イタ@ 20期(R)

駒沢の書店「SNOW SHOVELING」で行われている「BOOK CLUB」20期生…

イタ@ 20期(R)

駒沢の書店「SNOW SHOVELING」で行われている「BOOK CLUB」20期生(レッドソックス所属)です。村上春樹作品を精読し、2週に一度メンバーと語り尽くすという体験を通して得た「感想以上、考察未満」の「雑感」をアップしていきます。

記事一覧

雑感『ドライブ・マイ・カー』

※本稿では映画「ドライブ・マイ・カー」(以下、本作、映画、映画版)を主に扱い、適宜原作(短編集『女のいない男たち』所収の同名作品および「木野」「シェエラザード」…

イタ@ 20期(R)
4週間前
6

翻訳「CLOUD PHYSICS」by LUCE LEBART

細い茎をたわませる花は、画家の軽やかな筆のタッチを思わせる。形と色は織り交ざり、波打つ。緑からオレンジ、黄色までの繊細なグラデーションのなかでレイヤーが露わにな…

イタ@ 20期(R)
1か月前
2

読解『生のなかの螺旋』②ーー重要さと重さ

この章はなかなか耳に痛い言葉から始められる。 私たちは「他人のことは関係はない」とうそぶきながらも、つねに世間(社会、会社、学校、家庭など)のなかで評価されたい…

イタ@ 20期(R)
1か月前
4

雑感『関心領域』

本作を理解するうえで、アウシュヴィッツ収容所がドイツにはなく、1939年の独ソによる侵攻・分割の対象となったポーランドにあったことを理解しておく必要がある(後述する…

イタ@ 20期(R)
2か月前
6

翻訳『Mark Manders / House with All Existing Words』(マーク・マンダース / すべての言葉のある家)

「マーク・マンダースの不在」展は、「ヴォーニング・ヴァン・ヴァッセンホーフ」で行われた。この建築は1974年、ユリアン・ランペンズがある独身者のために設計したポスト…

イタ@ 20期(R)
2か月前
1

読解『生のなかの螺旋』①ーー情動

* ロバート・ノージック『生のなかの螺旋 自己と人生のダイアローグ』(井上章子訳。ちくま学芸文庫。2024)は、章ごとに性愛、幸福、親子、死にゆくことといった身近な…

イタ@ 20期(R)
2か月前
2

祖父について語るとき僕が語ること(後編)

(中編からのつづき) 3 横道河子(おうどうかし)という町で武装解除となった祖父ら元関東軍兵士は、側溝に転がる友軍の死体をうつろな目で見ながら、「もはや烏合の衆…

イタ@ 20期(R)
2か月前
4

祖父について語るとき僕が語ること(中編)

(前編からのつづき) 2 日米開戦の報を聞きながら、1942(昭和17)年を迎える。 祖父が小学校教員と兼任して助教諭を務めた青年学校とは、1935年(昭和10)に設立され…

イタ@ 20期(R)
2か月前
2

祖父について語るとき僕が語ること(前編)

『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』の両作品には、太平洋戦争末期のソ連侵攻が歴史の縦軸の一場面として描かれている。 前者は1939(昭和14)年のノモンハン事件の印象が…

イタ@ 20期(R)
2か月前
3

雑感『スプートニクの恋人』

人間はめったにものを考えたりなどしない すみれは従姉の結婚披露宴でミュウに恋に落ちてから、小説を書くことを中断してしまう。それまでのすみれにとって、自身の存在と…

イタ@ 20期(R)
2か月前
6

雑感『1Q84 BOOK2』

月はいつその数を増やしたのか 前稿の末尾で、ふかえりの後見人たる戎野先生は、ふかえりと天吾のチームによる「反リトル・ピープル的モーメント」の立ち上げに自覚的だっ…

イタ@ 20期(R)
2か月前
4

雑感『悪は存在しない』

本作のラストは多くの含みを持ち、多様な解釈を生んでいるようだが、本稿ではそこに至る登場人物の造形に目を向けていきたい。 巧と花—喪失感を共有する父娘 巧の妻で花…

イタ@ 20期(R)
3か月前
12

雑感『1Q84 BOOK1』

近過去小説『1985』 ジョージ・オーウェルの『1984』(1949)は、全体主義が横暴を極める近未来を舞台にしたディストピア小説である。村上が 『1Q84』を執筆するにあたり…

イタ@ 20期(R)
4か月前
5

雑感『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』

あまりにも多くのことが起こりすぎている 第2部の冒頭は、第1部の最後、間宮中尉来訪の当夜からシームレスで始まる。だが状況は明らかに異なっている。クミコが姿をくらま…

イタ@ 20期(R)
4か月前
6

雑感『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』

過去を切り離された主人公 本書『ねじまき鳥クロニクル』と中編小説『国境の南、太陽の西』は、その起源を一にしている。というのも、『国境の南〜』は『ねじまき鳥クロニ…

