『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記①地震前、何気ない正月

こんにちは。
ディーケーです。

今回は、『令和6年能登半島地震』が発生する前の私の行動を記していこうと思います。


①少し変わった年末

2023年12月末、私は仕事納めをし、実家のある能登への帰省の準備をしていました。
2023年12月30日、帰省の当日、私は喉に違和感を感じました。
ただ、熱を測ってみても平熱。

「このまま帰省してもいいのか?風邪が悪化しないか?」

と思いましたが、コロナが5類に下げられて、久しぶりに家族や親戚が揃う正月。
何としても帰って、皆と楽しい正月を過ごそうと思っていました。

夕方、実家に着き、家族と夕ご飯を食べ、寝ようとしたときでした。

さっきまでより、明らかに体調が悪くなり、熱を測ってみると、39度の発熱がありました。

②人生最悪の年越し

私は翌日病院に行きましたが、「発熱後時間が経っていないので、コロナやインフルの検査はできない。」と言われ、そのまま実家に戻り、自分の部屋で寝て過ごしていました。

しかし、熱が下がらず、体調もよくならない。

「絶対、コロナかインフルやん。」

私はそう確信しました。
そのまま体調が回復することはなく、2024年へ年を越すことになりました。

本来なら、家族と年越しそばを食べ、テレビを見ながら、年越しを越すことになっていたのに…

まさに「人生最悪の年越し」となってしまいました。

③回復!!

体調不良のまま新年を迎えた私は、翌日朝再び病院に向かいました。
そのときには熱も下がり、昨夜より体調が回復していました。

病院に着き、私はコロナ、インフルエンザの検査をしました。

結果は…
「陰性」。

その後、溶連菌の検査を追加でするも、それも「陰性」。

あの高熱は一体何だったのか?

そう思いながらも、体調が回復してきたことに間違いはありませんでした。
「やっと楽しい正月が始まる。」
そう思いながら私は家族の待つ家に戻って行きました。

④一家団らん

普段の正月は祖母の家に行き、親戚一同でおせち料理を食べていました。
しかし、私が体調不良になってしまい、風邪を祖母に移してはいけないと、祖母の家での集まりは中止となってしまいました。

それでも、実家で家族と過ごす正月。
普段とは少し違いますが、私はやっと正月休みを満喫していくのだと思っていました。

おせち料理を食べたあとは、サッカー国際親善試合、日本🇯🇵対タイ🇹🇭を観戦し、日本のゴールラッシュに気持ちを高ぶらせていました。
これです。こういう正月を過ごしたかったんです。

⑤そして…

サッカーの試合を見終えると、父が
「近くの神社に初詣に行こう。」
と言いました。

家族は2匹のチワワをゲージに入れ、出かける準備をしていました。
そして家族全員が玄関を出て、出発しようとしたときだった。

1月1日16時06分。
緊急地震速報が鳴り響きました。

家にいたチワワが心配になり、すぐに家の中に戻り、テレビで状況を確認しました。

震度5弱の地震が能登半島で発生したのです。
津波の心配はない。
大きな被害はない。
テレビを見ながら安心していました。

能登半島では、2020年より地震活動が活発になっていました。

「なんだ、またか。新年から嫌やな。」

活発になっていた地震活動に私は驚きはありませんでした。

「大した地震じゃなくて良かった。」

そう思っていたときでした。

グラッと揺れを感じ、緊急地震速報が鳴りました。

「さっきの余震か?対したことないやろう。」

そう思っていました。
でも、それがまさかあんなことになるとは思っていませんでした。

〜②に続く。〜

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