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#読書感想
メスガキわからせストラテジーとその不確かな壁
町とその不確かな壁を読み終わってしまった。……
ヘッダ画像を有志の方からお借りしていることをお知らせいたします。
読み終わってグレーな気持ちになっているのはいつものぼくの「大変期待していたものを見終わってしまう悲しみ」のせいである。別に見終わって思った以上につまらなかったとかでそうなるのではないことを明記しておく。
クソ驚いたのは、二章で急に現実に戻ってきた(こっちが現実なのかどうかは得てし
ワイとその不確かな避妊
街とその不確かな壁を読み進めて、序盤は全然感想書かなかったけど、途中から結構思うことが増えたので書いてます。ヘッダ画像をお借りしてます。
下記のような感じで感想を持った。うちに住んでいる要約お嬢が要約する:
なんかえのんみたいになってしまったが、彼女は分裂症なのだろう。
こうして見ると、世界の終わりとハードボイルド~~~と似ても似つかない部分を見るにつけ、感想者としてのぼくの中にようやく自我
AIとその不確かなGPT
街とその不確かな壁を一回目で読んでいて、たまーにその感想を書いています。ヘッダ画像をお借りしています。
これまでの感想の"書き"のほうは、下の方に設置されてるマガジンとやらで読めるっぽい。別に読む必要はない。毎回違う感想を書いている。
まず最初にぼくは騎士団長殺しの感想も死ぬほど書いていて、そこで感じたことも街とその不確かな壁の感想においても適用されゆく。
特に騎士団長殺しは一回目を読み終わ
「我が国」とかいうクソ気持ち悪い表現
折に触れ、街とその不確かな壁の感想文を書いています。ヘッダ画像をお借りしています。
なにもリベラリズムだのナショナリズムだの、それ系のことが話したいわけではない。そういうのに属したくない。愛すべき日本人もおり、唾棄すべきそれらもいる。
国家に忠誠など誓い、信用したらあとは衆愚政治となるだけだから+つけあがるだけだからせず、日本の放つシステムの一部の恩恵を限りなく受ける。これこそが多様性である。
村上春樹『街とその不確かな壁』第2部の主人公は影の成り代わりじゃないの
はじめに街とその不確かな壁を読んでるんだけど、いま第二部に入り始めました。ヘッダ画像をお借りしています。
ぼくはこれまで「いま2周目を読み始めている『騎士団長殺し』の感想」を折に触れてめっっっっっっっちゃ書いてたんですけど、町とその不確かな壁については一部が終わるまでここで話題に出さなかった。
別にそれに理由はなく、もしかしたら騎士団長殺しのときもそうだったかも知れないんだけど、一発目の感覚は
みどさーという単語はみどさーの女の人しか使わない
引き続いて騎士団長殺しの下巻を再度読んでいて、やっぱな的なことがあった。ヘッダ画像をお借りしています。
これまで多分夥しい数の騎士団長殺しの感想を書きなぐって来たんだけど、やはりいつもどおりそのいずれもと関連しないものである。
前回はこのようなことでした:
時間を固定するっていうのは書き物も同じである。さらに特定の年齢層を固定化し、他と切り分けてしまう、分断してしまうアラウンドサーティという
一次創作/二次創作としての秋川まりえ②
騎士団長殺しの上巻で免色が主役に無理やり絵をかかそうとしたんだけど、不自然……といいますか気になる動きがあった。ヘッダ画像をお借りしています。これは表象下の免色が秋川まりえをダンボールに梱包し、連れ去ろうとしている絵……のイメージで借りました。
気になる動きとはいつもどおり主役に絵を書かせる行為を強要するところだけど、もちろん免色は強要などしない。なんかわからないけど書くか……という形にいつの間
スバルフォレスターの女と佐倉双葉
これは騎士団長殺しの感想なんだけど─────人を選ぶ気がしています。下品です。だからここに書いている。ヘッダ画像をお借りしています。
上巻にスバルフォレスターの女が出てきますね。それがぼくは佐倉双葉のイメージに塗り替えられてしまったことを書きたいわけです。
でもこれは……佐倉双葉のファンからすればふざけんなとしか言えない所業であるとぼくは思っている。最初に読んだときはそんなこと思わなかった。ぼ
共通した欠如とは、欠如が本来宿る媒体を無くしたまま統合できるのか?
騎士団長殺しの1巻、もしくは上巻と言うべきなんでしょうか、上巻の278ページには主人公が書いた絵を自分で見てるシーンがありますね。ヘッダ画像をお借りしています。
さらに一瞬別の場所に行ってた主人公は、座ってた椅子が同じ場所になかったことに気づきます。こと絵を眺める位置については神経質だかららしい。
つまりこの場面は本の表題でもある騎士団長がマジで登場して、読者をビビらせるシーンなんだけど、その