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コロナ!最後の闘いまでのまとめと残されている課題!

本文は、先にあります。


コロナは、地球だけの問題ではなく、パラレルワールドを含む多次元宇宙に及ぶ規模の大きな問題をはらんでいた。

コロナは、地球だけの問題ではなく、パラレルワールドを含む多次元宇宙に及ぶ規模の大きな問題をはらんでいた。

今までに分かった事は、この宇宙は、ビッグバン宇宙を何度も繰り返しているが、ビッグバン宇宙とは、あると言う宇宙が、100億年間、ないと言う宇宙に閉じ込められる事を意味していて、実は、元々の遥か彼方の宇宙は、無限永遠の定常宇宙であったのである。

ところが、間違った数学を基本に導き出された、間違った方法でタイムトラベルが可能になり、その為に、歪んだ世界が生じ、ブラックホールと言う穴、つまり、ほころびが宇宙に生じ、歪んだ宇宙の為に、無限ではなくなり、その穴に閉じ込められると言う現象が生じた。

法則と言うモノは、先にある様に考えられがちだが、実は思考や、意識が固まって法則となるのである。

すなわち、元々の宇宙は、物質宇宙と呼べるかも、疑わしいのである。

つまり、マンガの様に、何でも可能な世界で、考える事や、思う事がそのまま現象に、反映される世界だったのだが、複数の意識が、生じ始め、多くの別人が存在する様になった。

そして思考がパターン化し、そのパターンによって、世界が分裂し、同じパターンを持つ者たちによって、各々の世界が作られ始める。

それが一つの宇宙となり、出来る事と出来ない事が生まれ始める。

そうした、出来ない事は、言わば壁の様に、固まって行き、物の様なモノを生み出していった。

しかし、法則の様なモノが生じ始めるには、これまたパターンを持つ者同士が集まらなければならないが、物と言うモノが存在しだすと、カズ(数)の様な概念も自然に生まれ、又、意識存在が、身体を持つと言う事も、出来る様に成って来るが、この様に、意識や、考えは、現象をパターン化させ、それらが、法則性を生じさせたのである。

そして、その法則性に応じて、世界が分かれ、その一つの世界が、この世界の初めにあった定常宇宙となり、その中で、数学、科学が生まれたが、数学の概念上の定義が間違えていた為、間違った方法でのタイムトラベルが可能になり、ブラックホールが生じ、ビッグバン宇宙が、始まったのである。

その同じ間違いを止めるべく、このコロナが、始まった。

私は、後で述べる経緯で、コロナに関する記事を投稿し出したが、霊が干渉しているのか、何がしかの意識が干渉している様な状態になって、現在の問題と原因を理解した。

そして、ここnoteで0除算について、知ったが、0除算とは、数を0で割っては行けないとされていたのが、0に成ると変わった事の様だったが、このタイミングで、私が、0除算の情報に触れた事に、偶然とは、思えず、ここに、ブラックホールが生じ、ビッグバン宇宙が生じた原因がある様に思えてならなかったが、最後と思われる決戦に駆り出され、noteを放置せざるを得なかった。

しかし、戦いが終わり、私は、noteを放置して、妻とのささやかな思い出作りに、のんびり暮らそうかと思う様に成っていた。

しかし、運命は、いとも簡単に私を、この執筆に導いた。

0除算について、言えば、まず、この世は、0に対する考え方自体が、そもそも間違っているし、数学自体、根本的に見直さなければならない点もある。

まず、ひとつは、無と、0と、点と、「ない」が混同されている所である。これらは、各々違う。

まず、無と、「ない」は、真逆である。
無は、全てが一体と成っていて、識別のない状態をいい、存在の源、ソースであるのに対し、「ない」は、区別としての「ない」は、真の「ない」ではなく、対象のモノが、無に帰している状態を表わしているが、その為、存在に「ない」は、存在しない。存在するのであれば、「ある」のだから「存在」になり、理に反する。
ただし、存在と言う言葉には、命と言う意味が含まれているらしく、命の外が、「ない」である可能性はある。
その証拠と言うのも変だが、存在記号は、∃であり、カタカナのヨと同じであるが、ヨは、夜、世に通じ、存在ほど矛盾した不完全なモノはないのである。
なぜなら、あるが故に、矛盾、疑問、問題が生じる。
又、不幸、争い、苦しみや、努力の必要と言った、余計なものまで、生じる。
もし、真に「ない」なら、自己そのもの自体存在しない為、楽しみ、喜び、幸せ、富、それらを求める必要自体なく、完璧にして完全なのである。
その為か、仏教の、瑜伽(ゆが)おそらくヨガの大成では、アラヤシキと言う8つの識を説き、五感と精神を基盤とする意識と第7の識「マナ識」は、錯覚して自我を感受し、その上に無我の境地と思われる、「アラヤシキ」を説いた。と思われ、私の意識の根底には、「あってはならん」と無念無想に励ませるテラ(寺)の記憶がある。

