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女子高生の私が先生と契約を交わした話


期末テストの勉強期間に差し掛かろうと言う時期。私はいつもの通り数学という学問に絶望していた。

「ホールケーキとハーゲンダッツが貰えるなら私だって頑張るのに!」

齢16になったというのに小学生のような文句としょうもない駄々を延々とこねくり回す私。冗談半分、本音半分の発言だったが、それを聞いていた数IIの先生がポロっと呟いた。

「エムコが本気なら考えてやらんこともないぞ。」

「本当ですか?!」

私は光の速さで飛びついた。きっと先生も冗談だったに違いないが、一言一句聞き逃さなかった私はそのまま畳み掛ける。

「何点とったらホールケーキを買ってくれるんですか?」

「そうだなぁ、80点以上取ったら買ってやろうかな。」


こんな先生にとって不利極まりない条件の目標が100点じゃないとは。全く舐められたものである。しかし私は数Aのテストの時に一問も分からず全ての解答欄に120と書いて提出。奇跡の一問正解で辛うじて3点を取り、職員室に呼び出された女だ。相手の余裕も分からんでもない。
本気の度合いを伺うためにこんな提案をしてみた。

「ケーキは私だけじゃダメですよ。クラスメイト全員分しめて38個です。それでも約束してくれますか?」

あまりに舐め腐った条件に、先生は「冗談に決まっとるだろ」と笑って流すと思ったが反応は予想外のものだった。

「ああ、いいぞ。エムコが数学で80点以上取ったらクラス全員にホールケーキだな。」


私は即座に法螺貝を吹き鳴らし、敵陣に突撃する戦国武将のようにクラス内を駆け回った。今あった出来事をクラスメイトにあソレソレと言いふらすと、先生もまたとんでもない条件を飲んだな、と皆驚いていた。セコくがめつい私は即座にノートを破って契約書を書き、先生に差し出した。

【今回の期末考査で私エムコが数学で80点以上を取った暁には、クラスメイト全員に一つずつホールケーキを贈る事を誓います】

さぁ捺印をばと迫る私に先生は親指を突き出し、インクをつけて母印を押した。契約は成立だ。
どうせやるならご褒美は多いに越した事はない。ここぞとばかりにノリスケ以上カツオ未満の頭のキレが発揮され、私は数Bの先生のもとに行き先程の契約書を見せた。「それなら俺はハーゲンダッツを買ってやろう」またしても拍子抜けなくらいチョロい返事をもらって浮かれた私は慣れた手つきで契約書を作り、再び印鑑をもらう事に成功した。

そうと決まったからにはやるしかない、背水の陣とはまさにこの事である。クラスメイトたちも私が80点を取りさえすれば自分たちの分まで買ってもらえるという条件に喜び、私の肩を力強く叩き応援してくれた。

一人で勉強するには基礎学力がなさすぎた私は、フランキーという愉快なあだ名で同級生から母のように慕われている、数学が得意なクラスメイトに教えを乞うた。

「エムコならやればできるよ、頑張ろう。」

そう言って微笑む彼女の聖母のような優しさが沁みる。絶対に彼女に勝利のケーキとハーゲンダッツを渡さねば、そう胸に誓いさっそく勉強に取り掛かる。頭の悪い私でも分かるように一から説明してくれるフランキー。彼女の教え方は本当に分かりやすく、今まで一切分からなかった数学の世界の扉が開かれたような気がした。

放課後は毎日数学のテスト勉強に励んだ。
苦手意識がもりもりの数学に向き合う日々は想像以上にストレスが溜まる。思うように解けずにもうダメだと心が折れかけた時も、フランキーは

「絶対にできるよ。」

と私を励ましてくれた。私がどんなにめげてしょげてもフランキーは一切ネガティブな発言をせず、ただひたすら「できる」と言い続けてくれる。当の本人はまるで自信がないのに、フランキーのきっぱりとしたその言葉と態度が不思議で仕方なかった。
彼女が作ってくれたテスト対策の問題に正解した時は嬉しくて飛び上がった。自分で考えぬいて出した答えに赤い丸がつく喜びを、私は高2で初めて知ったのだ。
クラスメイトたちも私に数学で負けたら人としての尊厳がなくなると言わんばかりに、いつにも増して勉強に気合いが入っていた。

そして迎えたテスト当日。教室の後ろの掲示板に貼り出された2枚の契約書が、風でヒラヒラと揺れながら私たちの後ろ姿を見守っている。このテストの目標だったはずのケーキとアイスの契約が、この時には不思議とどうでもよくなっていた。私はクラスメイト、そして一番そばで応援してくれたフランキーの信頼を裏切るわけにはいかない。今まで教えてもらった事を全て答案用紙にぶつけた。


運命の答案用紙の返却日。

「80点は取れとるよ!」
自信の程を尋ねてきたクラスメイトにはそう答えたが、内心は気が気じゃなかった。
数学の先生が教室に入ってきた途端、教室は感じた事のない緊張に包まれた。先生が私を見つめるその表情は笑顔とも哀憫ともとれた。

次々とクラスメイトたちが答案用紙を受け取る。思ったよりも良い点数にみんなの喜びの声が上がる中、いよいよ私の名前が呼ばれた。
震える足取りで答案用紙を受け取り、その場で点数を確認する。



73点



80点には届かなかった。私は自分の不甲斐なさと教えてくれたフランキー、そして応援してくれたクラスメイトに申し訳なくて涙が滲んだ。ショックで立ち尽くす私の姿をみた数学の先生は言った。

「いつも欠点かどうかだけ気にしてたエムコが73点も取って悔しがる日がくるとはなぁ。それだけでも私は今回、自分の財布を賭けた甲斐があったよ。」

フランキーは惜しくも100点には届かず99点だったがクラスの平均点は70点越えと今までにない高得点だった。楽しみにしていたケーキとアイスがおじゃんになってしまったというのに、フランキーを始めクラスメイトは誰も私を責めなかった。

私は頑張ったご褒美が欲しいという不純すぎる動機でテストに臨んだ、ロクでもないという言葉がぴったりの愚か者だ。先生はそんな私に努力するきっかけをくれ、フランキーは最後まで私なら出来ると信じて言葉をかけてくれた。根拠なんてまるで無いが、それでもその言葉のおかげで突き動かされた私は、目に見えない強い力の存在を信じざるを得なくなったのだ。

人が変わる事ができるのは、自分に寄せられた他者からの信頼を、心から感じた瞬間なのかもしれない。

目標には届かずケーキやハーゲンダッツは手に入らなかったが、私は何物にも変え難い経験を得る事ができたのだった。



自信がない時や厳しい壁にぶつかった時、新しい何かに挑戦する時。
あの時のフランキーの「エムコならできるよ」の
一言が、今でも私に勇気をくれる。

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