イタ@ 20期(R)
5か月前
5

雑感『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

信用ならない語り手—多崎つくる 村上作品の主人公は、名前を持たなかったり、明確な過去や家族関係、生い立ちが描かれなかったりすることが少なくない。つまり、先天的に…

イタ@ 20期(R)
6か月前
8
雑感『ドライブ・マイ・カー』

雑感『ドライブ・マイ・カー』

※本稿では映画「ドライブ・マイ・カー」(以下、本作、映画、映画版)を主に扱い、適宜原作(短編集『女のいない男たち』所収の同名作品および「木野」「シェエラザード」。以下、原作、原作版)を参照するかたちで論を進める。引用出典の「ドライブ・マイ・カー」は映画を、『女のいない男たち』は原作を示している。



題名のとおり、本作では家福の車「サーブ900ターボ16S」が一種の聖域として扱われる。
一例と

もっとみる
翻訳「CLOUD PHYSICS」by LUCE LEBART

翻訳「CLOUD PHYSICS」by LUCE LEBART

細い茎をたわませる花は、画家の軽やかな筆のタッチを思わせる。形と色は織り交ざり、波打つ。緑からオレンジ、黄色までの繊細なグラデーションのなかでレイヤーが露わになる。レンズに反射した光は、写真にしずくのような点をいくつも打つーー本当に水滴が写っているのか、それともレンズの収差にすぎないのか? このしずくの点、あるいはただの白い点は、目を閉じて自分の目の中を見ようとするときに生じる、まばゆいハロのよう

もっとみる
読解『生のなかの螺旋』②ーー重要さと重さ

読解『生のなかの螺旋』②ーー重要さと重さ

この章はなかなか耳に痛い言葉から始められる。

私たちは「他人のことは関係はない」とうそぶきながらも、つねに世間(社会、会社、学校、家庭など)のなかで評価されたいと考えている。
それにしても、「重要」になるとはどういうことだろう。自分に価値や生きる意味があれば重要になれるのだろうか? ノージックは即座にその考えを否定する。つまり、重要さにおいて、価値や意味があることは必須条件ではない。 

上記引

もっとみる
雑感『関心領域』

雑感『関心領域』

本作を理解するうえで、アウシュヴィッツ収容所がドイツにはなく、1939年の独ソによる侵攻・分割の対象となったポーランドにあったことを理解しておく必要がある(後述するとおり「死の工場」はすべてポーランドにあった)。つまり作中で収容所のすぐ隣に建つルドルフ・ヘスの屋敷の使用人は、ユダヤ人ではなくポーランド人だ。
一方、ヘス家がパーティーを行う庭から、蒸気機関車の煙が見える。これは各地からユダヤ人を満載

もっとみる
翻訳『Mark Manders / House with All Existing Words』(マーク・マンダース / すべての言葉のある家)

翻訳『Mark Manders / House with All Existing Words』(マーク・マンダース / すべての言葉のある家)

「マーク・マンダースの不在」展は、「ヴォーニング・ヴァン・ヴァッセンホーフ」で行われた。この建築は1974年、ユリアン・ランペンズがある独身者のために設計したポスト・ブルータリズムの邸宅である。ブルータリズムの建築はすっきりとしてほとんど物がない場合が多いが、それとはまったく対照的に、2012年に亡くなるまでこの家に住んだアルバート・ヴァン・ヴァッセンホーフは物にまみれて暮らしていた。

「マーク

もっとみる
読解『生のなかの螺旋』①ーー情動

読解『生のなかの螺旋』①ーー情動



ロバート・ノージック『生のなかの螺旋 自己と人生のダイアローグ』(井上章子訳。ちくま学芸文庫。2024)は、章ごとに性愛、幸福、親子、死にゆくことといった身近な題材を取り上げており、巻末の吉良貴之氏の解説によると、「かなり雑多な、それまで分析哲学ではあまり扱われることのなかった「人生哲学」的なテーマを多く取り上げている」とのことだ。
吉良氏によると、本書は同著者の専門的な研究書とは異なり、「

もっとみる
祖父について語るとき僕が語ること(後編)

祖父について語るとき僕が語ること(後編)

(中編からのつづき)

3

横道河子(おうどうかし)という町で武装解除となった祖父ら元関東軍兵士は、側溝に転がる友軍の死体をうつろな目で見ながら、「もはや烏合の衆みたい」に集結地・海林(ハイリン)に向かう。ソ連軍の捕虜に身を落としたわけだ。

その間、戦勝国・ソ連の兵士は傍若無人にふるまい、日本兵にピストルを突きつけて腕時計や万年筆を強奪した。

この「どさくさ紛れの大泥棒」の場面は、間宮中尉が

もっとみる
祖父について語るとき僕が語ること(中編)

祖父について語るとき僕が語ること(中編)

(前編からのつづき)