数学と離れ過ぎ、申し訳ない。

0は、本来、「ない事」と言う「事」を表わす観念がインドで発見されたのであって、カズ(数)に、nothingに当たる、「ない事」が存在していない為に、それに、気付いた者が、カズに0を加えたと考えられる。

これに対し点は、最低2次元である面を必要とするが、それは、量のない点を存在させようと思えば、線である1次元が、0の集積であるから、0次元である無において、認識出来ず、存在とならない為、1次元を存在させる為には、これまた最低2次元必要と成るのである。

2次元を領域で分割した所に生じるのが、量のない線であり、この分割を最低3分割して、そこに出来る分岐点が、量のない点である。

そもそも、0は、ない事であるから、ないものが集まり、あるモノに成ると言う根本的矛盾を、平気で受け入れて来た現在の数学は、根本的に間違っており、たとえば、0.99・・・は、1未満を記述するものであり、イコール1では、ありえない。

元の話に戻るが、大きなモノの中に小さいモノが、存在するのであり、2次元も、3次元の中にあり、全ては、無限の中に存在するのである。

点について言えば、点が認識される為には、線を閉じる必要があり、固定された量を持つ必要はないが、領域を必要とする為、縮小無限の領域と量を持つ事に成る。その為、点は、0次元ではなく1次元である。

とは、言え、点が、輪を結ぶ、0を点と考えるなら、0次元であると言えるのだし、線が、一の様に、見える事からも、線が、1次元と言う考え方が、間違っている訳ではないのであるが、0次元あるいは、点を、無次元である無や、場としての無と、混同しては、成らないのである。

点には、画素としての大きさがあるのである。

次に無限には、大きい無限と、小さい無限など、色々ある。
たとえば、一定単位当たりの、画素が小さい点で出来た無限は、逆に大きい

掛けると言う行為が、0の概念の間違いにより、違う単位のモノを掛け合わせると言う考えを生み出し、それは、面積の計算に用いられ、それが、科学に及んで、重さと高さを掛け合わせる等の、エネルギー等の計算に用いられる様に成り、エネルギーと言う概念を生み、その、エネルギーと、力は、別物であると言う馬鹿げた見解にまで及んだ。

掛けるは、本来、足すを繰り返す事であり、割るは、分ける事であり、割れない数は、余りとして残すのが正しく、確かに、リンゴを半分に切る事は、出来るが、それは、真に半分とは、言えず、ひとつを、分け合うと言う意味においては、止む負えない計算では、あるが、正しい3分の1は、ありえず、科学において、現実には、無理をしており、たとえば、デジタルの画面で、正確な形は、四角形のみである。

そうした、数理、科学は、実際には、この世を科学的に、発展させる為に、神々である人々により、わざと、用いられ、魔法や、鏡の世界、夢の世界を、架空や、想像の世界に、閉じ込め、カオスを、ロゴスに従わせ、封鎖していたのであるが、実は、ここには、神のわざと仕掛けたミスを混入させる事により、科学的世界観で世界を進ませて、人々を幸福に導き、時が到来した時、新たな次元に進めるべく与えられた仕掛けであったのである。

この、コロナの時代は、その幕開けとして企図された、神の一貫した、ご計画であり、今後は、科学と魔法が、仲良く同居する世界への歩みを、待たれて、居るのであるが、以下の話しを読んで、新たな時代への、デザインのヒント見出だす様、早急に、乗り出す様に、高次元の世界の人々は、期待し、待ちわびている。

考える事や、信じること、思う事は、パターン化し、現実化するので、エネルギーの概念や、栄養学など消費される欠かせないモノの様に考えられ、またまた、パターン化した。

確かにエネルギーと力は違い、エネルギーは、言って見れば「元気」であり、気力であろうか?

