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雑感『関心領域』

本作を理解するうえで、アウシュヴィッツ収容所がドイツにはなく、1939年の独ソによる侵攻・分割の対象となったポーランドにあったことを理解しておく必要がある(後述するとおり「死の工場」はすべてポーランドにあった)。つまり作中で収容所のすぐ隣に建つルドルフ・ヘスの屋敷の使用人は、ユダヤ人ではなくポーランド人だ。
一方、ヘス家がパーティーを行う庭から、蒸気機関車の煙が見える。これは各地からユダヤ人を満載して収容所に到着した「死の列車」である。つまり、劇中ではユダヤ人の姿は直接描かれないものの、ドイツ人(ヘス家、兵士など)、ポーランド人(スラブ人。使用人)、ユダヤ人(収容所内)という人種の三層構造があるということだ(ただ、後述するように非ユダヤ人のポーランド人も収容所内におり約74,000人が死亡しているので、ヘス夫人が使用人に激高して、「夫に言ってあんたを灰にしてやる」と言うのはまったくの冗談ではない)。

戦争末期、ドイツ国内でだが、「ドイツ人」「東方出身外国人(主にスラブ人)」「ユダヤ人」の関係性がよく見える記述を引用する。

終戦当時、ドイツで働かされていた東方出身の外国人は、八〇〇万人にのぼった。その大半はスラブ人だった。ここではナチスの人権差別主義の基準から見ても奇妙な逆転現象が起きていた。ドイツ人が何百万人もの「人間以下の人間たち(引用者注:ユダヤ人)」を殺しに国外へ出ていき、結局は、そのドイツ人たちがしていた仕事をさせるために、べつの「人間以下の人間」を何百万人も国内に連れてきたのだ。


(T・スナイダー『ブラッドランド(下)』(ちくま学芸文庫) p45-47)

上記引用における「奇妙な逆転現象」とは何かというと、スラブ人排除は東欧への領土拡大とセットで、ヒトラーが『我が闘争』で述べた東方生存圏の思想の骨子となっていたからだ。
なお、ヘス夫人がアウシュビッツの邸宅に固執するのは、この東方生存圏の思想の反映である。つまり、ドイツの発展のために東欧諸国に領土を拡大し、そこに過剰人口を移住させ、豊かな生活を実現するというイデオロギーを体現している自負が彼女にはあるのだ。そして、彼女にとってはスラブ人もユダヤ人も、ドイツのために搾取されたり、虐殺されても問題はない。

しかし、もう少し丁寧に見ていくと、ヘス夫人がそこまで単純でないことがわかってくる。じつは物語時間より少し前に、アウシュヴィッツ収容所は大きな方向転換を強いられている。



アウシュヴィッツ収容所はもともとポーランド人用の強制収容所として運営されていた。しかし独ソ戦を経て、その意味合いが変化していく。

一九四〇年にこの収容所をアウシュヴィッツに建設した目的は、ポーランドの人々を脅すことだった。一九四一年夏のソ連侵攻後、ポーランド人の被収容者に加えてソ連の戦争捕虜が送り込まれるようになると、この収容所は両方の処刑場としても使われるようになっていった。ヒムラーはアウシュヴィッツを親衛隊方式の植民地経済のモデルケースにしたいと思っていた。敵国から獲得した領土をドイツの企業に与え、そこで奴隷労働を使ってドイツの戦争経済に必要な製品を生産する。

(T・スナイダー『ブラッドランド(下)』(ちくま学芸文庫) p98)

アウシュビッツは映画でも描かれるように水資源が豊富で、鉄道の便もよく、「人工ゴムの生産に理想的な土地」と判断された。ヒムラーはスロヴァキアのユダヤ人を労働力として使うため、1年以内に5万人以上のユダヤ人をこの地に強制移送したという。
しかし、1942年、風向きが変わる。「電撃勝利」をもたらすはずだったソ連侵攻の失敗が明らかになるからだ。

