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Z世代を持ち上げるオトナと社会全体が、監視し合う生きにくい時代を作っていると感じた話〜『Z世代化する社会』について考える

こんにちは、水無瀬あずさです。

先週は珍しく1本しかnoteの投稿が出来ませんでした。昨日6/16(日)から修学旅行に言っている長男くん(中3)のもろもろの準備が忙しかったのと、月も半ばでやることが山積みだったことが原因です。決して週末『真・女神転生V VENGEANCE』のレベル上げが楽しすぎて、金曜日の夕方から仕事はほぼしなかったことが原因ではありませんからね!

はあ、ゲーム楽しい。心の平穏。

それはさておき、最近ちょっと読書したいしたいモード中でして、少し前の「体験格差」に続き、再び世代間考察についての本を読みました。それが今回ご紹介する『Z世代化する社会~お客様になっていく若者たち』。いわゆるZ世代モノですが、「Z世代イミフ!ちゃんとしろ!」という批判的な内容ではなく、「みんな最近Z世代ってやたら持ち上げたり批判したりしているけど、実は世代って社会のあわせ鏡であって、オトナだって全然人のこと言えないし、むしろ翻って全部オトナたちの責任なんだよ?そのうえで、批判じゃなく建設的に今後のことを考えようよ」というスタンスで書かれいて、非常に面白く内容の濃い本でした。著者は東京大学大学院の講師の先生で、もし許されるならこの先生の授業を受けてみたいと思うくらいには面白かったです。

ということで、今回は昨日読み終わった名著『Z世代化する社会~お客様になっていく若者たち』についてご紹介するとともに、本を読んで私が考えさせられたことをまとめていきたいと思います。「イマドキの若手は・・・」と悩むマネジメント層はおそらく多いでしょうが、根本的な問題って実はもっと大きな、別のところにあるのかもしれません。そうであるならば私たちオトナは、今こそZ世代を取り巻く社会全体を俯瞰し、あらゆる事象をマーケティング化しすぎたせいで余裕のなくなっている「今」という時代に疑問を呈し、一度立ち止まる必要があるんじゃないでしょうか。この記事を通じて、Z世代がまさに今抱えている問題が社会全体の問題でもあるという認識を共有し、次の一歩を再考していくきっかけになれば嬉しいです。

※本記事は1万字を超える長文となっておりますがご了承下さい!


『Z世代化する社会~お客様になっていく若者たち』とは


『Z世代化する社会~お客様になっていく若者たち』は、2024年4月に上梓された書籍です。本屋さんでたまたま見つけ、パラパラ見つけて立ち読みしたら面白そうだったので購入しました。

著者は東京大学大学院経済学研究科講師の舟津昌平氏。ゆとり世代なのだそうで、私よりはやや年下かな。文中には時折ノリツッコミみたいな記述も見られるので、ご本人は「学生からは怖がられている」とのことですが、かなりユニークな先生なんじゃないかなと思います。授業も面白そう。

私はZ世代だけでなく、世代間格差や世代特有の特徴などに興味があります。なぜかといえば、自分が「氷河期世代」として苦労してきた経験があるから。そもそも世代ってなんなの?生まれた時期が違うだけで何がそんなに違うの?というのは、私がずっと追求し続けている疑問そのものです。そういう意味で、昨今もっぱらやり玉に挙げられ、我が子も含まれるZ世代は、非常に観察・考察しがいがあります。noteもいくつか記事を書きました。

上記の2記事でそれぞれご紹介しているZ世代に関する書籍『先生、どうか皆の前でほめないでください~いい子症候群の若者たち』『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか~"ゆるい職場"時代の人材育成の科学』、そして今回ご紹介する『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』と、Z世代3部作としてまとめ売りしてほしいと思うくらい、なんていうかこう、まるで一本の線になるかのように繋がったんです。なるほど、だからこうなのかという部分が。なんて素晴らしいアハ体験!やはり何かを知るためには、同じモチーフの書籍を数冊読んでみないと、ものの本質って理解できないんだなあという気付きにもなりました。