しかし、エネルギーの計算により、必要なエネルギーと言う概念が生まれ、燃料不足や、エネルギーに対する固定概念が横行しているが、たとえば、燃費計算では、到底走れない距離を走りれる時もあるのである。
人間も、力が出る時には出る様に、機械も底力を出してくれるときがあるのだ!

気温とその感じ方には、違いがある様に、全ては意識である。
現在コロナで体温に基準を設けられているが、コロナは、誰がだましているのか知れないが、様々なモノが、輸入されているのではないのか?

人間死ぬ時には死ぬし、死にたくても、死ねない時は、死ねない。

もちろん、それだけでなく、天皇の問題、善と悪の競合の問題、考えの違いや、好む方向性の競合の問題がある。

私は、ある時期、ユーチューブで、この日本が、とんでもない危機的状況にある事を知らされる。

環境汚染は、劣悪で、アメリカが、日本民族の優秀な能力、民族の血統性がなくなる様、あらゆる手段で、無能化、混血化させようと、水道を民営化させ、フッ素を混入するなどの手段で、無能化させ、グローバル化して、混血させ、TPOだったか忘れたが、その秘密は、一度参加すると2度と抜けられず、裁判では、必ずアメリカが勝つ仕組みに成っている事などを聞かされた。

その情報に絶望的になり、ずーっと昔、艮(ウシトラ)とどめの戦いだったと思うが、その本で知り、注文買いした、ひふみ神示(日月神示の公布版)を余りに高かったのだが、断り切れず、大事に、持っていて、日本に関する事なので、これしかないし、このまま行けば、世界はアメリカの植民地化に成りかねないと、著作権は気に成ったが、急を要する事だしと思いブログに写本し始めたが、おかしな事に、確かにその時、本を調べたが、電話番号や、コスモテンパブリケーションの住所などは、なかったのだが、その後で、ひふみ神示が元で、不可解な現象が起き、ある考えが起きて、全ての人は、全て持ち合わせているので、悪も持ち合わせていると気付いたが、その不可解な霊的現象の為、統合失調症が悪化して入院するが、おかしな事に、そこの医者は、なぜか、私を早く退院させようとするのだ!

その入院直後に、病院で、コロナの感染での下船中止と槇原敬之さんの不可解な理に合わないタイミングでの逮捕劇の報道がされ、コロナの感染が本格化しだしたのも、その下船中止が契機だったと感じる。

そして、退院後、妻との、不思議な意識の旅と、霊格の上下行が、あるなかで、私に、違う意識が、働き、妻に向かって、お主どこから来た!「ない」か?・・・「明日」か?と問い、すこし、忘れたが、少々、大きな声で、世中に、妻を問いただしたか、責めたかし、妻は、怒ったが、その後、違う意識に変り、今度は、その時。妻の中に、働く意識は、宇宙の大帝王の娘さんで、私は、「わし」と言う、意識で、テラ出身だと述べたが、そのお嬢さんに、「ある」と、「ない」以外に、どんな世界が、あると言うのです。

その様な世界を、創造して、お父様を、追い抜こうと、考えて、おられる様じゃが、その様な世界は、地獄を生み出し、全ての世界を地獄の海に変えてしまうに、違いありません。等々、様々に、説教するのであったが、その後、この宇宙全体である、パラレルワールド、及び、多次元宇宙に渡る、大問題があり、そのカギが、サンヘドリンの義と、セダンの義であると、わかってくるのですが、その時は、とにかく、高次元である世界さえ、その理狂と言う言葉を知っていたかどうかは、わすれましたが、その為に、危機が、迫っており、この、シーンを演技や、ドラマの様に、楽しむ、世界にも、これが、演技や、ドラマでない事を知らしめるため、その場面で、説教しておったのであるが、それらを理解してから、ここの、noteの使い方を変え、それらの謎を紐解く、仕事に取り掛かり、下部に貼り付けた、「ブラックホールが、生じた歴史も語られた、小乗、大乗、ヨーガで読み解くコロナの原因」を、書き載せやり始めたのですが、時々霊格が、上がった様に、意識が、宇宙の大帝王が、入った様に、成り、その中でも、全高次元の世界が、分かる様、書き留めて発表していたのです。

