のもとしゅうへい

99年高知生まれ。東京藝術大学(休学中)。文章を書きます。いまは真鶴におります

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99年高知生まれ。東京藝術大学(休学中)。文章を書きます。いまは真鶴におります

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    • 週報『海のまちにくらす』

      2022年春から大学を休学して東京を離れ、新しい土地で生活をしています。湾に面した小さな半島です。海のみえる部屋でこの文章を書いています。ここでは僕は、土地を訪れて通過していく観光的旅行者でも、しっかりと根を生やした恒久的生活者でもなく、わずかに宙に浮いたような位置にあります。そうした心地のよい孤立とともに暮らしています。  生活をしているといろいろなことを考えます。できごとも起こります。生まれる心象をスケッチのように書き留めておくことで、形のあるものに置き換えることで、自分自身が今どのあたりにいるのか立体的にわかってゆけるような気がするので、文章を残しています。感じたことを書くだけなので、あまり努力もせず、その時書けることをただ書いています。 7日おきに発行する、週報のような連載です。

    • 詩集『南緯三十四度二十一分』

      詩集『南緯三十四度二十一分』収録作品の一部を掲載しています。

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    いつも心の中に、インド人と猫を住まわせるようにしている

    人間、生きているだけで十分に偉いはずなのに、それに見合わないくらい苦しいことや腹の立つことが往々にしてあったりする。 こちらとしては普通に生きさせてくれればいいのに、余計な面倒がふっかかってきたりする。 別に致死に値するわけではないので、深手ではない傷を負いながら生きている。 常にどこかから何らかのダメージを受けつづけていて、傷一つない状態でいることはまずありえない。 それらのダメージは基本的には人体には有毒で、量が多すぎると危険だが、適度な量ならかえって健全だとされてい

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      • 海のまちに暮らす vol.33|かの犬がたちあげる、ない町

        Ⅰ (文章を書くことについて僕が想うのは、やっぱり、今まさに起きていることよりも、もう失われてしまったものごとのほうにいくらかの作用点があるのだろうということだ。なので少し前の話を書く) Ⅱ  西武沿線に住んでいた時に通っていた古本屋のことをたまに思い出す。その頃僕は6畳のアパートに住んでいて、おそらく店の敷地も同じくらいだった。中年の女性が個人でやっている店らしく、彼女はいつも入って右奥のちゃぶ台のあたりに座っていた。ちゃぶ台には簡易なレジが置いてあった。  さて、

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        • 海のまちに暮らす vol.32|小さな人をみたことがある

           8月の真夜中に、友人のKと福浦港まで歩いて行ってみたことがあった。Kとは同い年である。誰もいない真っ暗な下り坂を二人で降りてゆくと、少しずつ水の気配がしてくる。脇の民家にはごく控えめに灯りがある。音のない23時をまっすぐ下へ下へ、サンダルで下る。100メートルほど下ったかもしれない。僕たちは病弱な街灯が瞬く三叉路に出る。「おれ、小人みたことあるよ」とKが言った。 ***  Kがまだ幼く、祖父母の家にいた頃の話である。  夜は8時過ぎ、季節は夏だったという。古い家の台所

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          • 旅する本が生まれるまで

            2022.08.27  夏の終わりに本を発行した。『ひょっとして、旅』というタイトルの雑文集。少部数の発行にもかかわらず、発売開始から時を置かずして、いろいろな人たちのところへ渡っていった。ここでは本ができるまでの話をします。  旅、というものはとても個人的な背景を持つ言葉だと思う。旅という言葉をいろいろな人がいろいろな目的のために使っていて、旅という言葉の意味はそのつど再決定されて、更新されていく。ある人は新宿発の温泉街バスツアーを旅だと言い、別な人はそれは旅ではなくて

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          • エッセイ『カタツムリと悪癖』原稿
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            海のまちに暮らす vol.31|あかうしくん