3冊から私が読み解いた結論がこちら。

高校・大学にとって生徒・学生は「お客様」であり、大切に手厚く、不快を一切排除した環境を提供してくれる。学校はさながらテーマパークだ。でも就職して社会に出たら、会社にとって新入社員は「お客様」でもなんでもないから、同じようにやっていても褒められないし、評価されない。
どうしてだろう、この会社ブラックなのかな。仕事は楽しくないし、別に特別やりたかったことでもないし、任せられるのはユルい雑用ばかりだし、上司はアドバイスと称して不快なことを言ってくるし、先輩を見ても自分の将来は描けない。なんだか将来が不安だ、自分はちゃんとやっていけるんだろうか。そうか、この会社には本当に自分のやりたいことなんてないのかも。会社ガチャ、上司ガチャに失敗したのかも。
不安に駆られた若者たちは、そうして先の見えないガチャの正解を求めて、2年そこらで会社を辞めていく。だけどそんなものに正解なんてないから、いつまでたっても正解を見つけられず、不安も解消されない。
そもそもその漠然とした不安って、どこから来ているのか。それはSNSやYoutubeやSEO記事などの、インターネットによるマーケティングだ。SNSネイティブなZ世代は、日常生活で自然にSNSにふれることで、自分たちが気づかないうちにマーケティングの渦に閉じ込められている。インフルエンサーを初めとするオトナたちはこぞってZ世代の不安を煽り、「こうすればうまくいく」という端正なモデルケースを売りに、消費行動を換気しようと躍起になっている。こうしてZ世代は、「自分は今のままではいけないんだ」「仕事は楽しくなければいけないんだ」「仕事でやりがいを見つけなければいけないんだ」「やりたいことをして生きていかなきゃいけないんだ」という、強迫観念にも似た上昇志向的なもの(実際には上昇志向でもなんでもない)によって不安をさらに加速させていく。いわば不安のスパイラルだ。
こうしてマーケティングによって「不安」の罠にハメられたZ世代たちは、就職してからも「不満はないが、不安はある」と感じ、「成長」を求めて彷徨い、「成長実感」を感じてちょっとだけ安心する。この現状が、Z世代がまんまとオトナたちのマーケティングの罠にハマっている何よりの証拠だ。

不安には正体がないし根拠もないので、いつまで経っても解消されないし、どんどん広がっていくもの。でもそれってZ世代だけに限った話じゃなくて、オトナも同じでね。不安だから、SNSやYoutubeの耳障りのいい声に耳を傾け、検索で出てきた都合の良い正解っぽいもの(正解ではない)を信じてしまう。私も思い当たりますが、みんなそうなんじゃないでしょうか。そもそも人生に正解なんてないのに、あたかも正解があるかのような勘違いをして、人生やキャリアにさえ正解を求めてしまう、美しく整えられた「完璧」を求めてしまうっていう、それこそが現代社会の大きな落とし穴。Z世代だけでなく、「Z世代化する社会」そのものが患っている病のようなものだと示唆しているのが、『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』の本なんだと考えました。

Z世代化する社会では、若者も上司もデオドラントな完璧を求められすぎている。
「SNSには美男美女しかいない」とよく言われる。常に見た目を監視され、イケてないといけないけどイタくはないように。はしゃぎすぎてもいけないけど、ノリは悪くないように。上司も、怖い顔はしちゃいけないけど、馴れ馴れしく干渉しすぎないように。必要なときは声をかけてほしいけど、要らないときに絡まないように。怒っちゃダメだけど、成長を促すように時々叱って。やりがいのある仕事を任せてほしいけど、負担にはならないように・・・。
なんかもう、他人に求めすぎだ。自分が損しないように、不快に不安にならないように、その種が他人から一切排除されていることを求める。だから、人間は満点じゃないといけない。自分の利益のために他人の不快・不安の種を追求し、満点を求める発想。これを満点人間志向と呼ぼう。Z世代化する社会がはらむ大きな病理だ。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第6章

