いつも心の中に、インド人と猫を住まわせるようにしている
人間、生きているだけで十分に偉いはずなのに、それに見合わないくらい苦しいことや腹の立つことが往々にしてあったりする。
こちらとしては普通に生きさせてくれればいいのに、余計な面倒がふっかかってきたりする。
別に致死に値するわけではないので、深手ではない傷を負いながら生きている。
常にどこかから何らかのダメージを受けつづけていて、傷一つない状態でいることはまずありえない。
それらのダメージは基本的には人体には有毒で、量が多すぎると危険だが、適度な量ならかえって健全だとされている。
現代を生きる者は皆、そういう環境負荷を背負っている。
その重さを人より感じやすい者もいれば、全然気がつかないような鈍い者もいる。
世間ではそれをストレス、と名前をつけて呼ぶ。
濁った水の中を泳ぐ魚は、環境に適応し呼吸機能が発達するという。
現代社会という泥水の中を泳ぐ自分もまた、その過程で少しばかり生きるのが上達したと言えよう。
あいかわらず視界は不良行なままだが、心の中はいろいろと整理がついてきた。
ここからは自分の空想上の話をする。
自分はよく、己の精神状態について考えるとき、心の中に部屋のような空間を思い浮かべる。
その中へはいろいろ持ち込んで置いておける、ということになっている。
いわば自由空間である。
今日はその中に置いてあるものたちが、私のことをどのように助けてくれるかを話したい。
いつも心の中に、インド人と猫を住まわせるようにしている。
インド人というのは私の空想上に存在する、陽気でカタコトの日本語を話す、何かあればすぐさまダンスを踊りだす生体のことである。
(これは私の非常に偏ったイメージを元に存在する概念であり、実在する国名と人種とはおよそ別物としたうえでつづきを読んでほしい)
このインド人、すごいのだ。
インド人がいるおかげで、割とあらゆる出来事に対して寛容でいられる。
例えば朝の通勤電車で思いきり右足を踏まれても、まあまあ許せる。
実際、革靴で踏まれたりするとたいそう痛い。
が、痛いっ、と思った次の瞬間にはもう、心の小部屋の奥からインド人が出てきてニカニカ笑いながらよくわからない踊りを踊っている。
手のひらでナンを回しながら器用に踊る。
インド人に気を取られているうちにはじめの痛みはもうどこかに行ってしまっている。
今さら怒るのも、不快な気持ちになり返すのもバカバカしくなっている。
ちなみに、人間の脳のメカニズムとして、怒りの発生から理性がはたらくまで6秒程度かかると言われている。
ほとんどの人間が、6秒が経たないうちに怒りを爆発させて、罵ったり攻撃的になることが多いという。
この時間は短いようで長いのだが、自分の場合はインド人が理性のいない6秒間を上手いことつないでくれるので、たちまち理性が前頭葉から到着し、感情はクールダウンされる。
踏まれたおかげで足先の血行が少しばかり良くなった気がするし、まあいいか、という風に頭が切り替わって、後味の悪い思いをしなくて済む。
一連の感情のごたごたが片付くと、インド人はまた小部屋の奥に帰っていって見えなくなる。
カレーでも作りに行ったに違いない。
今日昼はカレーライスにしようかしら、などと気も紛れる。
多少のことではイライラしないのは奴のおかげだ。
インド人を心の中に置いてからというもの、怒りや焦りが鈍足になり、慌てることもなくなった。
少し大雑把なくらいがちょうどいいやという気分で過ごすようになったので、息が詰まるような思いもする必要がない。
どっしりと構えつつも足元は柔軟にいられるような気がする。
実際問題、結局、他人の行動は自分にはコントロールできないのだ。
他人の感情も、明日の天気がどうなるかも、自分の望むとおりにはできないし、変えることはできない(変えることができると思っている大人があったとしたらその人はまだ幼いのかもしれない)。
ただ一つ、自由に変えることができるものがあるとしたら、それは自分の心の動きだ。
たった一つそれだけ、他にはない。
目の前に起こったことに、どう反応するかを選ぶことはできる。
しかし多くの人が、それは選ぶことができないと思っている。
腹の立つときはすぐさま怒るべきものだと思っている。心のままに。
なぜなら彼らは感情に支配されているから。
感情の手綱を手放して失くしてしまっているから。
たしかに、感情のままに従うことも時には大切だ。
本能に従うのが生き物の常であることもよくわかる。
しかしそれと同じくらい、感情をいなし、なだめ治めるということも必要だ。
そして、もっとも重要なのは、これらが自ら選択できる状況にあることだ。
私は選べる。インド人がいるからね。
これでずいぶん生きやすいのだから、ありがたい。
というわけ。
猫?そういえば猫の話をしていなかった。
猫はかわいい。
かわいいの前には手も足も及ばぬ。
それで十分。
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