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#自分にとって大切なこと

定番の記事一覧

年商1億円を超える無在庫販売専門家がBUYMA(バイマ)の稼ぎ方を教えます!

はじめまして! 今回からnoteで 情報発信をさせて頂く BUYMA無在庫販売専門家の ”高橋 雅”です! 書籍を出版しました^^現在僕は、バイマで 無在庫販売専門のプレイヤーでもあり、 バイマ高値売り専門 コンサルタントとしても 活動しています。 今では僕自身、月収100万円以上を達成し 数十人のコンサル生を稼がせています。 日々、公式LINEで6700人の読者に 超有料級の情報を発信しています。 現在は、新アカウントを立ち上げ  新規 読者様を募集しておりま

浪人時代の私が17年越しに起こしたちょっとした奇跡のおはなし

嘘のようで嘘じゃない、本当のおはなし。 1ヶ月ほど前のある日、業務関連の連絡で埋まっていた私のメールボックスに、なにやら気になるタイトルのメールが届いた。 件名:「ただの思い出話ですー」 見るとそれは本当に感謝してもしきれないくらい、当時お世話になった高校の恩師からの突然のメール。卒業後も何度もお世話になっていたものの、とても久しぶりだったので 「なんだろう?」 と開いてみると、そこには17年前に本当に必死になってあがいていた頃の私の記憶とともに、その時起こった奇跡

プロフィール紹介

✅プロフィール紹介名前:さかもん 世界に冒険と貢献の旅にでる日本人を応援する! あなたのビジネスマインドに火をつける外資系ビジネス英語コーチ🔥昭和4×年東京近郊に生まれ、東京都内私立大学を199x年に卒業。 ✅学生時代 学生時代は英語の勉強と外交官試験の勉強だけに時間を費やしました。3年間毎日10時間近く勉強して、難関の外交官1次試験にはなんとか合格。その後数日に渡る長い2次試験の渦中に、1次試験合格者で親睦会がありました。そこで、周りの人のバックグラウンドを知り圧倒され

Panasonic×noteで、投稿コンテスト「#自分にとって大切なこと」を開催します!

【4月26日更新】 審査結果を発表しました!以下の記事リンクからぜひご覧ください。 Panasonicがnoteとコラボして、「#自分にとって大切なこと」というテーマで投稿コンテストを開催します! 人と接するうえで、日々の生活で、大きな決断をするときに。あなたが大切にしていることはなんですか? ふと気づいたら大切にしていたことや、誰かのふるまいを見て心がけるようになったこと。そんな、あなたにとっての「大切なこと」についての投稿を募集します。 人と接する時やなにかの選択

あなたは、変わる事への不安と、変わらない事への不満。 どちらを選ぶ人か

2021年が明けて、もう1ヶ月が経ってしまったことに驚愕しながら、日曜日の朝、このnoteを書いている。隣では、0歳の息子が寝起きでウンウン唸る声が聞こえる。旦那さんはまだ寝ている。明日は会社の株主総会だ。来週は期限の遅れられない大事な仕事が目白押しだ。 ・・・そんな私のちょっと貴重な日曜日。 年が明けてからも小忙しく、やっと1日まるっと予定が空いたので、これを機に、2020年妊娠・出産・CEOの就任という激動の変化を経て、今感じている「自分にとって大切なこと」を率直に綴っ

できそうなことを、すぐやる。

「#自分にとって大切なこと」というお題があったので書いてみようと思います。自分にとって大切なことってなんだろう。すぐ浮かぶのは、「アイデンティティ」とか「時間」なのですが、そうえば、僕の行動原則は「できそうなことを、すぐやる」です。 いつかやってみよう、ではなく、いますぐやる僕はこれまで、大小あらゆる決断において、“入念に計画し、熟慮を重ねて実行” したことがほとんどありません。目の前にある、「できそうなこと」に飛びつくことが圧倒的に多いです。 自分の決断なんだからなんと

自分の夢

目次 両親のこと父がマスコミ関係者。 母はお嬢様で広告関係に縁故で入社。 その後は専業主婦になり 私は一度も怒られた経験がありませんでした。 若草物語のように四姉妹の四女だったので お嬢様なのにお転婆で でも優しくてお洒落の大好きな美しい人でした。 若い頃はそれこそお姉様の影響を受けスキーなど色々楽しんでいたそうです。 しかしゴルフは好きですが 雪国育ちなのに雪が大の苦手で上京した父に合わせ その後は一度も行かなかったです。 物置にスキーの板がずっとあったことを今でも覚

