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きんからきん日記 8/2から8/9


8/4

朝起きて原稿を書く。最近は夜眠る前にアイスを食べることをやめ、その夜食べるはずだったアイスを、翌朝へ持ち越して食べるようになった。これはただ自分に我慢を強いているわけではなく、そのほうがなんとなく美味しいという真実に気がついたのだ。アイスは朝に食べたほうが美味しい。起き抜けのぼやけた頭とこの酷暑には実にありがたい冷たさだし、アイスを食べられる朝なら早く迎えてしまいたいという意識のせいか、目覚めてからの体の動きも素早い気がする。自分はこの朝の間に、いつでもアイスを食べて良い。その開放された選択肢が、緩慢な一日のはじまりを驚くほど滑らかなものに仕立て上げる。朝なら例えば、すぐさま冷凍庫の引き出しを開け、ソファに座って食べても良い。あるいは軽い朝食を先にとり、コーヒーを淹れてからでも良い。自分にとって魅力的なのは、その、いつでも食べても良いという、欲求をカバーする可動域の部分なのだった。一方、夜のアイスにはそういう気軽さが感じられない。一日の終わりが差し迫っているせいか、アイスを食べるという行為の先の時間の広がりが乏しい。なので、夜のアイスは翌日の朝へ移動させることにしているのだ。それからもっと言えば、自分は必ずしもアイスを食べなくても良い。こんな取り止めもない問題に思いを巡らせたあげく、最終的には、なんと自分はアイスを食べなくてもかまわなくなってしまっているのである。おそらく自分は、アイスがそこにあるだけで良い。冷凍庫にアイスが寝かされているという状態がまず心地良く、次に、そのアイスを取り巻くあれこれを想像するのが好きなだけなのだ。アイスを食べてしまうと、その手の想像は終わってしまうので、最近はアイスは朝へ持ち越しつつ、それでも食べずに眺めて生活しているだけである。


8/6

沼津のリバーブックスへ巡回展の設営をしに行く。作品の展示は6月の真鶴の個展以来なのだった。6月に個展を開いた真鶴出版3号店は、古民家の趣を残した建屋の内部に作品が所狭しと集結し、混沌とした密度のある空間だった。対してリバーブックスのギャラリーは、コンパクトなサイズ感こそ3号店に近いものの、壁は白塗りで照明は寒色系のホワイトと、もう少しアートギャラリー然とした箱である。そのため空間の特徴に合わせて、作品の選択や配置も少し変えてみた。今回の巡回展では、新刊のエッセイ集『海のまちに暮らす』の刊行記念で開催されているということもあり、エッセイの舞台である真鶴で描いた畑のドローイングや詩を選び、壁面に展開している。それから2020年から2022年にかけて制作していた手製本と漫画作品、販売可能なリトルプレスも持って行った。コロナ禍に鎌倉で制作した写真集『Back path garden』の在庫が残り4冊ほどになり、それも全て会場に置くことにした。これは少し大版で、少部数のため売価もそれなりなのだが、ぱらぱらとめくってみてもらえたら嬉しい。そういえば、2週間前の下北沢のブックマルシェでこの本を面白がって買っていった人がいた。

自分が、本をつくると決めたことで、その本が自分を見知らぬ土地へ連れて行き、そこで新しい人に会う、というケースが昨年末から増えていて、それは一気にどかんどかんと増えるわけではなく、適切なタイミングを見計らうかのごとく、静かに着実なスピードで起こり続ける事件のようなものらしい。生身の人が、生身の人に伝える速度とでも言えば良いのだろうか。これは本が持つスピードなのかもしれない。本をつくると、本のスピードが自分の周りで音を立てはじめて、そういう音がしていないと辿り着けない場所があるのかもね、と今は自分に言い聞かせている。

設営しながら、リバーブックスの江本さんと話していて、その場の話の流れでイベントとか、やらないですかいうことになった。ちょうど会期終盤の8月末あたりに、新しい詩集が刊行されるから、発売に合わせてトークイベントができたら良いかもしれない。そんな話をした。これは本当にやるみたいです。お店の中のギャラリーに椅子を置いて、ゆったり話をしたり、話を聞いたりできたら。自分は詩を書きはじめてそこまで長い月日が経っていないのだけれど、今の自分の地点から言葉を書くことや、生活することを報告することはできそうです(それから自分はこういう時、自分の話をするよりその場にいるお客さんが普段どんなことを考えているか、どんな生活をしているか、みたいなことが気になってしまうので、無理のない範囲で互いに声をかけ合いながら、ひと時を過ごす機会になればと思います)。


8/8

夕方、海へ行って砂浜に寝転ぶ。この日は雲が少しあったので、空の色が全体的にぼやけて薄く揺らいでいた。自分が寝ている場所と波打ち際の間の砂浜を、さっきから何匹もの犬が代わるがわる通行していく。18時をまわると犬の散歩の時間なのだ。仰向けに寝たまま、首だけを動かして砂の上の犬の足を見る。犬の足はこうして見ると思ったより細い。薄い皮膚のかぶさった骨という感じのする足だ。白い毛並みの柴犬が、両足をばたつかせて砂に背を付け、わざとらしくひっくり返ってはしゃいでいる。トイプードルの鼻息が聞こえる。しばらく彼らを眺めていると、どの犬もきまって、歩きながら砂の上へおしっこをしている。おしっこをしていない時は、砂の上に残された他の犬のおしっこの痕跡を熱心に辿っている。犬にとっては大切な情報交換の場所らしく、みな真剣に鼻先を傾けて進んでいく。あのあたりにレジャーシートを引かなくて良かった。節操のないその様子を見届けながら、夕暮れの海風を足の先に受けていた。今宵は八幡宮のあたりで盆踊りの祭りがあるらしく、駅前の路面は見渡す限り人で溢れていた。その声と光の揺れ動く中をバスに運ばれ、部屋まで帰った。


8/9

夕方過ぎに地震があった。震央は神奈川の西側だという。今週は真鶴にいなかったので、自宅がそれほど揺れたのかはわからないが、瞬間的に京都で買った陶磁器の花瓶が割れていないかどうかが気になり、その後すぐに別なあれこれに思いを巡らせ、すべてが済むと、しばらくはじめの京都のことを考えていた。京都へは一年前の7月の熱い時分に泊りがけで行った。それから高知、和歌山、南伊豆にも。京都に限らず、足元が大きく揺れると思い出す土地の名前がいくつかある。どれも、自分の身体が記憶している土地の名前である。

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