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10日前
19

後期ハイデガーの思想:「存在の真理」と「性起(しょうき)」とは

後期ハイデガーの思索についてである。後期ハイデガーの思想はあまり解説書がなく、ハイデガー研究者でも避ける傾向にある。それは単純に「理解が難しい」からなのだという…

そんそん
11日前
13

「時間」が溶けこんだ「工藝的なる声」——高木崇雄氏『わかりやすい民藝』を読む

福岡の「工藝風向」店主で日本民藝協会常任理事の高木崇雄氏による民藝の解説書である。1974年、高知生れ、福岡育ち。京都大学経済学部卒業、会社員生活を経て、2004年、福…

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12日前
13

Fingo ergo sum(演ずるがゆえに私は存在する)——スローターダイクのニーチェ論

ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクによるニーチェ論である。原書の題名は『舞台の上の思想家:ニーチェの唯物論』(1986年刊行)である。スローターダイクは、当初…

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13日前
10

「根源的な神性への問い」としての「存在への問い」——ハイデガーの存在論と神との関係

本書『ハイデガーの哲学:『存在と時間』から後期の思索まで』は、マルティン・ハイデガーの思想を、前期の『存在と時間』だけでなく、中期から後期の思想までを俯瞰する形…

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2週間前
6

現在という瞬間を本来的に捉える「瞬視(Augenblick)」とは——ハイデガー『存在と時間』を読む

マルティン・ハイデガーの『存在と時間』より、「存在」と「時間」の関係についての箇所である。『存在と時間』に関する過去記事も参照のこと:「世間話(おしゃべり)の無…

そんそん
2週間前
8
〈自由〉および〈自由の相互承認〉の実質化としての教育論——苫野一徳氏『どのような教育が「よい」教育か』を読む

〈自由〉および〈自由の相互承認〉の実質化としての教育論——苫野一徳氏『どのような教育が「よい」教育か』を読む

教育哲学者の苫野一徳氏による教育論の書籍『どのような教育が「よい」教育か』からの引用。苫野一徳(とまの いっとく)氏は1980年生まれ、早稲田大学大学院教育学研究科博士課程単位取得満期退学。博士(教育学)。早稲田大学教育・総合科学学術院助手などを経て、現在熊本大学教育学部准教授。著書に『教育の力』(講談社現代新書)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『「自由」はいかに可能か——社会構想のた

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ハイデガーが見落とした「消えゆく媒介者」——ジジェク『厄介なる主体』を読む

ハイデガーが見落とした「消えゆく媒介者」——ジジェク『厄介なる主体』を読む

スラヴォイ・ジジェク(Slavoj Žižek, 1949 - )はスロヴェニアの哲学者。リュブリアナ大学教授。ラカン派マルクス主義者として、その多彩な活動は世界の思想界で注目を浴びている。主なる著書に、『斜めから見る』『快楽の転移』『幻想の感染』『脆弱なる絶対』『全体主義』『「テロル」と戦争』(全て、青土社刊)ほか。

本書『厄介なる主体——政治的存在論の空虚な中心(The Ticklish S

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感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

感嘆の行為としての他者の顔との邂逅——アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』を読む

アルフォンソ・リンギス(Alphonso Lingis, 1933-)はアメリカの哲学者。リトアニア系移民の農民の子どもとしてアメリカで生まれる。ベルギーのルーヴァン大学で哲学の博士号を取得。ピッツバークのドゥケーン大学で教鞭をとった後、現在はペンシルヴァニア州立大学の哲学教授。世界のさまざまな土地で暮らしながら、鮮烈な情景描写と哲学的思索とが絡みあった著作を発表しつづけている。メルロ=ポンティ『

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究極的な卓越性に即しての魂の活動としての「最高善」——アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む

究極的な卓越性に即しての魂の活動としての「最高善」——アリストテレス『ニコマコス倫理学』を読む

古代ギリシアの哲学者アリストテレスの『ニコマコス倫理学』第一巻からの引用。『ニコマコス倫理学』は、アリストテレスの倫理学に関する著作群を、息子のニコマコスらが編纂しまとめた書物である。アリストテレスの弟子エウデモスが編纂した『エウデモス倫理学』と中身の一部が同じとなっている。『エウデモス倫理学』に関する過去記事も参照のこと。

