#noteでよかったこと
のりの妄想記事 もしわたたしが大手出版社に勤めていたら
大学4年年に秋の、いくつかの会社を受けましたが
その時には自分の頭の中に
新聞社とか雑誌社とかは全然なくて
というか、そういうメディアの募集は二流の大学には
来ていなかったのかもしれないとも思いますが
ず~と昔のことなので詳細は忘れてしまいました
時は流れ、大きな波、小さな波を
なんとか乗り越えて40年強経った今だからこそ
自分が出したかった小説本は大したもんじゃなかったと
しぶしぶ受け入れはし
なぜあなたのnoteは読まれないのか
「9人」。
これ、私が初めて書いたnoteの閲覧数。
掲載してからもう3日も経ってんだよ? 3日も経ってこれ?
というかこの9人の閲覧数って、絶対に私の閲覧数も入ってるでしょ。だとしたらもう読んでくれた人って実質3人とかなのでは。
あまりに辛くてもうそのnoteのアカウントは更新してないんだけど、私この時、本気で考えた。
「なんで私のnoteは読まれないのか?」
9人という数字があまり
noteの読み方(やりすぎ編)
みなさんは、noteを読む時、どう読んでいますか?
私はというと、フォローさせていただいている方の新着を優先して読むことが多いです。けれどフォローさせていただいている方が増えると、どうしてもタイムラインが流れてしまい、フォローさせていただいている皆さんの記事を読むことが難しく、ああっっとなってしまったりもします。
次に、スキやフォローをいただいた方の記事を読みにいきたいと思っていますが、最近は
吾輩は、キッチンドランカーである。
吾輩は、キッチンドランカーである。
マドラーはまだない。
つまみ1
そんなキッチンドランカーは、夫がいつかの週末に釣ってきた鱚を揚げている。
天ぷらではない。
小型のやつを50匹程度、唐揚げにしている。
めんどくさい。
けど、うまい。
平日に揚げ物をするとよく聞かれることがある。
「平日に揚げ物するんですか?」と。
油は正義だ!!
明日への活力だ!!
酒には油だ!!
いえーい!!
と
自己肯定感に、天井はあるのか。
何を隠そう私、自己肯定感は高い方だと自認している。
でしょうね、と家族は言うだろう。
そうでしょうね、と知人は言うだろう。
自認どころの騒ぎじゃない。
飲み屋で偶然隣り合った他人でさえ、私の自己肯定感の高さを認める自信がある。
自己肯定感が高くなったのがいつ頃の話なのかは、私にもよくわからない。
親の育て方かもしれないし、成長の過程かもしれないし、遺伝子レベルで自己肯定感が高いのかもしれない
諦めて、泣いて、noteに出会う。
呑んでるから、正直に言う。
noteのスキ制度、スキ。
いいね!じゃない、スキ。
やばい。
普段、スキとか言われないし。
子どもがちっちゃい頃は、お母さん大好きーとか言われてたけど、
今じゃ、BBAとかKSBBAとか言われてる42歳クソババア。
呑んでたらいきなりダイブしたり、鼻くそほじった指をうぇーいとかやるから、仕方ない。
自業自得だと、わかってます。はい。
そんなBBAにスキがやって