人生の正解ってなんだろう。キャリアの正解って、未来の正解ってなんだろう。それって正解・不正解で簡単に表せるものなんだろうか。お金を稼げば、いい会社に入れば、それは幸せなんだろうか。私たちは多様性の時代と言いながら、ずいぶんと自縄自縛していて、狭い空間に自らを閉じ込めているのではなかろうか。そんなことをいろいろと考えさせられる本でした。

『Z世代化する社会』で紹介されたZ世代の特徴

ということで、『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』を読んでいて、Z世代の特徴として挙げられているいくつかをここにご紹介してみます。

SNSマーケティングに囲い込まれている

現代のSNSを初めとするインターネットサービスはほぼすべて、AIによるレコメンド機能が搭載されています。「あなたは傾向的にこんなん好きですよね?」「だったらこれも興味ありますよね?」とAIが学習して判別を行っていて、利用者は自分で選んでいるつもりでも、実際には「選ばされている」、気づかない間にマーケティングの輪に閉じ込められているというわけです。

そしてさらに、同じYoutubeを見ていてもTOP画面が三者三様であるように、各々がパーソナライズされすぎていて、同じサービスを使っているのに他の人の状況が分からないということも起きています。「メールの時代には考えられなかったぐらい、SNSは開かれているし、閉じられている」(本文より引用)という、全世界に向けて発信していながらきわめて閉鎖的というパラドックスが生まれているのです。パーソナライズされた世界は外からは見えないため、自らがマーケティングの輪に囚われていることにも気づかない。そして、気づかないうちに消費行動を起こすように「導かれている」という図式が生まれています。ああ怖い。

そしてインフルエンサー。ここでは、Youtuberもインフルエンサーに含まれると考えてもらって支障ないと思います。本文を引用すると、

いわゆるインフルエンサーは、若者の支持を集めており、SNSを主な活動の舞台とし、そしてビジネス化されている点で、きわめて現代的だ。そして暴論を承知で言っておくと、すべてのインフルエンサーはモノを売るために存在している
かつ、インフルエンサーはビジネスを最優先事項とする。もちろん、大学の先生だって、会社員だって、医者だって、職業とされるものにはお金が介在している。その意味で大学の先生も金のために生きてんじゃないか、と言われたら、その通りだ。ただ、ほとんどすべての大学の先生は、金を第一主義にはしていない。儲けることが最優先だというビジネスの論理では動かない。でもインフルエンサーは、儲けるというビジネスの論理をかなり鈍化させていて、そのむき出しの論理によって駆動している
シンプルな原理で動いているから、迷いがなくて力強い。力強さ自体が魅力的にすら映る。誰もがなんでもかんでも「場合による」「人による」「私からは断言できない」と言ってしまう現代で、「ガンガン儲けようぜ」っていい切れる人に魅力を感じるのは正直理解できる。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第2章

私たちはインフルエンサーを応援し、推しを推すという行動を取ることによって、知らないうちにそのインフルエンサーのマーケティングの渦に絡め取られているわけです。

私も普段は推しのYoutuberさんのゲーム実況を楽しく見ているだけだけど、他の人がスパチャをしているのを見ると「参加したほうがいいかな」、有料サービスとか聞くと「ちょっといいな」、グッズが発売されたって聞いたら「買ってみようかな」って思います。思いっきり絡め取られてますな。ぎゃっふん。

別にそれ自体が悪いということではなくて、ただその事実に自分が気づいていないということが問題かなって思うんですよね。めっちゃターゲットにされてる!狙われてる!って気付けることが、次の行動を変化させたり、立ち止まって考える一助になるかもしれないわけで。

