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雑感『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』

過去を切り離された主人公

中編小説『国境の南、太陽の西』は、『ねじまき鳥クロニクル』の「原型(現行の小説の第1部と第二部)」から「外科手術をするみたいに切除して抜き出」された三つの章を「独自に発展させ」た作品である。
この分離作業の経緯は『村上春樹全作品1990〜2000 ② 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人』収載の「解題」に詳しい。

具体的なことを言えば、この『国境の南、太陽の西』の主人公であるハジメ君は、『ねじまき鳥クロニクル」の主人公である岡田トオルともともとは同一人物だった。そして『国境の南、太陽の西』の第一章は、ほとんどそのままのかたちで『ねじまき鳥クロニクル』の第一章として機能していた。だから『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭でかかってくる正体不明の電話は、基本的にはイズミからかかってきた電話だということになる。つまり現実の空気の中に唐突に切り込んでくる過去の響きである。

(村上春樹全作品1990〜2000 ② 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人』p484-485)

『国境の南〜』のイズミは、村上作品で繰り返し登場する“故郷に置いてきた元恋人”である。
村上作品の主人公は、大学進学を機に故郷を捨てて上京するケースが少なくない。結果、彼はイズミのような恋人、さらには家族、友人などの人間関係をいったんリセットし、東京を舞台にフリーな人生を享受する(「義絶」と「棄郷」)。しかし、彼は捨てたはずの故郷や人間関係といった「過去の響き」から完全には逃れることはできない。
これを村上作品主人公の典型とするならば、じつはその例外こそが初期作「鼠三部作」と『ダンス・ダンス・ダンス』の「僕」である。「僕」は『1973年のピンボール』では「義絶」と「棄郷」を「鼠」に担わせる。そして続編『羊をめぐる冒険』で「僕」は「鼠」の故郷との決別を代行する。結果、誕生したのが「過去の響き」から解放された「僕」である。『ねじまき鳥〜』の岡田トオルは、この「僕」に極めて近い存在と言える。このことは作者自身も自覚的だ。

ハジメ君と岡田トオルを分離することによって(中略)、僕はもっと自由にフリーハンドで、あえて言うなら無色の(カフカエスクな)記号的存在として、『ねじまき鳥クロニクル』の主人公を奔放な物語の渦に放り込むことができるようになった。物語の進行の中で岡田トオルがしばしば聞き取る過去からの響きは、主に他者のかかわる過去の響きである。自分自身の過去ではない。極言するなら、彼は他者の過去性の中に否応なく引きずり込まれていくのであり、それがこの『ねじまき鳥クロニクル』という物語の基調をなしている。

(村上春樹全作品1990〜2000 ② 国境の南、太陽の西 スプートニクの恋人』p485-486)

岡田トオルの過去はハジメ君が持ち去ってしまっているが、物語の駆動装置としての過去からの呼び出しという構造は維持される。そのため、岡田トオルの「現実の空気」に切り込んでくるのは、自分の過去ではなく他者のそれに置換されるのだと村上は言う。

作者による「解題」はあくまで作者による自作の解釈にすぎないとも言えるが、それですっきり割り切れるような気もする。例えば、第1部では加納クレタと間宮中尉が自身の過去をとうとうと語り、岡田トオルはそれを受容する。
一方で、では『ねじまき鳥クロニクル』の「原型」においては、岡田トオル自身の過去が召喚されていたのか。あるいは自己のそれと他者のそれとのハイブリッドが、電話という装置を通して彼をコーリング(calling=召命)していたのか。そもそも完成形の『ねじまき鳥〜』で岡田トオルが引きずり込まれるのは、他者の過去性だけなのか。長大な三部作を読み解くベースに、この疑問をまずは据えておきたい。

オカダトオル、ワタヤノボル、ナカタサトル

前述のとおり、岡田トオル(岡田亨、オカダトオル。以下、「僕」)の出自がほとんど語られないのに対し、妻・クミコ(久美子)、義兄・綿谷ノボル(綿谷昇、ワタヤノボル)と義父母の生い立ちや人となりはかなりはっきり描かれている。とくにクミコの父母は典型的な成り上がりエリートとその妻として描かれ、彼らの単純かつ硬直した人生観が「僕」の視点を通して否定的に描かれる。

結婚してまだ間もない頃に、僕は義父の口から直接その話を聞いたことがある。人間はそもそも平等なんかに作られてはいない、と彼は言った。人間が平等であるというのは、学校で建前として教えられるだけのことであって、そんなものはただの寝言だ。日本という国は構造的には民主国家であるけれど、同時にそれは熾烈な弱肉強食の階級社会であり、エリートにならなければ、この国で生きている意味などほとんど何もない。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p133)