泣き虫だから、手を握る。

おばあちゃんに会ってきた。 ぼくは動揺した。 こんな状態として見るのはやっぱりびっくりする。 姿を見てると気持ちが溢れた。 涙が止まらなくなった。 一生懸命生きてるおばあちゃんが誇らしい。 死ぬのが怖い、怖くてたまらない。 まだ生きてたい。 今日も沢山聴いた。 ピースしてっていったらダブルピース✌️ ちゃんと意思の疎通もできる。 まだまだ生きれるね。 大丈夫。 最近になって、一歩踏み出した背中が押して欲しくなって、直接会話をすることはもしかしたらもしかするから、聞きた

南極行ったらさすがに旅に満足をした話

 2019年から期限のない早足の旅を続け、ついに2020年1月に南極を訪問し大満足し「これで旅の生活に区切りをつけられるぜ!ウェーイ!」ってなって旅に区切りをつけた話です。  南極からアルゼンチンに戻ってきたその日に、どうしても記録に残したく記憶を総動員して書いていたら約2万字という学部の卒論レベルの文字数に達しました。多くのどうでもいいことは自分のために書いていますので、写真を中心にご笑覧ください。 ◇ 「宇宙よりも遠い場所」は、果てしなく遠かった。 南極への道のり。

「だれかを救いたい人」は、救われたい人。ひとを救っているのは、だれなのか?あるいは、ひとを救ってしまう方法について。

他人を救うのは、他人の不幸を笑うひとなのかもしれない。 はじまりぼくには「だれかを救いたい」という衝動に襲われたことが一度もない。 世界を見渡すと、「だれかを救いたい」という衝動で動いている、としか説明できない人々が多く見られる。そういう人に、たくさん出会う。 けれど、それを外から見ていると、それは決して神聖な行いでもなければ、紳士的でも、慈愛的でもない。「食欲」や「性欲」と同じように、そこにある空虚な穴を埋めたい、という単純な欲望から生じているように思えてくる。 思

連続投稿100投稿目。改めて感じる仲間の価値!

こんにちは!矢上です。 今回で毎日投稿100日目になります!読んでくださってる方の応援やスキのおかげで継続できています。いつもありがとうございます! これからもいい記事を書き続けます! 連続投稿をしていて気付くのはやはり、仲間やサポーターの存在って本当にでかいよなということです。 僕もいろんな方のnoteを拝見、勉強させていただき、自分のモチベーションUPに繋がっています。 実社会においても仲間やサポーター、コミュニティの価値はこのご時世だからこそ強まっていると感じま

女子高生の私が先生と契約を交わした話

期末テストの勉強期間に差し掛かろうと言う時期。私はいつもの通り数学という学問に絶望していた。 「ホールケーキとハーゲンダッツが貰えるなら私だって頑張るのに!」 齢16になったというのに小学生のような文句としょうもない駄々を延々とこねくり回す私。冗談半分、本音半分の発言だったが、それを聞いていた数IIの先生がポロっと呟いた。 「エムコが本気なら考えてやらんこともないぞ。」 「本当ですか?!」 私は光の速さで飛びついた。きっと先生も冗談だったに違いないが、一言一句聞き逃

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お酒とスシとごはんとわたし

人生前期は仕事とおひとり様満喫✨後期は育児プラスこれからです!

私の働き始めてからの人生はパキッと分かれています。前期と後期に。 仕事はずっと続けていますが、生活と考え方は大きく変わりました。 たとえてみれば、赤と青、くらいに。 これからまた変わります。今度は何色になるのでしょう。 出身は東京ですが、小学校時代は父の転勤で北海道にいたので、ド~ンと広がる空や草原が好き。森も好きです。 大学は文学部専攻。本は小さいときから毎日1冊、呼吸するように読んでいました。それは今も(時間と量は減ったけれど)変わりません。 本は私の伴侶です。 会