今回の話とは直接関係ないけど、推し活についての本を読んだ感想なども過去に書いているので、合わせてどうぞ。

学校教育で培われた「お客様」体質

近年では大学がテーマパーク化しているらしい。テーマパークかとはすなわち、「大学を、不快を消し去ったとにかく楽しい場所だと見なす志向」(本文より引用)を指すそうで。まあ確かに大学って、半分くらい遊んでいたような気がしなくもなくもない。「子ども三人いる家庭は大学が無償」とかいう、子育て支援になるとは到底思えないような施策ができましたが、これによってテーマパークみたいな大学が更に増えそうだよね。

ただ、本著でいうテーマパーク化はそういうことではないようで。どちらかというと、「不快を消し去った」という部分が大事っていうことらしい。不快に感じることをすべて排除した、夢の国。不快があればスタッフがすべて取り除いてくれる世界。なぜなら、学生は「お客様」だから。

現代の大学、というより教育現場では、学生を安易に怒れないという問題がある。アンガーマネジメントという言葉が浸透し、人前で怒る人は異常者や犯罪者のような扱いを受ける時代だ。職場でも学校でも、若者を怒るということは忌避されており、そもそも現象として珍しくなってすらいる。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第1章

先生は学生を怒れない。怒られない学生は、授業態度を注意されて「PTAに言いつけますけど、いいんですか?」などと指摘するそうだ。なんだそいつぶっ飛ばしたい。それは置いておいて、怒られない学生は授業を静かに座って粛々と受け(勉強に集中するとかではなく、静かに座っていさえすればいい)、そうした学生と先生の共犯関係によって、学生は「お客様」であることが当たり前のような錯覚を起こすというのです。

私は何と言うかギリギリ根性論世代なので、学生時代に水分を取るとかもってのほかだったし、廊下や教室の後ろに立たされたこともあるし、みんなの前で叱られるとか割とよくあったのだけど、そういう経験が今の若い子にはないんですね。確かに我が子達にも、そういう経験がほぼないかも。なるほど、言われてみれば「お客様体質」はその通りかも。

なんせ今の新入社員とかなんてやれ金の卵だなんだのと持て囃されているので、お客様体質が抜けずにそのまま社会人になっちゃうんだろうな・・・というのは容易に想像がつくところですね。そりゃ「指示待ち人間ばっかり」とか言われちゃうわけだ。就職氷河期世代で新卒なのに「お前の代わりは他にいくらでも居る」とか言い捨てられた私たちとは大違いなのは羨ましいけど、ぶっちゃけ社会に出たら怒られることばっかりなのに、いろいろ生きづらそう。

偏見を承知で言う。若者の少なからずはメンタルが弱い。傷つきやすい。怒られ慣れていないのも無関係でないと思う。すぐ周りを見て、すぐ比較して、すぐ自身を失って、すぐ「病む」。いくら褒めても、一度叱ったりして自信を失えば賽の河原である。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第2章

そりゃそうなるわなって感じですな。

「アンチ」と「それ以外」だけの世界線

インフルエンサーにとって、自分を支持しない人はみんなアンチ。応援してくれる人はこっち側で、アンチを叩く(本文中の言葉を借りるなら「アンチ-アンチする」)ことで仲間内の結束を強めるというスタイルだと書かれていて、なるほどXとか見ていると本当にそうだなと妙に納得してしまいます。それはさながら泥仕合だけど、インフルエンサーにとってそんなん関係ないわけで。「ビジネスの論理を鈍化させたインフルエンサーにとっては、自分の味方になるかどうかで、とるべき態度がすべて決まっている」(本文より引用)ってわけ。実に真理ですね。

そういえば前に読んだ『なぜ「若手を育てる」のは今、こんなに難しいのか』には、若者を対象とした「そう思う」「どちらとも言えない」「そう思わない」と回答する調査において、Z世代は他の世代と比べて「どちらとも言えない」の比率が低いと指摘していました。AかBかの線引きが明確で、かつ判断が早いのはZ世代の特徴と言えるのかもしれません。