興味深いのは、義父母がその価値観を過去を持たない「僕」に向けてくることだ。

実際に僕が結婚の申込みに彼女の家に行ったとき、彼女の両親の反応はひどく冷たいものだった。(中略)それから彼らは僕の家庭的背景について徹底的に調べあげた。僕の家には良くも悪くも特筆するような家庭的背景はなかった。だからそんなことをしても、時間と費用の無駄だった。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p90)

この記述のあとに、クミコの両親が娘の結婚相手として不適当と判じた理由を、司法試験に合格する見込みが薄いことだと「僕」は断じている。たしかに法律事務所に勤めながら弁護士なり検事なりを目指してしゃかりきに働いていない「僕」は、彼らの価値観では「この国で生きている意味などほとんど何もない」存在ということになるだろう。
だが、ここでもっとも重要なのは、「僕」が自分には「特筆するような家庭的背景」がないことを、彼らの査定を通して確証を得たことであろう。そして、義父母に対して「僕」は、「自分は特筆するような人物ではありませんが何か?」という一種の開き直った態度を垣間見せる。そこには価値観の対立が生じる。だから「僕」と義父はけんか別れしたのだ。

これに対し、綿谷ノボルと向き合うとき、「僕」は義父に対するような超然とした態度が取れない。

僕は綿谷ノボルという人物を簡単に「自分とは関係のない領域」に押しやってしまうことができなかった。むしろ逆に綿谷ノボルの方が僕のことをさっさと「自分とは関係のない領域」に押しやってしまったのだ。そしてその事実は僕を苛立たせた。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p146)

ここに見られるのは、価値観の相違ではなく相似だ。つまり「僕」と綿谷ノボルはある面では似た者同士であり、この初対面の場面は双方の近親憎悪の芽生えを描いている。
相手を「自分とは関係のない領域」に押しやれる能力を保持してきたことは、僕が「少なからず誇りに思ってきた」ことだ。しかし、綿谷ノボルは同じ能力を「僕」に先んじて行使した。「僕」はマウント合戦で負けたのである。

さて、「僕」と綿谷ノボルは似た者同士と簡単に断じてしまったが、本当にそうなのか。まずは綿谷ノボルの生い立ちから探っていこう。

両親は綿谷ノボルが誰かの背後に甘んじることを決して許さなかった。クラスやら学校といった狭い場所で一番を取れないような人間が、どうしてもっと広い世界で一番を取れるのだ、と父親は言った。(中略)一番でありつづけるために、その目的だけのために、あらゆる力を傾注しなくてはならなかったのだ。そのような生活を綿谷ノボルが好んでいたのかどうか、僕にはわからないし、クミコにもわからない。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p135-136)

綿谷ノボルの生い立ちからわかるのは、両親の価値観を基準に、彼が「僕」と正反対に置かれるという事実である。

僕は思うのだけれど、ある種の思考のシステムは、その一面性、単純性の故に反駁不可能なものになってしまうのだ。いずれにせよそのようにして彼は優秀な私立高校から、東大の経済学部へと進み、優等に近い成績でそこを卒業した。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p136)

「僕」は綿谷ノボルの両親の「思考のシステム」を例に、ある種の価値基準は非常に堅固なものとなり、別の価値観では似た者同士を対置してしまう、と言っている。あるいはオルタナティブな価値観を捨象してしまう。
その思考システムの生み出す強固かつ一面的な価値観に乗っかるのか、降りるのか。はたしてそこに選択肢はあるのか。これは本作を構成する大きなファクターの一つである「戦争」にまつわるイデオロギーのアナロジーとして注目に値する。

上述のように「僕」と綿谷ノボルは生い立ちにおいて対極に位置する。一方、そういった家庭的背景において綿谷ノボルと相似形を描く人物が村上作品には登場する。『海辺のカフカ』のナカタさんだ。

中田君はご存じのように、うちのクラスに入れられた五名の疎開児童のうちの一人でしたが、その中ではいちばん成績がよく、また頭もいい子どもでした。(中略)ただ教師として、彼にはいくつか気になったところがありました。それは時として彼の中に、諦観のようなものが見受けられたことです。

(『海辺のカフカ(上)』p174-175)

少年時代のナカタさん(中田君)の担任であった岡持先生は、彼の「諦観」が「家庭環境に起因する問題ではなかったかと推測」する。

能力のある子どもは、能力がある故に、まわりの大人によって、達成するべき目標をどんどん絶え間なく積み上げられていくことがあります。そうすると、目の前の現実的な課題の処理に追われるあまり、当然そこにあるべき子どもとしての新鮮な感動や達成感が徐々に失われていくことが多いのです。

(『海辺のカフカ(上)』p174-175)

