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正しさを固定(絶対化)することの危険性【可謬主義】現代政治に足りない視点

正しさを固定化し、絶対的にこれが正しいと意見を変更できなくなると、間違っていた場合悪い結果を招きます。
我々人類は正しさに対しどのように向き合うことがベターなのでしょうか?今回は可謬主義と絡めながら『正しさに対する向き合い方』を共有します!

✅【正しさの構造:正しさとは何なのか?〈可謬主義的視点〉】

人間は正しさ(真理)を断定する能力を持っていない。(真理の可謬性)

そもそも完璧な正しさ(真理)を確実に証明することは不可能である。
現状の人間の能力では、どうやっても答えが100%正しいか証明することができない。

〈証明不可能性の簡単な例:ミュンヒハウゼンのトリレンマ
●「無限後退」 Aの根拠となる前提はB Bの根拠となる前提はC Cの根拠となる前提はD..…と無限に後退し結局100%正しいかどうか分からない。

●「循環論法」Aである根拠はBだから、Bである根拠はAだから。このように根拠が循環して正しいかどうか証明できない。

●「ドグマ」説明も根拠づけもない判断。
など知識を100%正しいと証明することはできない。

世間一般で言われる「この意見が正しいんだ!」という正しさには、正しさの原理的(そもそもの性質的)に正しくない可能性が含まれる。
・人間は「現状この辺りが正しいであろうという予測」を「正しさ」と言っているのであり、
実情は何事についても確信をもちえない。

✅【正しさを固定化してしまうことのデメリット】

正しさを固定し、これが正しいと結論付けてしまうと自分の考えが間違いだった場合改善できなくなり、そのデメリットは自分や自分の住む社会に降りかかる。

人間の理性が完璧で間違わないならいいのですが、人間の理性は不完全で間違います。
だから正しさを固定化してそれが間違っていた時変更できなくなると、永遠に間違い続け大変な損失になるのです。

正しさを固定化するのではなく「現状の正しさに保留し」間違いを正せる状態にしておく必要があります。

✅[まとめ:正しさとの向き合い方]

可謬的(間違える可能性がある)心構えを忘れず
間違っている可能性を捨てないことで、間違えたまま生きるという損をしないようにしましょう!

「現状正しいと思う」に留め、確信を保留し、間違っていたら直せるようにしておく方が利益があります。

現状の我々の知識は、どの知識も誤りが判明する可能性を持っています
我々は現状の正しさを確実に正当化することはできません、
現状の正しさはこれからも修正されアップグレードされていくのです。

常に確信を持たず、もしかすると正しくないかもしれないと現状の正しさに向き合うことで、抵抗なく新しい情報や理論に触れ、間違いが見つかれば
「損をせずに済んだラッキー!」とポジティブに考えればいいのです。

間違いを認めることは何も恥ずかしいことではありません
間違いに気づき、直すたび「自分進歩してるな~!」とポジティブに捉え
現状の正しさをアップグレードしていきましょう!

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