★ 自己紹介 ★

皆さんこんにちは。 お読みいただきありがとうございます。 私がどんな人間か自己紹介がてら記載します。 このnoteを書いてる人物がどんな人なんだろう と思う方は読んでみてください。 愛媛県は松山市、一人っ子の長男として生まれ 育ちました。 大学卒業の22歳まで愛媛にいたため、地元愛は 強い方です。 実家でミニチュアダックスフントを飼っており、 犬がとにかく小さい頃から大好きです。 今うちにいる子も中学生の時に親に懇願して 迎え入れました。 あとは、音楽を聴くことや、映

僕が宇宙を仕事にする理由

「自分にとって大切なこと」とは何だろうか。 僕にとっては「なぜ宇宙をやるのか?」その理由が答えだろう。 3日前、僕が初めて開発に携わった探査機「パーサヴィアランス」が火星へと降り立った。 開発は決してスムーズではなく、苦労も多かった。スケジュールに間に合うか何度もヒヤヒヤさせられた。だけど、つらいときもこの瞬間をイメージできたから頑張ってこれた。 僕が宇宙開発に携わる上で、原動力となっているのは「人類が外の世界を知ろうとあがく力の一部になりたい。それに一度きりの人生を

ストアカ講師いむ先生の紹介

はじめまして、ストアカ講師のいむ先生です。 私は、オンラインを中心に SNS集客・ストアカ集客コンサル ダイエットコーチをしています。 いむ先生の個別相談はこちらです↓ 他にも、 など興味あることに色々挑戦しています。 私の人生のテーマは、 【 挑戦 】 です。 ・中学時代にいじめられっ子でしたが、プロボクサーに ・高校ではヤンチャして中退しましたが、理学療法士(国家資格)に ・学力も低く英検5級を3度落ちた経験からTOEIC740点に ・コロナで収入9

コンセプト📚自己紹介🚴サンクチュアリ創ろう『引き寄せ』『複業大学』『大戦略FX』あなたを引き上げます✨

✅ご覧頂きありがとうございます、Datemanです。プロフィールや趣味や職歴は最後にたっぷり書いてあります。 🌐サンクチュアリ、自分の理想の現実を創ろう⇒①美味しいコーヒーを飲んで波動を上げる、②感情が揺さぶられる少し先の自分を想像しよう、③ヒラメキを行動に移してみよう。最初はこの3つを意識してみてください。 ●●● 私のコンセプトノートは、こちらの3つがテーマです。 ✅『"引き寄せの法則" を理解することで願望実現を早める』 ✅『"複業大学" で自分ビジネスで経済

机に「死ね」と書かれたキミへ

息子の机に「死ね」ということばが書かれていた。 この事実を私が知ったのは、仕事帰りに、実家に子供を迎えに行った時だった。 私の母親は、子供たちを週2回ほど学童に迎えに行き、仕事が終わるまで預かってくれている。非常にありがたいことである。 私は一瞬うまくことばを飲み込めなくて、母親にもう1度聞き返した。 「だからね。死ねって書いてあったんだって。本人が言ってる。担任の先生が書かれた文字の写真を撮ってくれたみたいだよ。その子の親に一言文句言ってやりたいわ。ひどいよね。」

手仕事デイズ♫

「針仕事とか無理だし。こういうこと私は一生やらないし、興味ないから」 結婚するまで、自分でボタンさえつけなかった私。説明をちゃんと聞かないし、細かい事が苦手。テキトーに見切り発車するので、どれだけ積んだか失敗の山。今思えば、ずいぶん遠回りして来た気がする。思い描いたように出来ない歯痒さ、何度もサジを投げては周りにおだてられて、性懲りもなくまた手を出す。これが終わったら一切やめよう。そう思いつつ、またいつの間にか 何かを始めてしまってる。 ★ 何でもいきなり縫う 柔らかい

いつも心の中に、インド人と猫を住まわせるようにしている

人間、生きているだけで十分に偉いはずなのに、それに見合わないくらい苦しいことや腹の立つことが往々にしてあったりする。 こちらとしては普通に生きさせてくれればいいのに、余計な面倒がふっかかってきたりする。 別に致死に値するわけではないので、深手ではない傷を負いながら生きている。 常にどこかから何らかのダメージを受けつづけていて、傷一つない状態でいることはまずありえない。 それらのダメージは基本的には人体には有毒で、量が多すぎると危険だが、適度な量ならかえって健全だとされてい

