『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記⑥〜珠洲市の想像以上の被害〜

こんにちは、ディーケーです。

今回は、2月に珠洲市に訪れたときの様子をお伝えします。


①珠洲市に訪れた理由

珠洲市に訪れた理由は、
・私がかつて働いていた職場があり、珠洲市の人お世話になったため、どれほどの被害があったのか心配になったため。

・プライベートでも毎年珠洲市を訪れており、観光地の現状が気になったため。

です。

輪島市の被害は知っていても、珠洲市の被害が実際にどれほどひどいのかわかっていませんでした。

私の行っていた職場や地域の人は大丈夫なのか気になり訪れました。

②想像以上の津波被害

珠洲市は1月1日の地震で津波の被害を受けました。
大きな揺れで津波の観測計が機能しなかったと言われていますが、実際には4mの津波が観測されたらしいです。

宝立町の様子

津波の被害が大きかった宝立町を訪れましたが、言葉を失いました。
ほとんど9割ぐらいの家屋が被害を受けていて、そのほとんどが倒壊していました。

見附島につながる橋

宝立町から見附島に行こうとしましたが、橋も歩道部分が完全に落ちていて、悲惨な状態でした。
少し離れた橋から行こうとしましたが、その道中は電信柱が倒れ、倒れた家屋がそのままの状態になっていました。
想像以上の地震と津波の被害にショックを受けました。

③崩落した見附島

宝立町からなんとか見附島に着きました。

見附島の様子

軍艦島と呼ばれ、白く美しい雰囲気を出していた見附島の姿はそこにはありませんでした。
大部分が崩落し、岩肌が生々しくあらわになっていました。

昨年7月の見附島

昨年の物と比較しても、それまでの活発な地震による被害はあったものの、軍艦島としての美しさがまだありました。
しかし、今ではそんなキレイな見附島が破壊され、悲しいです。

④まとめ

今回は2月の珠洲市の様子についてお伝えしました。

想像以上の惨状に言葉を失いました。

珠洲市の復興は輪島市や穴水町よりも遅れているという報道もあります。
復興するにはまだまだ時間がかかると思います。

しかし、またあの美しい珠洲市を見るために、1日でも早い復興していってほしいです。
ライフラインや家屋はもちろんですが、見附島や禄剛崎など珠洲市にある美しい自然を再び見れるようになる日が早く来てほしいですね。

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