そうやってサクッと切り分け、切り捨て、「世の中で自分を傷つける人はぜんぶアンチ」(本文より引用)とする論理は、実にシンプルで分かりやすいものです。だって大好きな推しがそうしているんだから。でもじゃあ、善意でアドバイスをくれた人、言いにくいなかでも率直に苦言を呈してくれた人を、「この人はアンチだから」って切り捨てていいかって言えば、絶対に違うと思います。不快だったかもしれないけど、アンチじゃない。むしろ悪役を買って出てくれた、とてもいい人のはず。

私たちの生活はビジネスじゃない。だから、AかBか簡単に切り分けられることってそれほど多くないはずなんですよ。インフルエンサーが居る「向こう側」は、決してリアルではない、あくまで虚像の世界なんだということをちゃんと理解しなければいけないと感じました。

曖昧な意思表示のユルいコミュニケーション体系

Z世代を中心とした若者のコミュニケーションは、いいねとリアクション、スタンプ。非常に便利なので私も多用していますが、LINEで送ったスタンプに対して真顔で「これは何を表していますか」と聞かれたら、「え?」って戸惑ってしまうかもしれません。つまりその程度の、意思表示をしているんだかしていないんだかさえ曖昧なほどと、ゆるいコミュニケーションがそこにあるということです。

会話しているようでしていない、何か交換しているようでしていない、のだ。既読といいねマークはつくけれど、明示的なコメントは必ずしもつかない。ラインにも、スタンプという何を言いたいのかよくわからないけど会話した感じにしてくれる実に便利な道具がある。いつも誰かとつながっている気分になれて、実は誰ともやりとりをしていない。そんなやりとりがコミュニケーションの中核になっているのが、Z世代なのである。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第1章

友達ってなんだろう。長男くんが昨年だったかに悩んで私に話してくれたのも、そんな内容だったなあ。クラスで別に話せる人はたくさんいるけど、本当に心を許せる「友達」はほとんどいなくて病む、みたいな内容でした。

その時は確か、「私だって大人になった今でも、本当に心を許せる友達なんて2~3人しかいない。たぶんそういう友達って、欲しいと思って作るものじゃなくて、自然にできるものだから。今は焦らなくて大丈夫だよ」みたいなことを返しましたが。つまり長男くん、上記のようなユルくて惰性のようなコミュニケーションしか取っていないから、本当に仲の良い「トモダチ」と呼べる友達が少ないってことなのかなと感じました。実はZ世代、似たような子が意外と多いのかもしれません。

余談ですが、Z世代の特徴として、「陰キャ」を多用するとあります。

多くのZ世代は、互いに密に監視し合いながら、「陰キャだけど陰キャじゃないちょっと陰キャ」で、あわよくば「他社からは陽キャと言ってもらえる」こと、イケてるけどイタくはないカーストに所属することを目指している。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』事例解説編

これすごいよく分かって、長男くんも次男くんもやたらと「自分は陰キャ」「自分の属するグループは陰キャばっかり」「陽キャの友達に憧れる」「うちのクラスの陽キャが~」みたいなことを言います。夫といつも、「陽キャっていうかパリピのことだよね?あんたたち別に陰キャじゃないじゃん」って言うんですが、頑なに陰キャ自慢をしてきます。うちの子たちだけかと思っていたけど、そういう世代っていうことだったんですね。ちなみに子どもたちに言わせると、私は陽キャなんだそうです。どこがやねん?