行ってみたかったぁ!佐賀 ①

春から計画していた九州の旅、夏休みを秋に持ち越して(お金を貯めてw)「ぜひぜひ行ってみたかった」憧れと前のめりのワクワクとで、いざ出発。 東京生まれの私達ですが、夫は幼少期を北九州、黒崎で過ごし、私は独身時代に博多へ友人を訪ねた以来、本当に久しぶりの九州です。11月だというのに夏のような日差しで、地図を帽子代わりに、半袖Tシャツでの眩しい秋の旅行になりました。 佐賀空港は新しく近代的でしたが、駐車場が無料ってすごい。レンタカーが空港内(すぐ隣)歩いて数十歩ってのもビックリ。

着たい服を考えると、自分が本当に望む働き方が見えてくる

5年後に欲しいキャリア、うまく答えられない問題「小沢さんは将来的にどんな仕事がしたいの?」とよく聞かれます。 会社員時代は4半期ごとにOKRとか目標設定とか評価面談があったし、「今やらなきゃいけないこと」に取り組むことはできる。フリーランスになってからも、3年単位での「こうなりたい」はわかる。目標もある。 でも、それ以上先は自分でもわからないんですわ……。なんせインターネットの仕事ってめまぐるしく変わっていくしね。やりたいことやできることだけでなく、市況を見ながら生存戦略

息子の「赤ちゃんはどこからくるの?」に答えた

小学生のとき、たまたまテレビでやっていた不倫ドラマを見て、母に聞いた。 「このお姉さんは、どうして結婚していないのに赤ちゃんができたの?」 母は言った。 「男の人と女の人は結婚せんでもな、愛し合うと赤ちゃんできるときあるんや」 大人になって考えてみると、ずいぶんうまい言い回しをしたなと、自分の母親ながら感心する。「お茶濁し名人」と呼んで差し支えない。 だけど、大人になったからこそわかる。 「妊娠」にとって「愛」は必要条件でも十分条件でもない。 ・ 「赤ちゃんはど

Notionの“本棚化”をやってみたらとてもよかった話

昔から「紙の本」を買ってきたのですが、とうとう限界がきました。 本棚がいっぱいになってしまったのです。 (すでに本が本棚に収まらず、本棚の脇に積まれてしまっている……) 「もうダメだ!!!Kindleで買うしかない!!!」 と思い、Kindleなどを使って読むようになりました。 しかし、電子書籍も複数使っていたり、本棚からあふれてやむなく押入れに入れた本があったり、読んだあとメルカリに本を出したり……といったことをしていて困ったことが1つ。 「読んだ本をあとからま

復職して3ヶ月後に心が折れたワーママの話

こんにちは!さくら(@SAKURAs_letter)です。 とてもお久しぶりの更新となりました。みなさま、いかがお過ごしでしょうか? 私は2021年2月末に第2子育休から復職をして、現在は時短勤務で働いています。仕事に復職してからちょうど3ヶ月が経過しました。順調に仕事にも慣れ、基本的にはリモートワークで出社頻度も少なく、順風満帆という出だしではありましたが、復職3カ月を経過したある日突然ぽっきりと心が折れてしまいました。 世の中には復職に際してどんな準備をするといいのか

サラシを胸に巻いてた妹に、黄色いミモザの花を届ける

2021年3月8日、「国際女性デー」のきょう。 この日は大切な女性へ、黄色いミモザの花を送るそうだ。それを知ったわたしが真っ先に思い浮かんだのは、三番目の妹のことだった。 あれはちょうど10年前、小さなワンルームで、彼女とふたり暮らしの時期があった。当時のわたしは鎌倉の結婚式場に勤めていて、地元名古屋を離れて3年ほど経過していた。一人暮らしに慣れてきたある日、母から電話があった。 「大変なの。三女ちゃんが、車から飛び降りたの!」 「えぇ!どゆうこと…?」 「走り出す

「死にたい」と嘆く夜に

「死にたい」と声を枯らし泣いた夜があった。 29歳という絶妙な年齢になった私は人生の重要な選択肢を突きつけられている。 収入、キャリア、家庭、出産...。そしてそこにコロナまで降りかかってきた。その重荷に心身共にぶっ潰されてしまい、部屋の片隅で泣きじゃくりながら「生きていることが辛い」と彼に泣きついた。 この日のためにがむしゃらに頑張ってきたと言っても過言ではない、夢にまで見たアメリカでの単発のお仕事の依頼も留学斡旋会社さんとのコラボのお話も突然のコロナウィルスの登場と共