2

日米開戦の報を聞きながら、1942(昭和17)年を迎える。

祖父が小学校教員と兼任して助教諭を務めた青年学校とは、1935年(昭和10)に設立された勤労青年のための定時制の学校だ。「皇国青年ヲ練成スル」ことを旨とし、特に男子は軍事的な予備教育を通して優秀な兵を獲得するところにねらいがあったという。

あらかじめ先取りしておきたいのは、祖父が教師として無批判に軍国主義

もっとみる
祖父について語るとき僕が語ること(前編)

祖父について語るとき僕が語ること(前編)

『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』の両作品には、太平洋戦争末期のソ連侵攻が歴史の縦軸の一場面として描かれている。

前者は1939(昭和14)年のノモンハン事件の印象が強いが、間宮中尉が片腕を失ったのは、1945(昭和20)年8月のソ連の満州侵攻においてであった。また、後者では満蒙開拓団にいた天吾の父がソ連侵攻の情報を入手し、いち早く日本へ逃げ帰ったという場面が描かれる。



私の祖父もま

もっとみる
雑感『スプートニクの恋人』

雑感『スプートニクの恋人』

人間はめったにものを考えたりなどしない

すみれは従姉の結婚披露宴でミュウに恋に落ちてから、小説を書くことを中断してしまう。それまでのすみれにとって、自身の存在と文学的信念のあいだに「髪の毛一本はいりこむすきまもなかった」にもかかわらずだ。

このようにすみれが取りつかれたように小説を書いていたのは、書くことがすなわち考えることだったからだ。彼女がギリシャの島で失われたのち、フロッピー・ディスクに

もっとみる
雑感『1Q84 BOOK2』

雑感『1Q84 BOOK2』

月はいつその数を増やしたのか

前稿の末尾で、ふかえりの後見人たる戎野先生は、ふかえりと天吾のチームによる「反リトル・ピープル的モーメント」の立ち上げに自覚的だったと述べた。同時に、先生はどっぷり「1Q84年」におり、天吾は「1Q84年」に移行しつつも「1984年」との差異を見分けることができていないとも付け加えた。

ここで、天吾自身がどの時点で「1Q84年」に移行したかを明らかにしておこう。

もっとみる
雑感『悪は存在しない』

雑感『悪は存在しない』

本作のラストは多くの含みを持ち、多様な解釈を生んでいるようだが、本稿ではそこに至る登場人物の造形に目を向けていきたい。

巧と花—喪失感を共有する父娘
巧の妻で花の母である女性はおそらく亡くなっており、安村家のピアノとキャビネットに置かれた家族写真のなかでのみ、その姿が確認できる。

二枚の写真は家の中で撮られている。一枚目は巧の妻と花がピアノの連弾をしているとおぼしき場面、二枚目は家族三人でじゃ

もっとみる
雑感『1Q84 BOOK1』

雑感『1Q84 BOOK1』

近過去小説『1985』

ジョージ・オーウェルの『1984』(1949)は、全体主義が横暴を極める近未来を舞台にしたディストピア小説である。村上が 『1Q84』を執筆するにあたり、同作はもちろん念頭にあったという。

また、同じインタビューで村上は、近未来ものは「だいたい退屈」とも述べている。

つまり、村上の当初の心づもりは、
・『1985』という題で
・オーウェル『1984』の翌年の話を
・2

もっとみる
雑感『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』

雑感『ねじまき鳥クロニクル 第2部 予言する鳥編』

あまりにも多くのことが起こりすぎている

第2部の冒頭は、第1部の最後、間宮中尉来訪の当夜からシームレスで始まる。だが状況は明らかに異なっている。クミコが姿をくらませたのだ。

時系列で言うと、クミコの逐電は間宮中尉が訪れた日の朝、第1部の11章「間宮中尉の登場、温かい泥の中からやってきたもの、オーデコロン」で「僕」が彼女を送り出した直後のことである。しかし、我々読者は単行本で70ページ弱の間宮中

もっとみる
雑感『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』

雑感『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』

過去を切り離された主人公

本書『ねじまき鳥クロニクル』と中編小説『国境の南、太陽の西』は、その起源を一にしている。というのも、『国境の南〜』は『ねじまき鳥クロニクル』の「原型(現行の小説の第1部と第2部)」から「外科手術をするみたいに切除して抜き出」された三つの章を「独自に発展させ」た作品だからだ。
この分離作業の経緯は『村上春樹全作品1990〜2000 ② 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋

もっとみる
雑感『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

雑感『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

信用ならない語り手—多崎つくる

村上作品の主人公は、名前を持たなかったり、明確な過去や家族関係、生い立ちが描かれなかったりすることが少なくない。つまり、先天的にアイデンティティーが奪われている。
これに対し、多崎つくるという主人公が独特なのは、彼のアイデンティティー・クライシスが後天的に与えられる点である。

つくるは大学進学のため自らの意思で故郷を去るが、その後、「長く親密に交際していた四人の

もっとみる