そして、わしだった時、つい最近、同じことしていたデジャビューを、感じる中、その解決が、必ずしも、今回のこの人生で、解決しなければ成らない訳ではない事を悟るが、その後の経験の軌跡の結果、この世の神についての、経験や、神の、この世の体と、人間の体との関係や、アラー、エホバ(ヤハウェー)天皇、仏の関係と、日本語を中心に英語のとの音楽を基本にした関係などが、解けるように成って来たり、身体の霊的な変化さへ、感じる様になってきたのです。

そして、先ほど述べた、ブラックホールの歴史もかたられた・・・のnoteの、現在トップに貼り付けてある、コロナの時代へようこそ!のnoteの中に、noteを貼り付け、この時代の水先案内人の役割を、初めているところです。

コロナの下船中止を以前から、既に、始まっていた、今回の闘いは、ひふみ神示に頼った時より始まったのですが、私が、ひふみ神示に到達する前だったと思うのだが、そもそもの始まりは、それからだと思う出来事がある。

それは、それまで、私は、クリス岡崎氏の、サムライ・ロイヤル・コミュニティーに、30万と言う高額な、入会金を、駆けずり廻ったが、手に入らなかったが、その当時、生活保護では、ローンは、禁止である事を、私に、告げていなかった。その為、上手く工面でき、無事に、入会出来たが、その当時から、身内の大きな経済的、柱に成ろうと、金持ちを目指していて、その為、クリス氏の提唱する、利権による、タイムスリップ取り引きと言う、情報の伝達速度の、ズレを利用して、100パーセント負ける事のない、取り引きを、紹介及び実践出来ると言う株の利権を手にし、他の人も金持ちに導き、自分も、金持ちに成って、好きな様に使って、経済を潤す主役と成り日本を、立て直す柱と成るのだとし、クリス氏の、母と、家族の為に、海外旅行させて、年老いて、痴呆症(ちほしょう)掛かった母に年老いてからも、思い出す話をしながら、涙をこぼしたが、その涙は、今でも、真実の涙と疑わないし、今も、騙されたとは、思っていないが、その実際が、現実を伴わず、お粗末で合ったにもにも、関わらず、その、謝罪もなしに、その会の、十戒(じっかい)である規則を改めた時に、クリス氏であるキャプテンの指示に絶対服従と言う内容が、盛り込まれていた為、年寄りや、クリス氏の飛び込んだら何とかなると言う言葉を信じて飛び込み、副業禁止の禁を破り飛び込んだ人や、お年寄りに、簡単に稼げるアピールをして、入会させているのに、何の一線も引かず、いきなり、絶対服従を、持ち出した事が、許せず、一度、席はぬかずに、退席していたが、その後の、情報で、何やら、振り分けの為の行為の様で、たとえば、最後まで、付いて来るか、来ないかの、振り分けであった様で、年寄りに関しては、今わかる事であるが、美味しい話に、その歳で簡単に飛び込んだ、その智を、鍛えさせる為の様だったと言うのが、率直な感想で、もし、涙を、信じて入ったならば、例え騙されたと思っても、大きな心で許す、器量を、持つべきであったし、危険な金をつぎ込んだなら、もっと、安全に世を渡る術(すべ)を身に付けないと、いけないよと言う勉強を、させた様である。

ただ、私は、再度、入席した時に、そこのメンバーが、可哀そうだが、も付けず、自己責任だと言う冷たい態度と、行うクエストに対し、それに対する責任の一端も、感じてない様子で、クリアーすれば、それで、後は、どうでも良いと言う感覚に、私は、冷めて、それからは、参加しなくなったが、今にして思えば、そこまで、考える時間も、実現する暇も、ない訳だから、仕方ないし、自己責任で割り切った人たちの心の中には、簡単に、立ち去ったのと比べ、俺たちは違うんだと言う、思い込みが有ったのだろうと思うわれるが、問題は、その会を離れ、音楽の作詞作曲をして、プログラムと録音、して、作った曲や、過去に作った曲のテープの音を、パソコンで取り込み、加工して、販売し、最終的には、BIG UPと言うところから、インディーズではあるが、世界的に、配信出来るに至り、ユーチューブ等も利用し、頑張っていたのでるが、BASEと言う、個人的に販売出来るサイトに、一通のメールが届き、初め見た時、英語で書かれていた為、タイトルは、欲望の世界で、内容が、スローダウンしたり、ストップする事さえある。と言う内容だったのだが、英語が、完全でない国の女の子が、ストリーミングという、ダウンロードしないで、聴く方法で聴いて、世界の欲望とするところを、欲望の世界としたのだろうと思い、音圧を上げ過ぎていて、その為だろう、ダウンロードすれば、問題なく聴けるよとし、今度から気を付けるよと返信したが、そのメールが、気になり、よく調べると、無効なクスリだ、スローダウンしたり、ストップする事さえあると言う内容で、気になって、もう一度返信、し、「あなたは、違う世界の人ですか?」と送った。