私の無月経のはなし

私は21歳から33歳までの12年間、一度も生理がありませんでした。 「続発性無月経」というやつです。 医学的には無月経の定義は「妊娠などの理由を除いて、約3ヶ月生理がないもの」です。12年ということは、その48倍の期間です。誰もが治すことは無理だと希望を失いますよね。 ですが、私は12年間にも及ぶ無月経を克服し、今では毎月安定した生理を迎えています。 専門医からは「子宮が小さくなっている。」「卵巣が機能してない。」と言われた私。 そんな私がなぜ無月経を克服できたのでしょ

お金を使って楽しむことに罪悪感をおぼえていた私へ

25才の1月。 社畜だった私は新卒で勤めた会社を辞め、次の仕事につくまでの間に、なんとなく台湾に遊びに行くことにした。 次の仕事や将来の目標も、何も決まっていない。 お先真っ暗とはまさに今である。 ただ「どうせならゆっくりすれば」という母の助言と、なけなしの退職金が台湾への往復航空券代とぴったりだったから、行ってみることにしただけ。 そんな適当な決断だった。 台湾は、一般的にどういう理解がされている国なんだろうか。 私は何も知らなかった。 例えば、台湾ではコインのよ

内なる声に聴いた「家」を、本当に見つけてしまうまでのお話 part1

「お前の家が南にある。家を探せ」  5年前のある日、東京のワンルームに住んでいた僕はそんな内なる声を聴きました。  すぐに退去届を出して家財道具をすべて処分、大事なものは段ボールに詰めて北海道の実家に送り、100冊以上持っていた本をすべて中古屋に売り、キーボードやギターも売り払って飛行機代に替え、一人で背負える量の荷物だけを持って沖縄に飛びました。アパートを出る際、一度も振り返らずに駅まで歩いたのをよく覚えています。「南にある」と言うからには、日本最南端の県に行って間違い

コツコツができないボクが『 朝ごはん 』を1000食つくって気がついた5つのこと〜 ボクの中の小さな自分改革 〜

" 家族でも恋人でもない人たちに ボクは『 朝ごはん 』を1000食つくっていた。 " それはコツコツすることがなかなかできなかったボクがこの1年唯一コツコツできたことだと思う。 『 何してるんだコイツ 』 と思うかもしれない。 でも 『 朝ごはん 』という存在は ボクのこれからの人生で大切なことを いろいろ教えてくれた気がする。 今日はそんな 『 朝ごはん 』をつくりはじめたキッカケと そこから気がついたことをお話しさせてください。 - ボクと朝ごはん 『 ボ

🌈noteやプロジェクトを通じ出会い楽しみながら 変化していく『#自己紹介』記事

読みにきてくださり、ありがとうございます! 定期更新。2023.6.17更新の自己紹介記事です。 プロジェクトに携わることで、 仲間とともに飛躍し 生きやすい居場所のひとつになり ワクワクドキドキ過ごしていきたい。 そのために日々私ができる小さな活動を 楽しくコツコツ行っています😊 ≣≣≣≣≣✿≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣≣ ここ数年の動き。。。 2021年からNFTに触れだし2022年5月から本格的にDAOで活動し始めました。 最近のnoteでは

あの世に行ったかもしれない友へ捧ぐ《4/4》

〚5051文字〛  ※読み終えるまでに14分程度掛かります。ごめん、長くなりそうです。 ☟_前回はこちら。 ■Fの覚悟9月になって電話を掛けると、Fは家を引っ越していた。 8月に会った次の週には物件を決めて、その時にはもう新居の賃貸に住んでいたという。 高齢の母親のために駅に近い場所へ以前から引っ越しを計画していたと説明していたが、僕には気になることがあった。 引っ越しは結構大変なイベントだ。もし引っ越しを考えているなら、先月会った時に少し話してくれても良かっただろう。

