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きんからきん日記 6/14から6/21


6/14から)

 14日から個展がはじまって、会期の初日は金曜日だったので、果たしてどのくらい人が来てくれるのだろうかと考えながら3号店に向かった。ギャラリーに在廊してお客さんと会話をするのは、以前からそれほど得意ではない。人前に立つことには慣れないままだ。でもたぶん、展示を観に来てくれた方と話をするのはうれしい。得意ではないがうれしいこと、上手くできないが大切だと感じることを、今年はなるべく避けずにやってみようと思う。

 20日の夕方にInstagramをみると、新しいエッセイ集『海のまちに暮らす』の販売がはじまっていた。この本はもともと印刷費を自分で支払ってつくる予定だったのだが、個展の打ち合わせを真鶴出版でしていた時に「それならうちが版元になるよ」と言ってもらい、出版が決まったのだった。原稿はずっと前から書き続けていたので膨大にあり、そこから選んでぜんぶで15のエッセイを収めることになった(新たに加筆したり、書き下ろした箇所もある)。当時の自分が感じていた生活の新しさといくつもの感情を、なるべくありのままに、きちんと保存しなくては、という思いでやっていた。

 自宅で編集作業をしながら、2022年の春に初めて真鶴へ来たときのことを思い出した。真鶴出版で宿の客室を整えたり、本の発送の手伝いをしたりしながら、「いつか自分の書いた本が真鶴出版から出ることになったら、それはすばらしいかもしれない」とぼんやり考えていたような気がする。こんなにも早く、自分の願いが一つ叶ってしまった。

 今回の出版を通じて新しい発見もあった。その発見とは、誰かから依頼されなくても、自分でどんどん原稿を書けば良いのだということだ。その時々で自分に書けるものを書く。何か形の整った文章や、テーマに沿った構成を考えるのではなく、自分の中にある言葉を置いていく。そのリズムに身を任せる。何も書くことがない時は、〈書くことがない〉とまず書いてみる。そこから言葉をはじめても良いということにする。実をいうと、この日記の文章もそのような方法で生まれている。何を書くかという問題より、どのように書き続けるかという問題が、自分にとっては大切なのかもしれない。

 そして書いた原稿を本にしたいと言ってくれる人と一緒に本をつくる。出版の言葉でいうなら編集者に会うということだ。編集者が見つからなくても落ち込む必要はない。自分の場合は書くこと自体に心地よさというか、自然な流れが発生しているので、すぐに本にならなくても構わない。ただ次の文章を書きはじめるだけだ。つまり誰かから依頼されて一冊の本を書き上げるわけではなく、すでに勝手に書き上げてしまった原稿を面白がって本にしてくれそうな編集者をみつけるという方法が、自分には合っている。そのためには、心地よく書くことを継続できる時間の使い方を理解することが必要で、何を書こうかという悩みはあまり問題ではないのかもしれない。むしろ一日を起きてから眠るまで、どのように過ごすかということのほうが重要で、一日の生活の送り方について最近はよく考える。

 年明けから漫画を描いている。絵を描くことと言葉を扱うことの両方を紙の上で組み合わせることができる漫画という方法に、いつのまにか興味が湧いていた。漫画でどのようなことができるのか、まだまったくわからないのだけれど、今の自分に描けるものを試しながら続けている。

 漫画を描き続けていたら、出版社の担当編集者さんがつくことになり、月に何度か大学の近くやオンラインで打ち合わせをするようになった。なので今年に入ってからは、描いたものをみてもらいながら漫画と向き合う時間も増えた。漫画の他に原稿を書き、大学院に通いながら個展を開いている。依頼された絵やデザインの仕事もしている。ここにこうして書き出してみると、自分の行っている制作活動にはいくつかの種類があり、複数のジャンルをそれぞれ継続させながら、時々互いに混ざり合うこともある。そのサイクルは一見忙しないように思えるかもしれない。でも最近は、嫌なことはできるかぎりやらないようにしている。だからわりと大丈夫なのだ。

 そんなことを書いていたら、少し体調を崩してしまった。毎年初夏と夏の合間の時期に、きまって調子が悪くなるようで、それは気温の上がり下がりと気圧の変化によるものだと思うのだけれど、今年は平気だなと調子に乗っていたら突然身体が動かなくなった。机に向かうことができない時はすることがないので、こうしてiPhoneの画面に言葉を敷き詰めている。7月はもう少し早めに眠ることにして、朝の時間を使えたらいい。

6/21まで)






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