             畑と家を行き来していると、知らないうちに猫どもの生活動線を横切っていることになるらしく、ことあるごとに猫からの視線を感じるようになった。彼らにしてみれば、毎朝自邸を知らない誰かが横切ってゆくというのはあまり心楽しいできごとではないかもしれない。僕は僕でオクラを剪定したり、土を耕したりしなければならないので、いつも無遠慮に茂みをかき分けてゆく。ゴム長靴がぱくぱくと石畳を鳴らす。いつだって間の抜けた音楽と共に現れる2本足の動物。  目つきの悪い雄猫に〈あかうし〉と名をつけてい

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            海のまちに暮らす vol.30|惑星のかけら、エンドロール

             昼に図書館で蔵書の整理をしている時、あ、今晩は映画を観ようと思った。休憩室にとぶWi-Fiは弱い。今飲んでいるパックのオレンジジュースぐらい、薄い。でもなんとかレイトショーの予約を入れて、18時退勤に合わせて自転車にまたがる。日中なかなか暑いので、福浦方面のアスファルトも必然的に熱を帯びている。桃色の夕焼けが明日も天気の良いことを僕だけに知らせつづけていて、自転車はペダルを漕ぐから車輪が回るのか、車輪に合わせてペダルが回っているのか僕はわからなくなる。家へ帰って熱いシャワー

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            海のまちに暮らす vol.29|あまりに大きなマグカップなので

             実家へ帰るために改札を通過する。真鶴から走り出した東海道線の車列は根府川あたりで広大な海の脇を横切ることになる。ほんの一瞬のあいだ、民家も車道もなく、果てしなく横に長い相模湾が車窓に展開される30秒がある。軋むレールを見下ろすと、線路に敷かれた玉砂利の向こう側にはもう何も存在していなくて、ただただ青い水のたまりが巨大なスクリーンとなって立ちはだかる。  目を細めると水平線の向こうにかすかに陸のようなものが見える時もあるのだけれど、ほとんど霞んでしまっていて実態があるのかわ

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            海のまちに暮らす vol.28|知らない草探しの会

             どうしてこんな形になってしまったのだろう、と考えずにはいられないものがずいぶんあるような気がする。自分の足先に並んだ爪の形や、錦鯉の鼻の穴などをみるたびにそう思う。一体どうしてここにこんなものがあるのだろう。  同じような興味の理由で、つい花をみてしまう。形や色に特徴があって目を引くし、わりとあちこちに咲いている。人が暮らしている町では花のライフスタイルにも多様性がある。鉢植えに入って玄関先で大切に育てられているペチュニア、乾いた石垣から上へ伸びるヒメジョオン、車道脇にぶ

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            海のまちに暮らす vol.27|人を小馬鹿にしたような可愛らしい響き

             この季節になると、月に2、3度くらいの回数であまり食欲のない朝があり、そういう朝はキュウリを水で洗う。断面に味噌をつけてかじる。これが思いのほかあごを使う運動で、(自分でも預かり知らぬうちに)あごの疲れが夏の季語にノミネートされた。ぼり、ぼり。  せっかくなので味噌の話をする。僕はことあるごとに味噌を消費するので、それなりに大きなパッケージに入った味噌であっても、1ヶ月あまりで使い切ってしまう。そのたびにスーパーで仙台味噌を買っている。仙台味噌というのは、〈仙台藩初代藩主

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            海のまちに暮らす vol.26|あまりぱっとしない1日

             梅雨明けの宣言があったものの、ここ数日は雨が続いていた。まるで絞りの甘い濡れ雑巾を空の上で誰かがもう一度絞り直しているような集中的な豪雨だった。明くる朝に畑へ行くとトマトの実がたくさん落ちていた。ほとんど雨風にやられ、地面の上で少し腐敗しているものもある。銅色のカナブンがしわくちゃになったミニトマトを抱きしめるようにして果汁を啜っていたので、長靴の先で突いたら林のほうへ飛んでいった。小さいわりに迫力のある、偵察ヘリみたいな羽音をたてて。  畑と学業と仕事と生活をどのように