高校受験にむけて小学生の親として考えておくべきこと

今春の大学受験では都立や県立など公立高校の健闘が話題です。 「部活や行事が中止になって勉強時間が増えたからでは」 「地方の優秀な生徒が都会に出るのを敬遠したのでは」 いろんな分析がありますが、それは Twitter で盛り上がってもらうとして、ここでは(主に東京の)高校受験を考えるうえでのポイントをまとめていきたいと思います。 小学校時代の塾は必要か?近年の都立高校の人気の高まりにより、「小学校高学年から受験塾に通わないといけない」という話をあちこちで耳にします。 で

藤井風の風に、吹かれ続けていたら…。

なにかに癒されるってどういうことだと、 なにかがわたしの中に入ってきて、よしよしと 背中をさすりながら声かけられたような瞬間って なんなんだって。 ずっといぶかし気に思っていた実は。 でもなんていうか、この年齢になってなにかにすがる ようにそれを欲していることに気づいたのはnoteを 書いている時だった。 わたしのnoteの記事のスタイル、ま、そんな格好のいい もんじゃなかだけど。 最後にはyoutubeを貼り付けるのが癖になって。 それがいつ頃からなの

書いたって何になるのだろう?

人に嫌われたくない。家で脱毛をした。友達がいないなどと、私の頭の中を文字にしてネットに垂れ流して、一体何になるんだろう? 有名人でも何でもない、田舎に住む平凡な主婦の日記を世界に公開したところで、誰が読むんだろう? ライターになってバリバリ稼ぎたい!というわけでもない。この世に私という人間が生きた証を!ベストセラー作家に俺はなる!とかいう野望を持ってるわけでもない。 なのに、書いてる。昔からずっと書いている。 1人1ページずつ毎日!と取り決め、更新が遅いとしつこく取り

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花でも魔法でもなく、気に入りの言葉を口ずさむこと。

暗闇を照らしゆく、灯台のような人になりたい

「どんな日々が続いていたとしても、これから幾らでも輝いていける」 *Episode 0* はじめまして。noteをご覧いただいてありがとうございます。 私は東京を拠点に活動するアーティスト、Priscilla Lei。トランスジェンダー女性として生きることにも奮闘中。みんなからは「プリちゃん」という愛称で呼ばれている。2016年から5年間、『心に灯す光と色彩のパレット』という創作テーマのもと、"絵画のような写真・フォトアート"の創作活動を行う。 具体的に説明すると、日

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母の背中

他ではなく自分を生きること自体が祈り( ^^ω)🩷

て・ん・の・か・み・さ・ま・の…言う通り♪ん?( ^^ω)えっ…………………… 神様はそれを望んで、いる…のか?? どうかな?(*p'∀'q)ワクワク🩷 望んでないよ!wwwwww もちろん神様は大切なみんなの友達。 だけど、 神様 の言う通りでは無くて わーたーしーのー(あなたの) 言う通りっ♪うーふふふ( ^^ω)🩷 そろそろ。まぢでそろそろ! それぞれが 「あなた」「私」の言う通りにしませんか? 自分で自分を手懐けられないほどの幼児退行やめよーっ📣🩷🩷

「自分に優しく」は正しいと思いたい。

自分自身が、自分に一番厳しい説。 みなさん、これどう思いますか? それ、あるかもしれないですね。 だって、私そうですもん。 何かやろう、何か新しいことを始めてみよう、チャレンジしてみよう。 あ、でもやっぱりやめとこうかな。 失敗したら嫌だし恥ずかしいし落ち込むし。 なので結構です。私、やめときます。 こんなこと言ってたら、そりゃ自尊感情もどんどん低くなっていくし 自分を全く信用していない証拠ですよね。 だって、やる前から「私なんてどうせできない」と自分を否定する。 ま

左胸を失って、生きやすくなったと思う

私には左胸がない。5年前に乳がんの手術をして、全て切り取った。乳房再建はしなかったので、私の左胸があった部分には、今も横一文字に引かれた傷跡が残っている。 服を着ていれば分からないので、見た目は普通の人と同じだ。普通の母親で、普通の店員で、どこにでもいる普通の人。術後も以前と同じように過ごしているので、こちらから伝えた友人以外、誰も私が乳がんだとは気付かないだろう。 唯一、温泉に行った時だけは、コソコソと着替えて、チャチャッと洗って、ドボンと浸かる慌ただしさにはなったが、