岡持先生はもう一つのファクターとして、中田少年が家庭内で慢性的な暴力の影響下にあったのではないかと推測する。そして、その暴力がトリガーとなり、中田少年はすべての記憶を失い、「ナカタさん」として復活する。

もし記憶を失わなければ、ナカタさんは綿谷ノボルになっていたのか。非常に興味深い視点ではあるが、ここで注目したいのは、記憶を失ったナカタさんは予言者の性格を持っていたことである。
綿谷ノボル自身にそういった能力があるのかは明確ではないが、本作には綿谷家が頼みにする二人の予言者が登場する。加納マルタと本田さん(本田大石)だ。考えてみれば、おそろしく現世的な価値観の下で生きている綿谷家が、予言やお告げといったスピリチュアルなものに頼っているのはいささか滑稽にも映る。事実、クミコの両親は本田さんの言に従い、娘と「僕」の結婚をしぶしぶ承諾する。

その本田さんは、もともと予言をなりわいにしていたのではない。第12章「間宮中尉の長い話・1」では以下のように描かれている。

『お前にはそういう傾向があるのかな、昔から?』
『あります』と彼ははっきりとした声で言いました。『しかし物心ついてからは、他人にはそのことをずっと隠しつづけてきました。今回このように生死に係わることだからこそ、そして少尉殿が相手だからこそ、私は申し上げるのです』

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p269)

本田さんが自らの能力を広言しなかったのは、加納マルタが予言を妹のクレタ(加納節子)にしか口外しなくなったのと通じる。
しかし、どのようなきっかけがあったのかは不明だが、やがて二人とも「職業的予言者」あるいは「占い師」として綿谷家と関わるようになる(ちなみにナカタさんは「職業的猫探し」である)。

本田さんが「占い師」になる前は、北海道の旭川で兄とともに印刷所を営んでいた。しかし、子どもたちの独立後、ひとりで上京し、占いのキャリアをスタートさせている。なぜひた隠しにしていた能力を「生死に係わること」以外にも発揮するようになったのか(例えば娘の結婚相手の適性といった世俗的なこと)。
もちろん、その理由は明らかにされない。しかし間宮中尉への予言をメタファーとして考えれば、「僕」とクミコの結婚を義父母に認めさせること、ひいてはのちに語られるように自身の「形見分け」を通して「僕」を間宮中尉へ引き合わせる、そのためだけに「職業的予言者」になったとも考えられる。その根拠として、間宮中尉に下した予言および「間宮中尉の長い話・1」「間宮中尉の長い話・2」で語られる、昭和13年4月にハルハ河の対岸で起こった出来事を読み解いていきたい。

今ある歴史への改変

1938(昭和13)年3月12日、ナチス・ドイツによるオーストリア併合(アンシュルス)が成る。史実ではその後、9月に英仏伊独の首脳がミュンヘンで会談を持ち、アドルフ・ヒトラーに対し、チェコスロバキアのスデーデン地方の割譲を認めた。ドイツにこれ以上の侵略を断念させるための宥和政策である。この時点でイギリスのチェンバレン首相は戦争回避を実現したことで国民の賞賛を浴びるが、翌1939(昭和14)年、ドイツはポーランド侵攻を断行し、第二次世界大戦が勃発する。

「間宮中尉の長い話」はまさに第二次大戦前夜の出来事を語っている。
上記のような国際的な不穏な動きについて、間宮中尉(当時は少尉)、本田さん(伍長)、そして山本という特務機関(のちの関東軍情報部?)の上級将校と思しき男と同行していた、浜野軍曹が述懐する場面がある。

『しかし少尉殿、もしそうだとしたら、こいつは本当に剣呑ですぜ。ひょっとしたら戦争になりかねませんからね』
私は頷きました。外蒙古は独立国とはいえ、完全にソ連に首ねっこを抑えられた衛星国家のようなものです。(中略)しかしその中で反ソ連派の暗躍があることはよく知られていました。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p260-261)

間宮中尉は、山本が関東軍の情報将校として反ソ連派の外蒙軍の将校と連絡を取っていても不思議ではないと考える。その背景には日本軍の助力を頼みとする、大規模な対ソ連の反乱計画があるのではないか、と。

しかしもし仮に彼らの反乱が成功したとしても、ソ連軍が即時介入してその反革命を圧殺しようとするであろうことは目に見えていました。そしてソ連が介入すれば、反乱軍は日本軍の援助を要請するでしょうし、そうなると関東軍としては軍事介入する大義名分ができます。外蒙古を取ることはソ連のシベリア経営の脇腹にナイフを突きつけるのと同じことだからです。内地の大本営にブレーキをかけられているとはいえ、こんなうまいチャンスを、野心のかたまりのような関東軍の参謀連中が黙って見逃すわけはありません。そうなれば、これは国境紛争なんかではなく日ソの本格的な戦争になります。満ソ国境で本格的な日ソ戦争が始まれば、ヒットラーもそれに呼応してポーランドやチェコに攻め入るかもしれません。浜野軍曹が言いたかったのはそういうことです。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p261-262)