まず第一巻にて、人間の性質としての「善(アガトン)」の追求と、その従属

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「よく生きる」こととしての幸福、そしてそのために徳を身につける——アリストテレス『エウデモス倫理学』を読む

「よく生きる」こととしての幸福、そしてそのために徳を身につける——アリストテレス『エウデモス倫理学』を読む

『エウデモス倫理学』(希: Ηθικά Εὔδημια、羅: Ethica Eudemia、英: Eudemian Ethics)とは、古代ギリシャの哲学者アリストテレスによって書かれたとされる、倫理哲学書の一つ。アリストテレスの弟子の1人であったロドスのエウデモスが編集したとされることからこの名が付いた。全8巻から成るが、第4〜6巻にかけては、『ニコマコス倫理学』の第5〜7巻と同じテキストとなっ

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A・H・Z・カーの小説「誰でもない男の裁判」を読む

A・H・Z・カーの小説「誰でもない男の裁判」を読む

異色のミステリー作家A・H・Z・カーによる小説「誰でもない男の裁判(THe Trial of John Nobody)」からの一節。アルバート・H・ゾラトコフ・カー(Albert H. Zolatkoff Carr, 1902 - 1971 )は、アメリカの作家・政治経済学者。F・D・ローズヴェルト、トルーマン大統領の補佐官をつとめ、実業界でも大きな成功を収めた。ミステリー作家としては、1950-

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憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

憲法は成文法ではなく本質的に慣習法である——小室直樹『日本人のための憲法言論』より

小室直樹(こむろ なおき, 1932 - 2010)は、日本の社会学者、経済学者、批評家、社会・政治・国際問題評論家。学位は法学博士。東京工業大学世界文明センター特任教授、現代政治研究所(東京都千代田区)所長などを歴任。社会学、数学、経済学、心理学、政治学、宗教学、法学などの多分野を第一人者から直接学び、「社会科学の統合」に取り組んだ。東京大学の伝説の自主ゼミナール「小室ゼミ」主宰者。著書に『ソビ

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身体性の回復としての「屋台」——ハイデガーの世界内存在と民藝

身体性の回復としての「屋台」——ハイデガーの世界内存在と民藝

『日本のまちで屋台が踊る』という面白い本が2023年に出版された。編者の一人は、カモメ・ラボ代表で建築家の今村謙人さん。今村さんは屋台づくりワークショップを各地で開催。屋台を使ったまちづくり活動を実践している。今村さんは新卒で入った設計事務所をクビになり、仕事を転々とした。その後、夫婦で世界一周旅行をした際、メキシコで思いつきで焼き鳥を路上で売り始めた。そのときに「これは屋根がないけれど、れっきと

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民藝の「偉大なる平凡」——鞍田崇氏『民藝のインティマシー』より

民藝の「偉大なる平凡」——鞍田崇氏『民藝のインティマシー』より

哲学者の鞍田崇氏による民藝の解説書である。鞍田崇氏の別書籍についての過去記事も参照のこと(「生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想」)。

鞍田氏はこの書籍で、「インティマシー(intimacy)」というキーワードで、民藝運動の本質を現代的に捉え直そうとする。「インティマシー」とは「親密」「親交」といった意味で、学術用語としては、心理学や社会学での使用例がある。

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民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

民藝の美はすなわち「即」あるいは「如」である——柳宗悦『美の法門』を読む

柳 宗悦(やなぎ むねよし、1889 - 1961)は、日本の美術評論家、宗教哲学者、思想家。民藝運動の主唱者である。名前は「やなぎ そうえつ」とも読まれ、欧文においても「Soetsu」と表記される。宗教哲学、近代美術に関心を寄せ白樺派にも参加。芸術を哲学的に探求、日用品に美と職人の手仕事の価値を見出す民藝運動も始めた。著名な著書に『手仕事の日本』、『民藝四十年』などがある。