即効性のある結果を求めすぎている

昭和の根性論、平成の働き方改革に続き、令和の時代のキーワードは「やりがい」。いわゆる「成長」につながるかどうかが、Z世代にとっては重要な指標になっているようです。

そういえば先月に書いたライティングでも、エンジニアの成長がどうとかって記事を書きました。クライアントとの打ち合わせのときに、「水無瀬さんは自分の成長のためになにか努力されていますか?」的なことを聞かれて困りました。エンジニアになったばかりの頃も今も、やるべきこと、やりたいこと、知りたいことを学ぶのに必死だったけど、それがぶっちゃけ成長につながるかどうとか考えなかったですけどね。まあ結果として成長したと思いますけど、ってざっくりとしか答えられなかったけど、若い担当者さんだったから、たぶん「こいつ成長とか考えてないんだな雑魚が」と思われていたかも。でもぶっちゃけ、何だよ成長ってよ

どんなに高尚な知識を大学で学んだとしても、それが社会人になってすぐ生かせることなんて正直ないわけで。リスキリングでプログラミングを学んだって、すぐに最前線で活躍できるエンジニアにはなれないわけで。なのにいつだってマーケターやSEO記事は、これをやれば即戦力になれる、あなたの市場価値が上がると焚きつける。ごめんなさい、私も思いっきりライターの仕事では書いています。でもライターじゃない素の水無瀬あずさの、非常に素直な感想としては、そんな都合の良いスキルなんてねえよとも思います。仕事というのはやっぱり年の功、経験がモノを言う世界なのです。積み上げた知識と経験が、ある時ふと役に立つものなのです。

若者は、生き急ぎすぎている。本当に余裕がない。入社3年やそこらで「力を発揮できているか」「会社の役に立っているか」「ヨソで通用するか」なんて考えて、不安になっている。誰がそうさせたのか。オトナだ。教育コストを惜しんだオトナが即戦力とか言い出して、だから逆に「すぐ通用するものなのだ」と勘違いしてしまっているのだ。若者もオトナも、本当に余裕がなくなっている。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第6章

私が今こうやって本を読むことは、果たして成長に繋がるのかと問われれば、答えは「さあね?」でしょうか。別に成長のために読んでいるわけではなくて、純粋に「知りたい」「学びたい」と思うことを学んでいるだけなんですよね。私のモットーは、生きることは知ることであり、知識は力であるということ。息を吸うように知識は積み重なっていくものだし、知識を積み重ねるという行為は、いうなれば頭の中にある引き出しを増やしていくことだと思います。長い時間をかけて引き出しが増えれば、ふとした瞬間に「そういえばこんな知識があったな」ってゴソゴソ出せるし、それを使って何かをすることが、結果的には成長に繋がるのかもしれません。

つまり成長って、結果なんですよ。何かをやった後にもたらされる結果。意図してするもんじゃない。だから成長のために頑張るっていうのはなんか違うと思います。そうだ、ずっと違和感を感じていたけどそういうことだったんだ(とこれを書きながら理解した)。

何かを成し遂げたとき、成長したなあって感じるかもしれないけど、そのためにはまず何かを成し遂げないと。順番をちゃんとしなきゃいけません。仕事なんてとにかく楽しくないものなので(と本著に書いてある)つべこべ言わずにとにかく続けてみる、トライしてみる、まずは昇進を目指してみる。その先に見える景色が、たぶん成長に繋がっているんだと思います。

ただしそのための条件として、「会社において偉くなりたい、昇進したい、という希望を持てるようにすること」(本文より引用)は必須です。不安の中でも足掻くことで何かを掴み取れる、そういう一筋の光を、社会全体で作っていなければいけないってことですね。課題は多いけど。

Z世代は単なる大人の写し鏡

本を引用してZ世代の特徴について書いてみましたが、もしかするとこれを読んでいる方の中には「っていうかこれ全部私のことじゃね?」と思った方もいるかも知れません。そう、Z世代の特徴だなんだ言っているけど、別にZ世代に限らず、私たち全員に当てはまることがほとんどです。あるいは私たちオトナが意図して導いた結果、Z世代という特性を形成したとも言えるかもしれません。

