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『海のまちに暮らす』 その7 港を歩く




 来る夏を迎え撃つためにエアコンを設置することにした。作業が済んだのは午前十一時、スマートフォンの天気予報アプリは二十二度の最高気温を示している。外はさわやかな陽気で、寝室から覗く海はきらびやかな点滅を繰り返していた。



 これまでは海と対面するために、わざわざ朝から電車に乗ったり、それなりの距離を移動しなければならなかった。しかしここに住みはじめてからは、わりと簡単に海を覗きにいくことができる。ちょっと思い立てば青い水平線を拝むことができてしまう。それはこの町へ来て与えられた意外な日常の一つである。本来海はもっとずっと遠くの場所に、自分の生活圏とは一線を画して横たわっているものだという感覚があった。とにかく、今では海はそこにいて、ごく当たり前に会いにいくことができる。

 生活圏は主に真鶴町内だったが、家から一番近い海は真鶴港でも岩海岸でもなく福浦港だ。福浦港は真鶴の隣町、湯河原に位置する小さな入江で、観光用のビーチとは異なる個人的で実用的な港湾である。水はいつでも澄んでおり、カラフルな小魚の群れもちらほら確認できた。

 周囲の海に遮るものがないためか、その景観には開放的な印象を覚える。背景には小高い森林が迫り、荒々しい自然の息吹もそこかしこに残されたままだ。堤防に立つと、人間のための海というより、海のための海だという感じがする。このあたりの海沿いで暮らしを立てている人々は、あくまで海の成り立ちを変えることなく、その営みの隙間を縫って船を走らせているようにみえる。普段は音のない港だが、朝から日中にかけていくつかの漁船が出入りするので、その時間帯にはわずかなにぎわいをみせる。

 入江を挟んで向かい側にある外防波堤までサンダルで歩く。中年くらいの男の人が釣り糸を垂らしている。ネイビーの折りたたみ椅子が足元に転がり、開いたままの保冷バッグから桃色の撒き餌がみえる。

「メジナを狙ってる」
 男の人はプラスチック製の柄杓で器用に撒き餌を掬い、しなりを効かせて奥のほうへ投げ込んだ。とぼん、という音がして水のなかに撒き餌が広がる。外海より波が落ち着いている湾内の水面は、緩やかな風に撫でられて小刻みに震えている。透き通った入江を斜め後方から目を凝らして覗き込む。
 次第に目が慣れてくると、その複雑なゆらめきの下に赤や黄色の動くものの姿を認められるようになった。宙を舞うハンカチを思わせるリズムで、ひらりらりと水の世界で躍る魚影の気配だ。散らばった撒き餌の桃色の煙のなかをくぐったり避けたりしながら身をくねらせてたゆたう。

「ベラもいる」
 彼はつぶやくように言い、ドラグを少し緩めたみたいだった。気がつけばそれなりの数の魚が集まっている。だが海面近くに集まったそれらは狙っている魚種ではないらしく、彼は首を振り、手際よくリールを巻いてから再び遠くに針を投げなおした。竿先の金具が空気を裂いて鋭い音を立てた。
 ぶらぶらと堤防の先端まで歩き、サコッシュに入れてあった水を飲んだ。行きにコンビニで買ったエビアンは冷めたお湯みたいに生ぬるくなっていた。



 そのまま港をぐるりと一周して帰ろうとした時、裏手の山へ続く細長い階段を見つけた。おとなしい港の印象をもう一段ひっそりとさせたような淡い石段を上る。石段はところどころひび割れていたが、あたりの草は適度に刈りそろえられていた。おそらく誰かが手入れをしているのだろう。ぱたん、ぱたんと打ち鳴らされるサンダルが反響する。頭上では太陽が静かに燃えている。上まで進むとそこは霊園だった。

 ずいぶんと高いところまで来たのだと思う。足元に視線を落としながら石段を上っていたせいで気がつかなかったが、周囲を見回すと墓石がずらりと並べられていた。どれもきちんと整えられ、それぞれの沈静な眠りを妨げんとする寡黙さで直立している。背後の眼下にはさっきまでいた福浦港がみえ、その奥には雄大な海岸線が視界の端まで続いていた。熱海から伊東にかけての陸地の連なりだ。あそこを辿っていくと伊豆や下田につながるのだろう。

 今、視界のほとんどは限りなく平坦で完全な海原で占められている。高台から観察すると、本来なら波として感じるはずの海面の起伏は抑揚のないテクスチャーとして、現実感を欠いたまま平べったく存在している。午後の青い砂地のような水が霞みがかった初夏の地表を覆っている。それから〈墓地はその地でもっとも眺めの良い場所に用意されている〉という、以前どこかで耳にした言葉を思い出した。

 霊園の小道はそのまま高台の住宅地へと続いていた。小道に沿って奥へ進み、日当たりの良い迷路のような路地をいくつも抜けて家まで帰った。



 帰宅してから部屋の窓をすべて開け放つ。冷蔵庫に中玉のトマトがあったのを思い出し、包丁で縦半分に切って皿にのせる。その断面に塩をふってかぶりつきながら、窓から福浦のある方角へ身を乗り出す。ここからみると霊園のあるあたりはすっかり山がちで、墓地の気配はおろか、住宅の存在も希薄である。あるはずのものを緑の樹木が巧妙に覆い隠しているせいで、あの霊園が本当にあったのかどうかも次第にうっすらとしてくる。仕方がない。ここは本来あるはずのものがなかったり、ないはずのものがあったりする微妙な世界なのだから。冷えたシンクで朝食の残りを片付けながら、裏手の藪が刈られる鈍い音を聞いている。



つづく


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