マガジンのカバー画像

週報『海のまちにくらす』

35
2022年春から大学を休学して東京を離れ、新しい土地で生活をしています。相模湾に面した小さな半島です。ここではじぶんは土地を通過していく観光的旅行者でも、しっかり根をおろした恒久… もっと読む
運営しているクリエイター

記事一覧

海のまちに暮らす vol.35|ねむる餃子

海のまちに暮らす vol.35|ねむる餃子

 10月、それから11月が思いのほか慌ただしくなってしまいそうで、冬の川底でじっとする魚のように息を潜めて生きていようと思っている。9月は主に、書くものの締め切りに追われていて、短歌や詩を書いていた。本当はここに載せておきたいのだけれど、できないので、もし雑誌に掲載されたら読んでください。夏はすぐに終わっていて、たぶんもうすぐ羽のついた布団が必要になる。

 自分は基本的に、生活必要経費以外にお金

もっとみる
海のまちに暮らす vol.34|カレーを食べましょう

海のまちに暮らす vol.34|カレーを食べましょう

 先日は報国寺という、美しい竹林のあるところへ行った。境内の様子は写真で何度も目にしたことがあるのだけれど、実際に青竹の間に敷かれた石舗道をこつこつと歩くのは良いもので、朝濡らされたばかりの玉砂利から雨の匂いが盛んにたちのぼっていた。9月が見頃だというのも来て初めて知った。そのわりに空いていて、空いているのがやっぱり好きだと思う。

 竹といえばほっそりした背の高い印象だったのが、近寄ってみると案

もっとみる
海のまちに暮らす vol.33|かの犬がたちあげる、ない町

海のまちに暮らす vol.33|かの犬がたちあげる、ない町



(文章を書くことについて僕が想うのは、やっぱり、今まさに起きていることよりも、もう失われてしまったものごとのほうにいくらかの作用点があるのだろうということだ。なので少し前の話を書く)



 西武沿線に住んでいた時に通っていた古本屋のことをたまに思い出す。その頃僕は6畳のアパートに住んでいて、おそらく店の敷地も同じくらいだった。中年の女性が個人でやっている店らしく、彼女はいつも入って右奥の

もっとみる
海のまちに暮らす vol.32|小さな人をみたことがある

海のまちに暮らす vol.32|小さな人をみたことがある

 8月の真夜中に、友人のKと福浦港まで歩いて行ってみたことがあった。Kとは同い年である。誰もいない真っ暗な下り坂を二人で降りてゆくと、少しずつ水の気配がしてくる。脇の民家にはごく控えめに灯りがある。音のない23時をまっすぐ下へ下へ、サンダルで下る。100メートルほど下ったかもしれない。僕たちは病弱な街灯が瞬く三叉路に出る。「おれ、小人みたことあるよ」とKが言った。

***

 Kがまだ幼く、祖父

もっとみる
海のまちに暮らす vol.31|あかうしくん

海のまちに暮らす vol.31|あかうしくん

 畑と家を行き来していると、知らないうちに猫どもの生活動線を横切っていることになるらしく、ことあるごとに猫からの視線を感じるようになった。彼らにしてみれば、毎朝自邸を知らない誰かが横切ってゆくというのはあまり心楽しいできごとではないかもしれない。僕は僕でオクラを剪定したり、土を耕したりしなければならないので、いつも無遠慮に茂みをかき分けてゆく。ゴム長靴がぱくぱくと石畳を鳴らす。いつだって間の抜けた

もっとみる
海のまちに暮らす vol.30|惑星のかけら、エンドロール

海のまちに暮らす vol.30|惑星のかけら、エンドロール

 昼に図書館で蔵書の整理をしている時、あ、今晩は映画を観ようと思った。休憩室にとぶWi-Fiは弱い。今飲んでいるパックのオレンジジュースぐらい、薄い。でもなんとかレイトショーの予約を入れて、18時退勤に合わせて自転車にまたがる。日中なかなか暑いので、福浦方面のアスファルトも必然的に熱を帯びている。桃色の夕焼けが明日も天気の良いことを僕だけに知らせつづけていて、自転車はペダルを漕ぐから車輪が回るのか

もっとみる
海のまちに暮らす vol.29|あまりに大きなマグカップなので

海のまちに暮らす vol.29|あまりに大きなマグカップなので

 実家へ帰るために改札を通過する。真鶴から走り出した東海道線の車列は根府川あたりで広大な海の脇を横切ることになる。ほんの一瞬のあいだ、民家も車道もなく、果てしなく横に長い相模湾が車窓に展開される30秒がある。軋むレールを見下ろすと、線路に敷かれた玉砂利の向こう側にはもう何も存在していなくて、ただただ青い水のたまりが巨大なスクリーンとなって立ちはだかる。