つまり何が言いたいかといえば、「イマドキの若いもんは!」「Z世代なんて持ち上げられてるけどさあ・・・」と怒りを持って睨みつける矛先にあるのは、鏡です。自分たちに完全に跳ね返ってくる、美しいブーメラン。みんな多かれ少なかれその様相を持っていて、それぞれに問題をはらんでいるのだ、これはZ世代とかじゃなく社会問題なのだという大きな問題提起です。

Z世代に巣食う病理。実はそれはわれわれ全員が共有する社会の病理であり、免疫の低い若者に、先に感染しただけの病だった。病気が映らないように隔離したり、病人だから無碍に扱えない、とか腫れ物に触るように振る舞っていたら、オジサンもオバサンもみんな、同じ病に罹ってしまう。それが現代という社会、Z世代化する社会なのだ。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第6章

根拠のない自信を持て!

そしてそんなZ世代化する社会の解決策として、本著では、「根拠のない自身を持て」という提言をしています。

そもそも不安には正体が無く根拠もない。でもそれって信頼も自信も同じ。不安も信頼も自信も、同じ何となくの曖昧なものでしかないんだから、だったらいっそ根拠のない信頼を自分や周りに向け、根拠のない自信で胸を張って生きろと。非常に曖昧で雑ながら、何とも力強い提言だなと想いました。

あなたがヨソで通用すると自分で思い込むことに、理由は要らない。問題の所在は、そうやって自分を信頼して、仕事に邁進できるかどうかにある。
そしてできれば、上司も信頼してみてほしい。理由とか後付けでいいから、不安にならずに自分を、周りを、信頼してみたらいい。

引用:『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』第6章

根拠がなくても、自信がある人は魅力的です。ドラゴンボールの悟空もワンピースのルフィも鬼滅の刃の炭治郎もマッシュルのマッシュも、まあ正味強いんだけど、自分を信じ、仲間のために自分のために、限界を超えても強くありたいと上を目指す人は、いつだって美しいし、いつだって応援したいと思います。だからみんなもそこを目指せばいい。根拠なき自信は、生きる希望につながるはずです。

余談ですが私は昔から、根拠なく自信に満ち溢れている人種の人です。別に何もすごいことをしているわけではないけど、「私は頑張ってるしエライ」っていつも思っているし、大体のことは「なんとかなる!」ってここまで来ました。たまにへばったり落ち込むこともあったけど、周りに助けられて今こうして立てているから結果オーライ。誰にも迷惑はかけていないし、根拠なくても自信を持つことは人をハッピーにすると思います。自信持とうぜ。

結び|生きにくい社会を創り上げているのは私たち自身なのかもしれない

Z世代に関する書籍を読んでいると、現代社会に置かれている状況や問題が浮き彫りになったような感覚を覚え、他人事ではないぞなんとかせねばという気持ちになります。でもそれってきっと私たちが若い頃に上の世代のみなさんも少なからず感じていた危機感であり、これから先もずっと脈々と続いていくスパイラルなんだよな。

つまり世代なんて概念は極めて曖昧で、年代と言葉上でのちっぽけな線引きでしかなく、世代の問題すなわち社会の問題ってことなんでしょう。Z世代がなにかに萎縮した息苦しさを感じているのだとしたら、それは私たち自身がそういう社会を創り上げているってことです。なんで自分たちでこんなにも自分の首を締めているんだろうか、私たちは。社会全体がいったん深呼吸して、一回ラジオ体操かなんかして(ヨガでも良い)、2、3歩下がったりなんかして、それからもう一回前を向くみたいな、そのくらいの一呼吸しなきゃいけませんね。まずはみんな立ち止まって、いったん足元を見てみようよ。

というところで、引用文が長かったので1万字を超えた本記事、はたしてここまで読んでくださっている人はいるのかしら。今回取り上げた『Z世代化する社会~お客様化する若者たち』は、世代理解だけでなく現代社会がはらむさまざまな問題を浮き彫りにした名著となっています。ぜひ多くの人に手にとっていただき、現代社会に潜む問題を考える一助になってくれれば幸いです。

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