『私の愛した能登半島』能登半島地震体験記④〜壊滅した故郷を見ながらの旅立ち〜

こんにちは。
ディーケーです。

今回は能登半島地震で金沢に移動するまでの道のりを書きたいと思います。


①破壊された故郷

私は家族と一緒に金沢の親戚の家に避難することになりました。

そして、1月2日午後1時。
私達は輪島から金沢に向けて、病院を出発しました。

その道中は想像していた以上に厳しいものでした。

道路のほとんどはひび割れや液状化により、一歩間違えればタイヤがパンクしたり、崖や川に転落してしまうのではといった恐怖を感じました。

道路の損壊や家屋の倒壊により、普段通っている道が通れず、迂回して行くことになりました。

そこで熊野トンネルに差し掛かったところでした。

熊野トンネルの場所

トンネルは電気がついておらず真っ暗で車のライトを頼みにするしかありませんでした。
真っ暗なトンネルを抜けたときでした。

トンネルを抜けた道路に巨大な岩石が転がっていたのです。
車より大きく、車ごとぺしゃんこに潰してしまいそうなほどの大きなものでした。
しかも、そこの道で渋滞になってしまい、しばらくその岩石の横で待っていることになりました。

そこからちょっとずつ進んでいき、能登空港インターに着きました。本来、輪島から15分ほどで行ける場所が1時間かかって到着することになりました。
さらにそこからは、珠洲から避難しているであろう車の長蛇の列にはまってしまいました。
皆避難するのにいっぱいいっぱいなのだと思いました。

能登空港インターから穴水の町中までは5キロほどで5分で本来なら着きます。
しかし、そこの道路も崩壊しており、さらに土砂崩れによって、片側交互通行の状態でした。
そこではなんと3時間かかり、穴水に着いたのは午後5時でした。

輪島を出て4時間。
普段何気なく移動できていた道が破壊されている様子に大きなショックを受けました。

②金沢へラストスパート

穴水まで着いたのですが、金沢まではまだ100kmほどあります。

普段ならのと里山海道という自動車専用道路が使えるのですが、そこも大きく崩壊しているということで穴水から港を回って金沢に向かうことになりました。

日が落ち、街灯もついていない状態でしたが、家屋の倒壊、地面のひび割れが見えると、この地震の被害の大きさを痛感しました。そして、破壊されている故郷を見ることはとても悲しい気持ちになりました。

なんとか穴水を抜け、午後7時。
近くのコンビニでサンドイッチと飲み物を購入しました。
お菓子は食べていましたが、体調不良もあり昨日からほとんどまともな物を食べていなかった私はゆっくりとサンドイッチを食べました。
こんなに美味しいサンドイッチは初めてでした。

地震による不安と恐怖から少し解放されたような感じになりました。

そして、そこから七尾、羽咋を抜け、やっと金沢の親戚の家に着きました。
時間は午後9時。
輪島を出てから、実に8時間が経っていました。

③安堵とテレビで見る故郷

親戚の家に着き、私は安心した気持ちになりました。
温かいご飯を食べたり、お風呂に入れたりすることが初めて嬉しく感じました。

しかし、嬉しいことばかりではありません。

改めてテレビに映る故郷の様子。
それは今まで過ごしてきた能登半島ではありませんでした。

大規模火災で焼け野原になってしまった朝市。
倒壊したビルや家屋。

そのとき私は、今まで愛していた能登半島が壊滅してしまったことに先の見えない不安を感じました。

「これから能登半島はどうなっていくのだろうか?」

⑤へ続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?