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            海のまちに暮らす vol.25|最南の風、それから本のこと

            旅の手記  南伊豆で左官をやっている人に会って、その人が淹れてくれたお茶を飲んだ。家のそばに生えていたドクダミとセージなんかを煎じているらしい。長いこと電気のない暮らしをしていて、電子レンジも冷蔵庫も置いていない。「なければないで暮らせるもんだよ」と彼は言う。代わりに古い造りの囲炉裏が一つあって、たいていの煮炊きはそこでやる。山の裏手に廃棄された杉材を拾い(林に入って少しばかり木を失敬することもある)、何日かぶんの薪にする。昔はどの家もこぞって子供に薪を拾わせていたので、山

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            海のまちに暮らす vol.24|花が怖い人、エンゼルフィッシュ

             先月はひどく慌ただしくて、いくつかの仕事を抱えて必死に(依頼された)原稿を書き、制作をしていた。それはもう、小さなビート板に大量のバナナをのせて、「一つも落とすなよ!」と注意されながら沖合まで遠泳するような気分でした。おかげでこの連載も一回ぶん休んでしまったわけだけれど、そもそもあまり気負ってやる類のものではないので、僕個人としてはまあ仕方ないかなと考えている。でも出したい時におならを出せない生活ってなんだか窮屈ですよね。この日記・スケッチ的な文章群にしても、生活のガス抜き

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            海のまちに暮らす vol.23|役に立つアッシー、何もない僕の生活

             アシダカグモという、サイコホラー映画にでも出てきそうな恐ろしげな格好のクモが我が家にやってきたので、「アッシー」という名前をつけて飼うことにした。飼うといっても、別に餌を与えているわけではないです。一応同じ屋根の下で生活を共にしているし、しょっちゅう顔も合わせます。夜中にトイレなんかで会うとけっこうどきんとする。けれど数日経つと慣れてしまうのと、向こうも僕に驚いて逃げていくので(体長に関していえばこちらの方が数倍大きいし)、その点に関してはちょっと申し訳ないところがある。

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            海のまちに暮らす vol.22|メイン会場は8階です

             正式な古本市というものにはじめて行った。何をもって正式と呼ぶのかという話になると、実は僕にもよくわからない部分があるのだけれど、一応定義づけるとしたら本の量とか規模によるのではないでしょうか。この日行ったのは所沢の駅前ホール(ビル?)で、それはもう陳列するとか展示するといった言い回しでは追いつかないほど暴力的な量があり、どれも比較的手に入りやすい価格でビシバシと売り捌かれていた。  古本市の醍醐味はいくつかある。あなたはそこで既に絶版になったために通常手に入れることができ

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            5月

             駅の名前は忘れたが、そこそこ大きな町のホームセンターで若いカップルがガラスに鼻を押し付けて犬とかを見ていた。床があまり清潔ではないペットコーナーの、エアコンの風が直接当たる場所だった。女のほうは犬を飼いたそうで、男はそこまで犬を飼いたくなさそうだった。「ねえ、あのポメちゃん見て」と女が言った。「あたしあの子がいいんだけど。あの灰色のちいこいポメちゃん。ほら、一人で回ってコロコロして。あの子がいいな。あたしあの子にホコリちゃんって名前つけるの。灰色のポメだからホコリちゃん。ね

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            海のまちに暮らす vol.21|それはまるで来客の絶えない家の玄関みたいに

             新しく畑に畝をつくろうということで、元々あるジャガイモの苗木を1本抜いたら小さな芋ができていた。せっかくなので持って帰って茹でてみる。ピンポン玉くらいの可愛らしいジャガイモがミルクパンの泡と煙のなかで踊る。ザルへあげ、塩と胡椒をまぶして口に放り込むと、小さいながらもちゃんとジャガイモの味がして、ほくほくとした甘みの奥のほうに畑の土の味も混ざっているような気がした。ジャガイモは土の中にできるからか、他の野菜に比べて育った場所の土の香りが風味として伝わってきやすいのかもしれない

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