この闘いに、飲み込まれたのは、それからだった。

しばらくして、歌詞の英語に使う英語が、あるか、どうか、Google(グーグル)検索したところ、はじめの、検索結果は、何故か、確かドイツの特許権が必要とか言うのが現われ、なぜ、言葉に特許権が必要かわからず、少し変えた、実際を言うと、IN  THIS MEENをIN THIS MEだが、で検索した所、気になる項目を見つけた。後で、気が付いたのだが、その英語の後に、日本語で、英語と入れていた様だった。

ところが、そのサイトにアクセスすると、来るのが、わかって待っていた様なサイトに思え、私は、生まれる前の記憶が戻る前に、そのサイトに辿り着いた様な錯覚を覚えた。ただ、今思えば、本当に、錯覚だったのか、逆に、思うが、そのサイトには、たとえば、Amazonの、本の内容を書き換えたり出来る事が、載っており、私は、その時、正直に言うとこれで、一気に金持ちに成れるのではと、思ったのだ。

しかし、そこには、若干、気になる項目があった。

それは、有権者のコントロールで、その方法も載っていたが、その他にも、クリエイティブゴッド、すなわち、神を創造すると言う項目である。その項目は、詳しく見ていないが、多くのメンバーとのアクセスか何かの為の名簿もあり、私は、これは、不正なサイトか疑ったが、なぜそこまで見て、不正と決めつけなかったかと言うと、善の為の不正と言うモノが、あると考えたからである。

つまり、正しい、良い世界へ導く為の、この世的に見た不正であり、必ずしも、不正とは、限らないからである。ちなみに、これで、一気に金持ちに成れると思った私は、不正では、ないのかについて述べると、確かに不正と言えば不正だが、私は、他人を苦るしたりする結果にさえならなければ、お金を、楽に手に入れても、悪いとは、今でも、思っていない。

むしろ、誰でも、簡単に、好きなだけ、お金を手に入れられる世の中に成った方が、楽しいはずだ。

ただ、簡単すぎても、飽きるのが、早いだけだから、自分のやりたい仕事で、頑張れば、頑張った分だけ、入った方が、生きがいを感じる人もいる。

又、競争が、好きな人もいるが、競争が好きなら、競争したい人達だけで、やれば、いいのだ!

競争の現実社会では、満足できない現実を変えていくのが、今回の我々皆の仕事なのである。

すこし余計な話を先にするが、それまでの人生は、この病気の性で、苦しい目にもあったが、実際は、それ程でもなかった。しかし、この闘いに入ってからは、面白くも、厳しい試練だった。

この試練の果実は、もちろん、仕事である、使命においては、まだまだ、重荷も多いかも知れないが、山登りは、登りもあるが、下りもある。

このnoteは、書きあげてる途中に、長すぎて、中断していたnoteを、間をぬって書いている為、時間的に、書かれた時間が、バラバラですが、一応目を通してありますので、大丈夫だと思いますが、下のnoteである、動画は、今の所確認していませんし、確認出来るともかぎりませんが、ここに至る過程の中で、ユーチューブに上げたnoteで、難しい部分や、あるいは、馬鹿げている様に思える部分もあると、おもいますが、為に成ると思いますので、是非(ぜひ)見て下さい。

時の無限性について!

ここで、時の無限性について、考えて頂きたい。
ここで言う時とは、時間とは違い、一方的に流れるモノであり、時間とは、物理的な物で、可逆なものでる。

時は、無限である為、未来に向けても、過去に向けても無限である。
つまり、全ては既に完成版していておかしくなく、むしろ我々は、その世界から、時間の旅をする為に、この世界に、わざわざ苦労を覚悟で生まれて来ていると言えなくもないのである。

今回紹介する、この動画は、昔ユーチューブにあげたものだが、一度削除してあったものを、あるキッカケで今年2020年3月に再アップロードしたものでる。



以下は、最新のnoteであり、今後課題については、このnoteの中に、綴っていきます。







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