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『海のまちに暮らす』 その6 畑をはじめる




 目覚めると顔を洗い、風通しの良い服に着替える。つばの広い帽子と長靴、軍手、麻紐。玄関を開け、背の低い自転車の荷台にそれらを放り込む。これから畑に向かうのである。五時半。そのまま勢いをつけて坂を下り、駅前を過ぎて、まだ一面に青い道路を海側へ滑りながら背戸道へ入る。

 真鶴出版の裏戸口に音を立てずに自転車を停め、細い路地の先へ抜ければ、一段高くなった三角地に出る。開けた頭上には丸みのある雲が浮かび、周囲の住宅を抜けてきた風が土と若草の匂いをかき混ぜていく。

 この小さな共同農園は、もともと桑畑として使われていた土地なのだそうだ。大きな通りに面しておらず、奥まった位置にあるこの土地には法律上新たに家を建てることが難しいらしく、売りに出してはいるものの、すぐさま買い手がつくわけでもない。そのため土地の持ち主によって、ここはそれぞれ近隣に住む住民へ農作地として安く貸し出されているのだという。使っているのは顔見知りのご近所同士なので、小規模でアナログなコミュニティによってきめ細やかに運営されている。こじんまりとした面積に少量ずつさまざまな作物が植えられた家庭菜園なのだが、どの畝にも青々とした葉が茂り、手入れの行き届いた美しい耕作地である。

 そしてそれらの区画に四方を囲まれている中央のあたり──たくましく下草が湧き出した地面と、斜めに突き刺さった支柱を束ねる麻紐の結び方のぎこちない一角──がみえるだろうか。あれが僕の畑である。



 真鶴へ来てから、畑をやりたい、畑をやりたいとことあるごとに念じていたら、前述した共同農園の一区画を真鶴出版が借りているとのことだった。「今はちょっと忙しくて手が回らないから、それならしゅうちゃんやってみたらいいよ」と許可をもらい、必要なものを揃えて朝の畑へ向かってみる。真鶴出版で借りている土地は農地のど真ん中で、日当たりと水はけも申し分ない一等地である。黒い土を押しのけるようにして、イネ科の草が集まって生え、足元を掘り返すと地中はほどよく湿っていた。

 下草を手でつまみながら一本一本抜いていたら、隣の畑のソヤさんが来て、スコップの使い方を教えてくれた。大きなスコップに体重を乗せて、根ごとひっくり返すように深く掘りおこす。こうすることで力を使わず楽に地面の手入れができるらしい。ソヤさんはライトグレーの長袖長ズボンという出立ちで、腰に蚊取り線香をぶら下げたまま茂みの向こうに身を乗り出して何かをしていた。しばらくすると戻ってきて、丸々としたスナップエンドウをひとつかみぶん僕にくれた。

 ソヤさんとはその後もたびたび朝の畑で顔を合わせるようになった。一人で土をいじっている僕の姿を遠巻きに見守りつつ、時々ささっとさりげなく役立つ知識を教えてくれる。そのような土の先輩はソヤさんだけではなかった。西側の畑をやっているサトウさんや、畑のそばに家のあるサムカワさんなど、ベテラン揃いの面々がいつも何かしら助けてくれる。皆朗らかで静かに優しかった。

 そのようなわけで、ひとまず僕はソヤさんから借りたスコップで畝らしきものをつくり、サトウさんにもらったミニトマトの苗をそこへ植えた。そしてサムカワさんの家の軒先にある大型ジョウロを借りて根本の土が黒々とするまでたっぷり水をやった。
「毎日来てよく違いをみるのが大事だからね」とソヤさんは言う。昨日と今日で何か変わっていることはないか、傍目には見分けづらい繊細な差や変化の印を見逃さぬことが草や土と長く付き合うために必要なようだ。その言葉の意味は、何度も畑に足を運ぶうちに少しずつ実感として身体に蓄積されていく気がした。爪の間から土の匂いがする。虫との距離が縮まっていく。試行錯誤を繰り返しながら汗を流して何かを受け取ったり、みつめたりすることをしばらくやっていなかったので、畑にいると懐かしい記憶と新鮮な驚きのあいだで遊んでいるような気持ちになる。



 これから何かを育てるんだったら夏野菜が良さそうだということで、目当ての苗を買いに行くことに決めた。隣町の湯河原にあるホームセンターは園芸コーナーが充実しているという。自転車へまたがり、福浦から湯河原ににかけての海沿いの街道を走る。行きはゆるい下り坂なので漕がなくてもよく、真横に広がる相模湾に目を細めながら移動すること三十分。湯河原の住宅地に佇む倉庫のようなホームセンターがみえてきた。

 屋外に出されたプランターや育苗ポットを見て回る。左手にはノートの切れ端がある。畑でソヤさんに訊いた夏野菜のおすすめを、あらかじめメモに書いておいたのだ。図書館で借りた家庭菜園の入門書も役立ったが、やはり実際にあの畑の土のことを熟知している経験者に直接意見をもらうほうが間違いがない。一口に土といっても、吸水力や排水の良さ、住んでいる虫や菌、風通しの具合など、複雑な条件の組み合わせから成り立っている。インターネットで手に入る広範な知識よりも具体的な経験からくる小さな知恵のほうが畑をやるには心強い。

 ソヤさんのおすすめはいくつかあったが、なかでも気になったのは空芯菜だった。中華料理の炒め物として使われることの多い空芯菜はクセがなく、シャキシャキとした歯応えで油を使った調理方法と相性が良い。どちらかといえばマイナーな部類の野菜だが、夏場には貴重な青々とした葉物野菜だ。原産は熱帯アジアのほうなのだという。この空芯菜の苗を二株分、まずは買ってみた。

 それからスイートバジルを二株選んだ。バジルは既に畑に植えてあるトマトと相性が良く、土壌の余分な水分をバジルが吸ってくれるためトマトの味が良くなるらしい。
「トマトはもともと少ない水で育つからね、水が多いと味がぼんやりとするよ」
 以前、ミニトマトに水をやりすぎているのを見たサトウさんがそう教えてくれた。後で本を読んで調べてみると、農学や園芸学において、隣り合わせて栽培することで互いの成長に良い影響を与えるとされる植物の組み合わせのことを〈コンパニオンプランツ〉というそうだ。植物にも微妙な相性があり、一つの畑の土の中で繊細なコミュニティを形成しているという事実に驚いたが、考えてみると人間と同じようなものかもしれない。

 スイートバジルと同様に、コンパニオンプランツとしてマリーゴールドを二株買った。この花は食べられないが、トマトやナスの近くに植えることで、互いの苦手な害虫を寄せにくくする効果があるのだという。畑に植えた野菜の隙間にオレンジの花がぽんぽんと咲いているのは、何となく心楽しい光景のように思えた。

 買い込んだ苗はビニール製のポットに入れたまま、店員からもらった廃棄用の段ボール箱に並べ、それを抱えて駐輪場まで歩いて運んだ。段ボール箱は自転車のかごにちょうどぴったり収まった。黒いサドルに静かにまたがり、そっとペダルに体重をかける。道路の段差に気をつけながら、ゆっくりと漕ぎ出した自転車で元来た道を慎重に走った。

 海と日差しが視界の脇に大きく開かれて、空芯菜の葉先が横風にはためく。勾配がきつくなってくると立ち漕ぎにシフトする。汗が滲んだハンドルを握り直しながら、自分は今とても壊れやすく、大切なものを運んでいると思った。それは数本の野菜の苗と花であり、これから始まろうとする真夏の予感そのものだった。


つづく


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