引用したのは『美の

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生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想

生活の全体性の回復としての〈民藝〉——鞍田崇氏の「自己化」と「他力」の思想

本書『〈民藝〉のレッスン:つたなさの技法』は、哲学者の鞍田崇(くらた たかし)氏による民藝を新たな眼差しで捉えた一冊。鞍田氏は1970年、兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。著作に『民藝のインティマシー 「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会)。2014年より明治大学理工学部准教授を務める。民藝に関しては、高木崇雄氏の書籍についての過去記事も参考のこと(「「時間」が溶けこん

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後期ハイデガーの思想:「存在の真理」と「性起(しょうき)」とは

後期ハイデガーの思想:「存在の真理」と「性起(しょうき)」とは

後期ハイデガーの思索についてである。後期ハイデガーの思想はあまり解説書がなく、ハイデガー研究者でも避ける傾向にある。それは単純に「理解が難しい」からなのだという。この本を書いている轟孝夫氏でさえ、自らがハイデガーの専門家にもかかわらず、後期ハイデガーで出てくるハイデガー用語「存在の真理」「存在の立ち去り」「性起(しょうき)」などの用語に関してなかなか理解が追いつかず、当初は読んでいて途方に暮れたと

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「時間」が溶けこんだ「工藝的なる声」——高木崇雄氏『わかりやすい民藝』を読む

「時間」が溶けこんだ「工藝的なる声」——高木崇雄氏『わかりやすい民藝』を読む

福岡の「工藝風向」店主で日本民藝協会常任理事の高木崇雄氏による民藝の解説書である。1974年、高知生れ、福岡育ち。京都大学経済学部卒業、会社員生活を経て、2004年、福岡市内に工芸店「工藝風向」開店。九州大学大学院芸術工学府にて、柳宗悦と民藝運動を対象に近代工芸史を研究、博士課程単位取得退学。日本民藝協会常任理事。新潮社「青花の会」編集委員。

「民藝」とは何かということについて、柳宗悦の思想を中

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Fingo ergo sum(演ずるがゆえに私は存在する)——スローターダイクのニーチェ論

Fingo ergo sum(演ずるがゆえに私は存在する)——スローターダイクのニーチェ論

ドイツの哲学者ペーター・スローターダイクによるニーチェ論である。原書の題名は『舞台の上の思想家:ニーチェの唯物論』(1986年刊行)である。スローターダイクは、当初は在野の評論家・エッセイストと見られていたが、80年代の『シニカル理性批判』の成功により一躍注目され、90年代以降はポスト・モダンを代表する哲学者の一人と評価されている。現在は、カールスルーエ造形芸術大学の学長を努めている。

本書はニ

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「根源的な神性への問い」としての「存在への問い」——ハイデガーの存在論と神との関係

「根源的な神性への問い」としての「存在への問い」——ハイデガーの存在論と神との関係

本書『ハイデガーの哲学:『存在と時間』から後期の思索まで』は、マルティン・ハイデガーの思想を、前期の『存在と時間』だけでなく、中期から後期の思想までを俯瞰する形で、ハイデガー哲学専門家の轟孝夫氏が解説した入門書である。轟孝夫氏は、1968年生まれ。東京大学経済学部、教養学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。現在、防衛大学校人文社会科学群人間文化学科教授。博士(文学)。専門はハイデガ

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現在という瞬間を本来的に捉える「瞬視(Augenblick)」とは——ハイデガー『存在と時間』を読む

現在という瞬間を本来的に捉える「瞬視(Augenblick)」とは——ハイデガー『存在と時間』を読む

マルティン・ハイデガーの『存在と時間』より、「存在」と「時間」の関係についての箇所である。『存在と時間』に関する過去記事も参照のこと:「世間話(おしゃべり)の無気味さとは」、「どこにもない、世界全般に対する「不安」」。

ハイデガーはまず「理解する」ということを実存的に捉える。ハイデガーにおける「理解(Verstehen)」とは、個別の対象に関する知識の有無の問題ではなく、実存全般に関わる問題とし

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