ドイツの計画の基準からすれば、ソ連侵攻は完全なる大失敗だった。(中略)一九四一年の秋が終わりに近づいたころでもまだ、勝利のきざしは見えてこなかった。(中略)占領したソ連の領土は、ナチスのいわゆるユダヤ人問題の「最終解決」を実行するためのスペースとなるはずだった。ユダヤ人はソ連で死ぬまで働くか、ウラル山脈の向こう側へ移送されるか、グラーグ(引用者注:ソ連の強制収容所)に送り込まれるはずだった。しかし一九四一年夏にソ連が見せた抵抗により、こうした最終解決は未来永劫、不可能となった。

(T・スナイダー『ブラッドランド(上)』(ちくま学芸文庫) p364-365)

こうしてユダヤ人問題の「最終解決」は絶滅計画へと変遷していく。それはアウシュヴィッツ収容所の変容と呼応している。

アウシュヴィッツ収容所の変遷は、東方植民地化の夢がユダヤ人絶滅計画へと変容していく過程をそのまま映し出していた。(中略)一九四二年にはもうひとつ主要施設が追加され、アウシュヴィッツは強制収容所兼処刑場であると同時に、死の工場としての機能も果たすようになった。

(T・スナイダー『ブラッドランド(下)』(ちくま学芸文庫) p98-99)

引用中の追加された「主要施設」が「ブンカー1」「ブンカー2」と呼ばれるガス室である。

注意したいのは、ルドルフ・ヘスは1940年の収容所設立時から所長であったことだ。彼はダッハウとブーヘンヴァルトの強制収容所に勤務した経験を持つものの、いずれも「安楽死」計画を実行する殺害施設ではなかった。つまりヘスは、未経験ながらアウシュヴィッツの「死の工場」への方向転換のかじ取りを、「最終解決=絶滅計画」の旗振り役・ヒムラーから任されたわけだ。

ここにヘスの妻の邸宅への固執のわけがかいま見える。つまり、妻は「死の工場」への方向転換以前の「東方植民地化の夢」を抱き続けている。あるいは虐殺、財産の収奪、労働力の搾取をそのイデオロギーのもと、正当化している。
もちろん妻も、収容所で行われていることを知らなかったり、無自覚であったりするわけではない(ユダヤ人から収奪した毛皮のコート、口紅。使用人に無造作に配った肌着など)。しかし、夫を単身赴任させてでも邸宅と家族とそれを取り巻く環境を維持しようとする努力は、収容所の実態を見ないようにする努力の反作用で非常に強いものとなっている。そこには次のような事情も関連していたと思われる。

アウシュヴィッツはほかの五つの死の工場(引用者注:ヘウムノ、ベウジェツ、ソビブル、トレブリンカ、マイダネク)と同様、占領下のポーランドにあったが、ポーランド以外の地域から送られてきたユダヤ人のおもな処刑場として使われていた。(中略)ポーランド・ユダヤ人が犠牲者の大半を占めていなかった施設は、アウシュヴィッツのみだったのである。

(T・スナイダー『ブラッドランド(下)』(ちくま学芸文庫) p100)

つまり、ヘス家にとってもポーランド人の使用人にとっても、収容所に送られてくるユダヤ人はよそから来る者、つまり関心領域の外にいる存在なのだ。

1942年のアウシュヴィッツ収容所の「死の工場」化から物語時間(1944年? 1945年?)までの流れもまた、急激なものになる。
1942年、アドルフ・アイヒマンが課長を務めるユダヤ人課のメンバーが、フランス、ベルギー、オランダからアウシュヴィッツへのユダヤ人強制移送を組織。翌43年にはギリシャとイタリアからの移送を推進する。
ソヴィエト・ユダヤ人は大量銃殺されていたが、44年、ドイツ軍がソ連から排除されるに至り、この年を境にアウシュヴィッツにユダヤ人絶滅が集約されるかたちになる。同年に殺害された60万人のユダヤ人はすべてアウシュヴィッツで最期を迎えたが、そのほとんどはハンガリーのユダヤ人だった。
また、上述のとおり全体数に占める割合が少ないとはいえ、戦争期間中にアウシュヴィッツに送られたポーランド・ユダヤ人はおよそ30万人におよび、そのうち約20万人が殺害されたという。
さらにアウシュヴィッツの犠牲者には、10万人以上の非ユダヤ人も含まれていた(ポーランド人約74,000人、ソヴィエト人捕虜15,000人など)。

