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村上春樹『街とその不確かな壁』第2部の主人公は影の成り代わりじゃないの

はじめに

街とその不確かな壁を読んでるんだけど、いま第二部に入り始めました。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくはこれまで「いま2周目を読み始めている『騎士団長殺し』の感想」を折に触れてめっっっっっっっちゃ書いてたんですけど、町とその不確かな壁については一部が終わるまでここで話題に出さなかった。

別にそれに理由はなく、もしかしたら騎士団長殺しのときもそうだったかも知れないんだけど、一発目の感覚はあまり「自分の感想タイム」という自分による差し込みすらも邪魔者扱いしていた/いるのかも知れない。

第二部になるまでは幻想描写が甚だしく多い。第一部までの物語は、現実と幻想の境界が曖昧であり、多くの理解の余地を残しています。本論では、第一部の内容をもとに、第二部の主人公が第一部の主人公の影であるという仮説を持ったので考察します。


第一部の概要

第一部では、主人公が幻想的な街に迷い込む様子が描かれる。この街は壁に囲まれており、その中で主人公は様々な奇妙な出来事に遭遇する。この壁が不確かなの?そこまでそうは見えないんだけど

物語は主人公と彼の影が互いに影響を与え合いながら進行する。影は主人公の一部でありながら独立した存在として描かれ、二人の関係は物語の鍵となる。

主人公と影の関係

主人公と影の関係は村上春樹の他にも見られるテーマだった。

例えば、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』では、現実世界と幻想世界を行き来する主人公が描かれる。これは発売前から焼き直しだからそうだよ~と言われてる。

このような二重性は、現実と幻想、自己と他者の境界を曖昧にすることで、とにかく喩えをしたくてたまらん感じを残している。『街とその不確かな壁』でも同様に、主人公と影の関係を通じて人間の内面と向き合うテーマが浮かび上がるのかも。

幻想的な世界観

第一部の世界は非常に幻想的で、現実の物理法則に縛られない出来事が次々と起こる。

主人公はこの街で奇妙な住人たちと出会い不思議な体験を重ねる。こうした幻想的な設定は、読者に現実の枠を越えた想像力を働かせるのかも。また、この世界観があるからこそ、影が独立した存在として描かれることが可能もっなっているのか。

不確かな壁

タイトルにもある「不確かな壁」は、物語全体を通じて重要な役になっているっぽい。

この壁は現実と幻想、自己と他者を隔てるのか?

その存在は曖昧であり、時に消失することもある。勝手に移動する。逃げることに罪悪感を覚えるとそれに反応して勝手に出てくる?生きてるわけじゃない?

この壁の存在が物語に緊張感をもたらし、主人公と影の関係性を深めている。

第二部の仮説

第一部の終盤、影は主人公と共に行動し、命を繋ぎとめるために生気を分け合う。この設定を踏まえると、第二部の主人公が影であるという仮説ができた。以下に、その理由と可能性について詳しく述べる。

影の生存

第一部の終盤、影は主人公と共に行動し、命を繋ぎとめるために生気を分け合う。この設定を踏まえると、第二部の主人公がもともとの主人公をまんまコピーすることは簡単なはずである。もっともそんなの作者の匙加減だが……

影が主人公と行動を共にすることで生気を取り戻し、命を繋ぎとめた結果、第二部で主人公として登場することは理にかなっている。

この仮説は他の文学作品や映画でも見られるテーマだ。

例えば、フィリップ・K・ディックの『暗闇のスキャナー』では、主人公が薬物依存によって二重人格のような状態に陥り、自己のアイデンティティが揺らぐ様子が描かれている。同様に、影が主人公のアイデンティティを取り込み、新たな主人公として再生するという展開は充分に考えられる。

幻想的な世界観

第一部の世界は幻想的であり、現実の物理法則に縛られないため、影が主人公として再登場することも納得がいく。

この世界ではキャラクターの役割や存在が流動的であり、影が主人公として生き延びることは充分にあり得る。

例えば、『1Q84』では、現実と異なる世界が交錯し、キャラクターの役割が変わることがある。このような設定は、ガブリエル・ガルシア=マルケスの『百年の孤独』などの魔法現実主義の話にも見られる。

現実と幻想が混在する世界で登場人物の存在が曖昧であることは、物語に独特の深みを与える。このような設定が『街とその不確かな壁』にも適用されると考えられる。

人格の変化

第一部で描かれる影と主人公の関係は、影が主人公の一部であることを示唆している。じゃなかったらいちいち影に人格なんて付与するだろうか。

このため影が第二部で主人公の役割を担い、元の主人公が行方不明になるという展開も自然だ。人格の変化は、村上春樹の他の話において重要なテーマの一つである。

例えば『ねじまき鳥クロニクル』では、ある人が異なる人格に変化することで物語が進行する。このような変化が『街とその不確かな壁』にも見られるかもしれない。

過去との比較

村上春樹の話には、しばしば内なる自己との対話や二重人格的なテーマが登場する。

例えば『海辺のカフカ』では、主人公カフカと彼の内なるからす的ななんたらが物語の進行において重要な役割を果たす。

また、『1Q84』でも、現実と幻想の境界が曖昧な世界が描かれ、キャラクターたちが異なる現実を行き来する。こうしたテーマは、『街とその不確かな壁』にも通じており、影が第二部の主人公であるという仮説を支持する要素となるのかも。

影の役割と物語の展開

影が主人公として再登場する場合、物語の展開にどのような影響を与えるのであろうか。

影が主人公となることで、物語は新たな視点を得ることができる。影が持つ内面的な葛藤や自己認識の変化が、物語の深層に新たな層を加えることになる。

例えば影が自己のアイデンティティを模索する過程で、新たな発見や成長を遂げる可能性がある。これにより、物語は単なる冒険譚ではなく、深い心理的な探求の話に変わる。

このようなテーマは、さっきも言った共通がある。『1Q84』では、主人公が異なる世界に迷い込み、自分自身の存在意義を問い直す過程が描かれている。同様に、『街とその不確かな壁』でも影が主人公として再生することで、物語のテーマがより深く(かどうかはわからないが)複雑なものになることが期待される。複雑なことはあんまりうれしくない気がする。

第二部の展開予測

第二部では、影が主人公として生き延びることにより、物語が新たな展開を迎える可能性がある。

影が主人公の役割を引き継ぐことで、彼の視点から物語が進行し、元の主人公の行方を探る展開になるかもしれない。

また影が主人公として生きることで、彼が直面する新たな試練や葛藤が描かれることが予想される。図書館の人として─────

結論

第二部の主人公が第一部の影であるという仮説は、物語の整合性を保てる。展開として意外である。村上春樹の話は常に多義的であり、読者に深い考察を促す。当人的には実は深くないのかも知れない。

この仮説をもとに、今後の展開を楽しみにしながら読み進めることができる。『街とその不確かな壁』は、現実と幻想の境界を曖昧にし、人間の内面を探る。第一部の内容を通じて、第二部の展開について様々な仮説を立てることができて楽しいといえるのかも。少なくとも今後の物語がどのように展開していくのかの期待は止まらない。

また他と比較すると共通するテーマやモチーフを見つけ出し、それが『街とその不確かな壁』にも反映されているかもと考えることができる。全体に対する理解が深まり、彼の作家としての独自性を再確認することができるでしょう。

この仮説を念頭に置きながら、『街とその不確かな壁』を読み進めることで、物語の複雑さと深さをより一層楽しむことが(少なくともまだ先を読んでないぼくだけは)できるでしょう。

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