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『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑧〜久々の大きな地震〜
こんにちは、ディーケーです。
久しぶりに投稿をしてみたいと思います。
6/3(月)、06:30。
能登半島を震源とした震度5強を観測する大きな地震がありました。
私は金沢の方にいたのですが、久々に大きな揺れを感じました。
何より急な緊急地震速報は本当に心臓に悪いです。
この音はもはやトラウマです。
石川県で震度5強を記録したのは、1/6以来だそうです。
今回の地震で正月の地震で倒壊を免れ
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑦〜防災って何する?〜
こんにちは、ディーケーです。
今回は防災についてお話ししたいと思います。
①今回の地震から
まず、今回の地震の際に私が準備していたことは?
はっきり言って何もありません。
石川県では2020年12月から地震活動が活発になっていましたが、防災に関することは何もしていませんでした。
実家の耐震、免震、防災バッグの準備などあると思いますが、ほとんどしていませんでした。
犬がいたので、避難所に
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑥〜珠洲市の想像以上の被害〜
こんにちは、ディーケーです。
今回は、2月に珠洲市に訪れたときの様子をお伝えします。
①珠洲市に訪れた理由
珠洲市に訪れた理由は、
・私がかつて働いていた職場があり、珠洲市の人お世話になったため、どれほどの被害があったのか心配になったため。
・プライベートでも毎年珠洲市を訪れており、観光地の現状が気になったため。
です。
輪島市の被害は知っていても、珠洲市の被害が実際にどれほどひどいの
サッカー天皇杯の魅力
こんにちは。
ディーケーです。
今回はサッカー天皇杯について話したいと思います。
①天皇杯って?
まず天皇杯について、簡単に説明します。
天皇杯は1921年に始まった日本国内におけるオープントーナメントです。
今年で104回を迎える歴史あるサッカー大会です。
出場チームはJ1、J2のチームに47都道府県の代表になります。
優勝チームには翌年のACL(アジアチャンピオンズリーグ)への出場権
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑤〜発災1ヶ月半後の輪島〜
こんにちは。
ディーケーです。
今回は、能登半島地震発災後、1ヶ月半後の輪島の様子を写真でお伝えしたいと思います。
・故郷への帰還
金沢へ避難した後、1月11日に父と叔父の3人で一度輪島へ戻りました。
そのときは家にあったものを取ってくるだけで、すぐに金沢へ戻りました。
それから1ヶ月後の2月16日。
私は1人でもう一度輪島を訪れました。
実家に入って物を取ってくるだけでなく、ニュースな
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記④〜壊滅した故郷を見ながらの旅立ち〜
こんにちは。
ディーケーです。
今回は能登半島地震で金沢に移動するまでの道のりを書きたいと思います。
①破壊された故郷
私は家族と一緒に金沢の親戚の家に避難することになりました。
そして、1月2日午後1時。
私達は輪島から金沢に向けて、病院を出発しました。
その道中は想像していた以上に厳しいものでした。
道路のほとんどはひび割れや液状化により、一歩間違えればタイヤがパンクしたり、崖や川
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記③〜決断〜
こんにちは、ディーケーです。
今回も前回に続いて、能登半島地震で経験したことを書いていこうと思います。
①眠れない夜
自衛隊の基地に避難し、友人とも会い、安堵していたのですが、次の試練に直面します。
それはどのようにして夜を過ごすのか?
当時、輪島市の夜の気温は3℃でした。
とてもじゃないが、外で過ごすことはできません。
では、避難所で過ごすのか?となりますが、チワワが2匹いるので、避難所に
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記②能登半島地震発災
①の続きになります。
(よろしければ、そちらもお読みください。)
①急な揺れ
2024年1月1日16時10分。
リビングで4分前の地震についてのテレビを見ていたときでした。
ガタッと音がした瞬間でした。
突然、大きな揺れが能登半島を襲いました。
まるで、家をまるごと回されているような感覚。
なにより、今まで経験したことのないほどの揺れ。
「本当に地震なのか!?」
私は叫びました。
揺れ
『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記①地震前、何気ない正月
こんにちは。
ディーケーです。
今回は、『令和6年能登半島地震』が発生する前の私の行動を記していこうと思います。
①少し変わった年末
2023年12月末、私は仕事納めをし、実家のある能登への帰省の準備をしていました。
2023年12月30日、帰省の当日、私は喉に違和感を感じました。
ただ、熱を測ってみても平熱。
「このまま帰省してもいいのか?風邪が悪化しないか?」
と思いましたが、コロナ