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ファインさんの口癖

「善良な人」ファインさんと再会した。

 ミャンマー出身、童顔の彼は三年前、私の人生に颯爽と現れた。素直で物腰柔らか、たどたどしく愛嬌ある日本語を話す彼は職場の人気者。そんな彼の教育を任されたのが私だった。

 私は彼が苦手だった。素直が過ぎて、接し方が分からない。善良が過ぎて、私を卑屈にさせる。他人の無垢は猛毒だ。

ファインさんは日本語に興味津々で、日々他人の口癖を観察していた。ちなみに、私の口癖は「ちなみに」と「ダイジョブデスヨォ」らしい。そういう彼の口癖は「かわいい」だった。生粋の人たらしと思ったが、彼は男性にも「かわいい」を連発していた。

「男性だと、格好いい、だと思いますよ」
「あー、格好もいいね」
彼は格好いい、という言葉をちゃんと理解しているようだった。
「ミャンマーでは色の白い人をかわいいという。男の人も」

それは知らなかった。でもそのお陰で彼は一部の男性社員に笑い者にされていた。少し歯痒かったが、それが彼の文化的個性だ。私はただ「そうなんだ」としか言えなかった。

仕事を覚え独り立ちした彼は広島に転勤した。

それから一年が過ぎた夏、東広島の寂びれた海辺で、ファインさんと再会した。彼は少し精悍な、大人の男性の顔立ちになっていた。

「職場には馴染めました?」
「うん。でも、あまり仲良くできない」
広島の田舎の風土は都会とは違う。私はそれをよく知っている。
「言葉が東京と違うけど、怖い人たちじゃないんです」
「うん、少し言葉怖い。おじいさんみたいな喋り方する」
「ちなみに、私広島弁喋れますよ。わしゃ能美島出身じゃけぇ。いつず遊び来んしゃい」
ファインさんは突然涙ぐんだ。何か迂闊な事を言ってしまったと思った。
「すみません」
「ちなみに、久々聞いた。懐かしいね」
「大丈夫ですか」
「ダイジョブデスヨォ」
今度は笑った。

善良なファインさんは、どこに行っても幸せに生きていけると思っていた。慣れない土地で必死に格闘し、祖国の家族を養っている彼が、不安や苦難を感じない筈が無いのに。眩しい日差しの別れ際、ファインさんは私に言った。

「相変わらずかわいいね」
「ちなみに、ファインさんの口癖は『かわいい』ですよ」
「えーっ。知らなかった」

笑顔で別れた。
善良なファインさんは時に幸せに生きていけないかもしれない。でも少なくともファインさんに関わる人は、幸せな人だと思う。

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