 目を細めると水平線の向こうにかすかに陸の

もっとみる
海のまちに暮らす vol.28|知らない草探しの会

海のまちに暮らす vol.28|知らない草探しの会

 どうしてこんな形になってしまったのだろう、と考えずにはいられないものがずいぶんあるような気がする。自分の足先に並んだ爪の形や、錦鯉の鼻の穴などをみるたびにそう思う。一体どうしてここにこんなものがあるのだろう。

 同じような興味の理由で、つい花をみてしまう。形や色に特徴があって目を引くし、わりとあちこちに咲いている。人が暮らしている町では花のライフスタイルにも多様性がある。鉢植えに入って玄関先で

もっとみる
海のまちに暮らす vol.27|人を小馬鹿にしたような可愛らしい響き

海のまちに暮らす vol.27|人を小馬鹿にしたような可愛らしい響き

 この季節になると、月に2、3度くらいの回数であまり食欲のない朝があり、そういう朝はキュウリを水で洗う。断面に味噌をつけてかじる。これが思いのほかあごを使う運動で、(自分でも預かり知らぬうちに)あごの疲れが夏の季語にノミネートされた。ぼり、ぼり。

 せっかくなので味噌の話をする。僕はことあるごとに味噌を消費するので、それなりに大きなパッケージに入った味噌であっても、1ヶ月あまりで使い切ってしまう

もっとみる
海のまちに暮らす vol.26|あまりぱっとしない1日

海のまちに暮らす vol.26|あまりぱっとしない1日

 梅雨明けの宣言があったものの、ここ数日は雨が続いていた。まるで絞りの甘い濡れ雑巾を空の上で誰かがもう一度絞り直しているような集中的な豪雨だった。明くる朝に畑へ行くとトマトの実がたくさん落ちていた。ほとんど雨風にやられ、地面の上で少し腐敗しているものもある。銅色のカナブンがしわくちゃになったミニトマトを抱きしめるようにして果汁を啜っていたので、長靴の先で突いたら林のほうへ飛んでいった。小さいわりに

もっとみる
海のまちに暮らす vol.25|最南の風、それから本のこと

海のまちに暮らす vol.25|最南の風、それから本のこと

旅の手記

 南伊豆で左官をやっている人に会って、その人が淹れてくれたお茶を飲んだ。家のそばに生えていたドクダミとセージなんかを煎じているらしい。長いこと電気のない暮らしをしていて、電子レンジも冷蔵庫も置いていない。「なければないで暮らせるもんだよ」と彼は言う。代わりに古い造りの囲炉裏が一つあって、たいていの煮炊きはそこでやる。山の裏手に廃棄された杉材を拾い(林に入って少しばかり木を失敬することも

もっとみる
海のまちに暮らす vol.24|花が怖い人、エンゼルフィッシュ

海のまちに暮らす vol.24|花が怖い人、エンゼルフィッシュ

 先月はひどく慌ただしくて、いくつかの仕事を抱えて必死に(依頼された)原稿を書き、制作をしていた。それはもう、小さなビート板に大量のバナナをのせて、「一つも落とすなよ!」と注意されながら沖合まで遠泳するような気分でした。おかげでこの連載も一回ぶん休んでしまったわけだけれど、そもそもあまり気負ってやる類のものではないので、僕個人としてはまあ仕方ないかなと考えている。でも出したい時におならを出せない生

もっとみる
海のまちに暮らす vol.23|役に立つアッシー、何もない僕の生活

海のまちに暮らす vol.23|役に立つアッシー、何もない僕の生活

 アシダカグモという、サイコホラー映画にでも出てきそうな恐ろしげな格好のクモが我が家にやってきたので、「アッシー」という名前をつけて飼うことにした。飼うといっても、別に餌を与えているわけではないです。一応同じ屋根の下で生活を共にしているし、しょっちゅう顔も合わせます。夜中にトイレなんかで会うとけっこうどきんとする。けれど数日経つと慣れてしまうのと、向こうも僕に驚いて逃げていくので(体長に関していえ

もっとみる
海のまちに暮らす vol.22|メイン会場は8階です

海のまちに暮らす vol.22|メイン会場は8階です

 正式な古本市というものにはじめて行った。何をもって正式と呼ぶのかという話になると、実は僕にもよくわからない部分があるのだけれど、一応定義づけるとしたら本の量とか規模によるのではないでしょうか。この日行ったのは所沢の駅前ホール(ビル?)で、それはもう陳列するとか展示するといった言い回しでは追いつかないほど暴力的な量があり、どれも比較的手に入りやすい価格でビシバシと売り捌かれていた。

 古本市の醍

もっとみる