こうして振り返ってみると、収容所が「死の工場」となってから45年1月にソ連により解体されるまで、わずか2年強ほどの期間しかない。アイヒマンが徹底的に合理的に「よそから」運び込んだユダヤ人が、ヘスによって効率的に虐殺されていく。この期間の短さと手際のよさ、そして人種的・距離的に遠い者たちが対象ということが、さらに無関心を助長しているのは確かだろう。

さて、映画終盤、ヘスが官舎の廊下や階段と思しき場所で、数度、激しく嘔吐する(おそらく単身赴任先からアウシュヴィッツへの帰還が決まった直後の場面だったと思う)。すると突如、場面が現代の「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」に切り替わり、物語時間と現在が接続される。
このヘスの嘔吐をどう考えればよいか。そしてわざわざ現代へ、おそらく観客へと接続を迫るのはなぜか。

キリストはわれわれすべての、過去と未来、大と小、すべての罪のために死なれた。しかしあの罪のためにではない、とわたしは思う。神は人びとに自由意志を与えたとき故意に神の全知に制限を加え、それゆえ人びとの選択を予知しなくなった、という神学上の見解を思い出して欲しい。たぶん、かれの独り息子を人間の救いのために送ったとき、人間がやがて救いを必要とするようなこととして、ホロコーストのたぐいは決して心に浮かべられなかったのだろう。

(R・ノージック『生のなかの螺旋 自己と人生のダイアローグ』(ちくま学芸文庫)p444)

神が予知しえなかったほどの「あの罪」は、キリストによる贖罪の対象にならない。アメリカの哲学者・ロバート・ノージック(1938-2002)は、「われわれ人間の親戚であるドイツ人一家はわれわれ一同に恥辱を与えた」と言う。そして「人類という家族の評判に恥を塗った」結果、「われわれすべては、汚されてしまった」と考える。

ヘスの嘔吐は、おそらくこの人類全体にまん延する「けがれ」と直結している。そして、神の子によってもあがなわれることのない罪は、現代を生きるわれわれにも染みついたままだ。
とはいえ、ヘスがそこまで自覚的だったかは疑問が残るだろう。しかし、彼自身、ドイツが本当に勝ち残って自らの所業が正当化され続けるのか、疑問視していたのではないか。ふだんはふたをしているその想像力が、なにかの弾みで働いてしまうことがある。盲信し続けられないタイミングが必ず訪れるーー。だが、もし嘔吐の場面がそのタイミングであったとしても、それは「来たるべき汚名」への嫌悪と恐れでしかない。

ホロコーストはそのまわりの一切をゆがめる一つの巨大な激変(カクタリズム)である。

(R・ノージック『生のなかの螺旋 自己と人生のダイアローグ』(ちくま学芸文庫)p449)

物理学の世界では、強力な重力を持つブラックホールが時空をゆがめることを明らかにしている。ノージックはホロコーストもヒトラーがその中心にあるブラックホールのようなもので、「人間空間の大量かつ連続的な歪曲である」と考える。

その渦巻きやよじれやねじ曲げはたいへんな遠方まで広がってゆくだろう。ヒトラーもまた彼のまわりの人間ーーかれの追随者、かれの犠牲者、またかれを征服しなければならなかった者たちーーの生活を歪曲したある力を作りあげた。かれが作り出した渦巻きはまだ消えていない。

(R・ノージック『生のなかの螺旋 自己と人生のダイアローグ』(ちくま学芸文庫)p449)

ヘスや夫人もヒトラーの「追随者」として生活を歪曲された人間のひとりだ。
一方でノージックは「どの悪も人間空間に歪みをつくり出す」と言う。そしてホロコーストは、悪がそのことをわれわれに気づかせるために起こした「一大激変」であると結論づける。もしそうならば、ゆがみの渦中でヘスらが犯した「悪」はやはりそれ相応のゆがみを生み出したのだろう。ヘスの嘔吐はそこに焦点を当てている。ヒトラーの巨大なゆがみに乗じる形で引き起こされた彼のゆがみもまた、われわれにダイレクトに接続されるのだ。

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