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「だれかを救いたい人」は、救われたい人。ひとを救っているのは、だれなのか?あるいは、ひとを救ってしまう方法について。
他人を救うのは、他人の不幸を笑うひとなのかもしれない。
本文は最後まで無料です。オマケがあります。
はじまり
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ぼくには「だれかを救いたい」という衝動に襲われたことが一度もない。
世界を見渡すと、「だれかを救いたい」という衝動で動いている、としか説明できない人々が多く見られる。そういう人に、たくさん出会う。
けれど、それを外から見ていると、それは決して神聖な行いでもなければ、紳士的でも、慈愛的でもない。「食欲」や「性欲」と同じように、そこにある空虚な穴を埋めたい、という単純な欲望から生じているように思えてくる。
思うに、じぶんの穴を埋めるために、だれかを利用していることに自覚的でないひとは、穴を埋めようとして、余計に互いの穴を大きくしてしまう。着飾った「救ってあげたい」というジャケットは、その肥大した下心を隠しきらない。そして、そんな紳士的とは呼べないシロモノを平気で見え隠れさせるだれかに、救われるひとはほとんど存在しないのだ。
___
他人を救うのは、案外「他人の不幸を笑えるひと」なのかもな、と思い始めた。それは、単なる実体験の連続からであり、なんのエビデンスもない空論なのだけれど。ぼくは、他人の不幸をすぐ笑う。それは「笑おうとして」ではなく、ほんとうに、心の底から、おもしろくて笑うのだ。他人の人生にぼくの痛覚はかよっていないし、他人の不幸はドラマティックで、人生の一回性を思い出させてくれる最高のツールだからだ。
そんな「倫理的に外れている」ような振る舞いをしていても、そもそも圧倒的な人数に触れている影響もあるのか、なぜか感謝の言葉をもらう回数が多くなった。顔も名前もしらないひとから、意味不明の理由で感謝をされる。「救われました」なんて、言われたりするのだ。
救ったつもりはない。救いたくもない。けれども、それでも救ってしまう。救いたい、と嘆くひとが多い世界で、無自覚に、意志も倫理もなにもなく、まったくの自己犠牲をともなわずに、こうして「救ってしまっている」。
そういう事実が、目の前に広がり続けている。勝手に救われたひとは、あとでお金をくれたり、お寿司をくれるので、これはとてもいいことだ。救済は食べられないから興味ないけど、お寿司は食べられるからえらい。
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他人の不幸を笑い、他人の非行を笑う。そんな態度で佇んでいることが、だれかの救いになる。意味不明だけれど、実際おこっているのだ。救おうとしないからこそ、だれかが救われている。
それもそうだ。崖と奈落の境目で手を差し伸べられた奈落は、じぶんの意志を持ってしてその手をつかみとり、「這い上がろう」と心に決めて、そこに必要なエネルギーを自らの身体から出力させることをしないと、けっして崖にはもどらない。じぶんは、じぶんなしでは救えない。
そう。救済は、いつもダブルエントリーシステムだ。そこに必要なのは希望と贖罪と心の余裕だ、ってカヲルくんも言ってたし。心の余裕がないと、救われるどころか「崖の手」すらも奈落の底に引き込むことになっちゃうよ。気をつけよう!無闇に槍を引き抜くな!やめて、シンジくん!使徒になっちゃう〜!
── 救済者(?)との邂逅だった。今日も出会いをやった。このマガジンでは「出会い」を書いていく。明日は何に出会うのだろう。レンズを磨けば、きっと明日も出会えるだろう。また、ここに何かを書けるのが楽しみだ。
オマケ
まあ、現実は多岐にわたるので「それでも、どうしても救われてもらわないと困るひとがいる」というひともいると思う。オマケでは、そんな話をちょろっとしています。「人を救うこと」はできないけれど、「人を救ってしまうような自分になること」はできるかもしれない。ここからは、そんな話。
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「精神がダメになっている人を救いたい」と思ったときは、その人自身の精神がダメになっている可能性がとても高い。健康な人は、しらないうちに他人を救っている事はあっても、「救いたい」とはならない。他人を救おうとするのは、自分が救われていないからで、自分を救えていない人に他人は救えない。
— プロ奢ラレヤー🍣ぷろおご (@taichinakaj) March 13, 2021
だれかを「救いたがる」のは、「救いたがり」から救われていない人なんだよな。そういうひとが「べつに救われたくないひと」を無理やり救おうとするから、それが事故になる。救済はいつも「結果」であって、それを「目的」にしてしまうと、その途端に「暴力」に変わってしまう。救済はマッチングが大切
— プロ奢ラレヤー🍣ぷろおご (@taichinakaj) July 6, 2021
「メンタルが不安定な人」ほど、他人のメンタル事情にお節介しがち。その人が「求められてないアドバイス」という愚行をしてしまうのは、その人のメンタルが不安定だから。求められていないのに、誰かを「救済」したくなるのは、その人自身が救われていないから。余裕があったら、そんな愚行はしない。
— プロ奢ラレヤー🍣DMしろ (@taichinakaj) September 1, 2021
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人を救うことはできないけれど、人を救ってしまうような自分になることはできるかもしれない。
『健康とは「身体、群れ、認知の不快」から逃れられる状態を維持することである。』
「救われていない人」というのは、ここでは「不健康な人」と言い換えられる。救ってしまう人は「健康な人」であり、「救われる」とは健康の伝播、あるいは贈与である。
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「救われてもらわないと困る人がいる」という場合にできることは、まずは「困らないようにすること」だ。
まずは、自身の健康を高めること。その対象に依存する濃度を、少しでも薄くすることだ。でないと、そこにかかる「下心」の肥大はおさまらない。困らないから静かな佇まいであることができるし、静かな佇まいであるからこそ、人はそこに安らぎを感じられるのだ。
まずは、対象から離れること。離れても困らないようにすること。その上で、またそこに戻っていくこと。対象に寄り添いながら、ただ余計なことはせず、言わず、ただただ調律を合わせながら、同じ鍵盤を叩くだけ。
ケアとは、自己犠牲であってはならない。そこには楽しみがなくてはならないし、『心の余裕』が失われてはならない。ケアされている、と思われてしまうのはケアではない。ただピアノを弾くことを楽しみ、ただ星を眺めることを楽しんでいなくてはならない。
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ひとが健康になるには、やはり「鏡」が必要なのだと思う。
「鏡」とは、あなたが生きやすくなるための重要なツールです。
そして、あなたが提供することができる重要な仕事でもあります。
「鏡」というのは、「鏡が必要である」と理解した人達同士で、誠実に対話することで成り立ちます。
他人と話すことが、鏡を見ることです。あなたが「自分のこと」がわからないのは「誠実に対話できる他人が足りていない」からです。
鏡としてそこに存在するということ。
これが、ひとが意志を持って効果的に「他人をケアする」ことができる、最大のものなのだと思う。それ以上は傲慢であるし、なにより逆効果だ。ただ、そこに「誠実に対話する存在」として、存在すること。そのために、自らがまず健康であること。
他人を救うなんて傲慢だけれど、しらないうちに他人すら救ってしまうほどの健康は、とても魅力的で、価値のあるものだと思う。ぼくも、そんな健康に惹かれている。
自らが健康になることは、他人を救うことでもあるのかもね、という話でした。この記事で引用した記事、その概念は、スラム内の議論を元に作られています。
まあ興味がある人は少ないと思うけど、もしもあるなら逸材なので、ぜひ参加してね。物好きによる、物好きのためだけの、スラムの健康ゴミ捨て場です。
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