私の回りにあるもの

このマンションに引越して来て15年近く、以前よりコンパクトになって掃除は楽になったが、自宅で仕事をする家族も増えて、室内は毎日しっちゃかめっちゃか。それぞれにモノは増え、脱いだ服は椅子にかかり、読みかけの本たちのちょっと置きがやたらとある。子供もペットもいないのに、なかなか片付かない。誰も来ないことを良いことに、この状況に全員が麻痺している。私だけが「捨てますよ」「片付けよう」年がら年中、小言を言い続ける。この家族の中でモノを捨てられるのは私だけで、モノが無くなった時の犯人は

ひとり、知らない人に花束を贈る

一人、花束計画をしている。 庭に咲いた花で花束を作って、ジモティーで無料でプレゼントしている。 最初は仏壇に飾るという理由で色々揃えた花たちだけど、仏壇にもそんなに飾りきれない。かといってずっと咲かせっぱなしでは苗が消耗してしまうのだ。 だから切って、最初は家の中に飾っていた。ターシャテューダーみたいでかっこいいけれど、他の人とも共有したくなった。 最初は友達に送ろうかと思っていた。喜ばれそうだけど、ちょっと重いかなとも思った。顔見知り同士なら、お礼をしなきゃいけない

SNS疲れ症候群が重症化した

「フォロワー○○人突破しました」 「見て私の幸せな毎日!」 「私こんな資格持ってます!」 「【ご報告】〜」 SNSを開くと500%の確率でこういった投稿が目に飛び込んでくる。 乗車率200%と言われている朝の東西線よりも精神的に苦しい。 私の心臓が潰れる5秒前。 「君よりも優れている人はこの世にたくさんいるよ。」 そう言われているような気分になって、 元々無かった”自信”が小さく小さく削られていく。 私はもえぴという名前でSNSで仕事をしている。 https://www

心を凪にする。―弁護士に聞く「批判」への考え方―

Twitterの通知欄にぽこっと数字がついたので、タップする。誰かが私のnoteをシェアしてくれたらしい。添えられた感想を嬉々として読むと、サーッと心臓が冷えていった。 「殺意が沸く」 私の書いたものを読んだせいで、ひどく気分を害されたようだった。 そのツイートをした人のことを、便宜上「彼」と表現する。 彼が読んだのは、私が一年と半年程前に書いた『「学生時代に戻りたい」なんて言う大人になるな。』というnoteだった。主にタイトル通りのことを綴っているので、詳細は割愛。

20年ぶりの飛行機、爆走の北海道①

2022 夏、夫と2人で北海道へ。昔は海外旅行もひょいひょい気軽に、パスポートなどスタンプを押すスペースもないくらいだった私が、パスポートがいつ切れたかも記憶はない。飛行機に乗るのも、ん〜多分…20年ぶり?羽田空港も、私の記憶に残る退屈なダサさはなく 「えっ、なんだか素敵!」 「こんなオシャレだった?」 キョロキョロ。探検がてら、ゆっくり半日かけて見て回りたくなった。 早朝発のJALは満席、ドキドキしながら無事、新千歳空港到着。札幌市内を観光した事もない私達なのに、まるっと

誰かとともに暮らすということは、案外努力も必要らしい

二人で暮らすようになって半年が経った。 一緒に暮らすまでは「誰かと暮らすなんて!」とたった3年ちょっとの一人暮らしだったとしても、あの何をしても許すか許さないかは自分次第な自由奔放な生活を手放すのはちょっと惜しかった。引っ越し前は楽しみよりも、一人の時間が減ることの不安を口にすることも多かったっけ。 だけど、思った以上の心配は起きず(「たまに自分のこと嫌い?!って思う」と彼に言わせるほどいらいらが全面に出ていることはあるけど)、楽しい時間を過ごしていると思う。 好きな人と暮

(日常で思うこと)彼女の好きな唄と孤独感

妻と子どもが寝静まった頃、BSでエレカシの宮本さんが出演している特集番組とフェスの演奏を立て続けに観た。 このバンドの曲を聴くようになったのは、社会人になって2年ほど経った時のこと。きっかけは忘れたが、不器用な男のもがいている姿が実直に語られていて、それを自分自身と重ねることが多かった。 あの頃、ぼくは毎日のように怒鳴られ、貶され、学生時代に作り上げてしまった無駄に高い自尊心を踏みつけられていた。 勤め先からの帰り道、イヤフォンから彼らの曲を体内に取り込みながら、繁華街を