先に述べたポーランド侵攻に先駆けて、ドイツは1939年8月、独ソ不可侵条約を結ぶ。天敵同士のヒトラーとスターリンが手を結び、両国でポーランドへの侵攻を黙認し合ったわけである。ドイツがこの不可侵条約を破ってソ連への侵略を始めたのは1941年6月のことだ(バルバロッサ作戦)。
つまり、もし浜野軍曹の言う「剣呑」な事態が1938年に起こっていれば、ドイツによるヨーロッパ東征はまったく違ったものになっていた可能性がある。そして、ドイツと共闘する日本の運命もまた、今の歴史とは異なる道を歩んでいたはずだ。

本田さんは山本が持ち帰ってきた書類を「ハルハ河近くの土の中」に埋め、歴史の闇に沈めた。つまり今の歴史、少なくとも物語世界の「一九八四年六月から七月」は、本田さんの選択と行動のその先に存在すると言っていい。本田さんは「今ある歴史への改変」を行ったとも言える。
山本が「関東軍の参謀連中」の意向を反映して進めようとしていたのは、「今はない歴史への改変」である。そのためにおそらく本田さんの特殊能力を利用しようとした。この構図は、綿谷家が行なっていることと同じだ。しかし、本田さんは何らかの強い意志をもって山本を裏切る。
本田さんにとっては、書類を軍司令部へ持ち帰ることもソ連や外蒙軍の手に渡ることも避けなければならない事態だった。山本、浜野を見殺しにするのは必然である。では間宮中尉はどうだろう。本田さんには、間宮中尉がこの場では死なず、日本の地を踏み長生きすることがわかっていた。そして、自らの能力と行動がその運命へ導くということにも自覚的だったはずだ。物心ついてから他言しなかった自らの「予言」を、それでも間宮中尉に告げたのにはおそらく理由がある。

ここで間宮中尉の帰国後の描写について注目してみよう。間宮中尉はその長い話で語られた出来事から生還したのち、終戦まで満州に残り、シベリア抑留を経て1949(昭和24)年に帰国する。

広島に私が帰りついたとき、両親と妹は既に亡くなっておりました。妹は徴用されて広島市内の工場で働いているときに原爆投下にあって死にました。父親もそのときちょうど妹を訪ねに行っていて、やはり命を落としました。母親はそのショックで寝たきりになり、昭和に二二年に亡くなりました。先ほどお話ししたように、私が内々に婚約したつもりでおった女性は他の男と結婚して、ふたりの子供をもうけておりました。墓地には私の墓がありました。私にはもう何も残されておりませんでした。私は自分が本当にがらんどうになったみたいに感じました。

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p305-306)

間宮中尉の妹や父親が原爆投下で亡くなったと明記されているのは注目に値する。アメリカが原爆投下で戦争を終わらせようしたのは、本田さんが選んだ世界の延長線上にある選択だからだ。

本田さんの選択と行動により、無数の人間の生き死にが左右された。間宮中尉自身もその一人である。そして彼は「がらんどう」のまま「今に至るまで」生きてきた。

本田さんがハルハ河畔で、私は中国大陸では死ぬことはないと言ったとき、私はそれを聞いて喜びました。信じる信じないはともかく、そのときの私は、どんなものにでもすがりつきたいような気持ちだったのです。おそらく本田さんはそれを承知して、私の気持ちをやすめるために、教えてくれたのでしょう。しかし実際には、そこには喜びなど何もなかったのです。日本に戻ってきてから、私はずっと脱け殻のように生きておりました。そして脱け殻のようにしていくら長く生きたところで、それは本当に生きたことにはならんのです。脱け殻の心と、脱け殻の肉体が生み出すものは、脱け殻の人生に過ぎません。私が岡田さんにわかっていただきたいのは、実はそのことだけです

(『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』p306-307)

「がらんどう」になってしまった間宮中尉の境遇は、「外科手術をするみたいに」過去を切除された「僕」のそれのアナロジーである。この先、「僕」は「脱け殻」になってしまうのか。
空っぽの「カティーサークの贈答用化粧箱」を形見として「僕」に託した本田さんは、間宮中尉を「僕」に引き合わせた。「僕」と間宮中尉の二人は、本田さんの予言を授かった者同士でもあった。物語は「今ある形に改変された」歴史の中を突き進もうとしている。

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