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【小小説】ナノノベル

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短いお話はいかがでしょうか
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#エッセイ

天国への道

天国への道

 僕を置いて誰の幸せも来ないだろう。だから、僕は何としても加わる必要があった。世界よ見るがよい。僕の働きを見届けるのだ。

「銀よ動くな! 今更遅い」

 角さんが進み出ようとする僕の動きを止めた。君がいなくても世界は回る。そのようなことを言い残して、敵陣に飛び込んでいった。一足で向こう側へ渡れる角さんのことが羨ましかった。だけど、言う通りにしよう。現在地は、世界の中心からあまりに遠くかけ離れてい

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ポエム・バー

ポエム・バー

 時速5キロで歩く花嫁と花婿の後ろを、少しほろ酔いで歩いた。弾む足取りの二人はこれから街の教会に行って誓い合うのだ。私はチョコレート味と書かれたバーを食べていた。それが示すところはチョコレートではないということ。

「どんな時にほしくなりますか?」
「少し疲れている時。あと小腹が空いた時。でも、何もなくてもとにかくほしくなる時はあります。好きですから」

「形はどうなってますか?」
「星のようだっ

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トラブル・ピアノ

 アジフライを魔法じみて美味くしているのは生演奏の香りが利いているせいもあった。繊細なタッチが極上の調べを生み出している。誰だろう。もっともっと楽しみたいというところだったのに、突然演奏は止まってしまった。何者かがそれを遮ったのだ。明らかに曲の途中だった。止めるにしても適した谷間があるだろうに。

「ここはお食事をするところですので」
「私は招かれたんだよ!」
 契約上の行き違いがあったようだ。

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風の棋士の拾い将棋

風の棋士の拾い将棋

「もういいや」
 また勝利の女神に振られてしまった。駒を投じるのも腹立たしい。しかし、私の力ではもはや挽回不可能。私は局面をまるまる道に投げ捨てた。棋理にもマナーにも反することはわかっていた。つまり、私はどうかしていたのだ。横たわる人間でさえも容易く見過ごされる街なのに、誰かが私の負け将棋を拾い上げた。

「まだ指せる」
 風の棋士は言った。道の上で指し継ぐ内に対戦者も戻ってきた。私はもはや助言で

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モブ&ピース

 大工が釘を打てば猫が駆けてくる。先生が「レ」を弾けばレモンを持った子供たち。花屋さん、八百屋さん、牛に、狢に、桃太郎。猿はライオンに乗ってやってきた。演技指導はいらないよって。不思議とみんなの呼吸が合っている。キリンがくる。シマウマがきた。馬はレースを抜け出して。みんな陽気に歌っている。みんな素敵に踊っている。

「あの二人の幸福のために」
(二人の幸福を中心に平和が築かれる)
 歌と踊りの力は

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ピュア・マスター

 初恋が成就することは希だ。若さ故の未熟さ、思い上がり、空間と感情のすれ違いに阻まれて、純粋であったはずのものはいつしか無惨に砕かれてしまうのが世の常だ。すれ違いは世の中の至る所に存在する。街のちっぽけな酒場だって例外じゃない。

どうして自分だけ……。多くの者が同じように思う。思うものは思う時に手に入らないものなのだ。本命はかなわなくてもそれに似たものならまだ存在する。笑顔で迎え入れれば上手く事

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人生レポート(ゆらぎ星)

 誰にでもできる簡単な作業だった。単純な謎解きと確認。軽くレポートを書き上げるくらいのこと。ちょっと行って帰るくらいのこと。
 ほとんどは予想の範囲を超えるものはないだろう。当たり前のことを当たり前に報告するまでだ。ある意味これはつまらない仕事だった。つまらないとわかったものを、つまらないと確かめるだけなのだから。
 レポートは順調だ。時々、ペンの運びが重く感じられる。この星の重力に少し戸惑いを覚

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飛翔の棋士

飛翔の棋士

 座布団の上で冒険を待っている。行き先は私の一存では決められない。
 待つ時間は相手の手番であり、私の時間でもある。
 ご飯が炊けるのを待つ間、ご飯の時間であり私の時間でもある。雨が上がるのを待つ間、雨の時間でもあり私の時間でもある。
 棋士が漕ぎ出す船を待っている。本当の強者は手番に関係なく手を読むことができるが、私はどうだろう。読み以前に、空想に耽る時間も大事にしたいと思う。私は扇子を開き、空

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和食レストラン(肉じゃがと四間飛車)

和食レストラン(肉じゃがと四間飛車)

 久しぶりに和食が食べたい気分だった。普段なら行き当たりばったり飛び込むような真似はしない。スマホを持ち始めてからというものすっかり冒険心をなくしてしまった。予め近くの店を検索してそれなりの評価を集めるものに狙いを定め、あらゆる条件を確認してから実際に足を運ぶ。確かにそれなら大きな失敗は少ない。しかし、昔はもっと違った楽しみがあったようにも思う。(ハラハラしたりときめいたりわからないからこその出会

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真夏の逃亡者

 店内に流れるJポップにうっとりとして足を止めた。漫画本を手に取ろうとすると透明なフィルムに包まれて開けないようになっていた。チョコレートとラーメン(ニッポンに来る時から楽しみにしていた)を手にしてレジに急ぐ。5人ほど並んでいたが、スタッフの見事な連携プレーによって瞬く間にさばけた。レジ前に置かれた奇妙な一品に思わず手が伸びる。

「ありがとうございます!」

 どこまでも行き届いたおもてなしの精

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ポッポ店長スタイル

 あまたなる店長が店を守ってきました。お店の歴史は店長の歴史でもありました。皆様覚えておいででしょうか。あの口笛吹きの店長を。あの土下座の店長を。どうぞお忘れくださって結構でございます。主役はあくまでも皆様お客様方なのですから。

 いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、はい、皆様よ

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パワハラ・ラーメン体験記

 あれは私が働き始めて間もない頃でした。お昼休みに会社の人に連れられてラーメン屋さんに行きました。近所では割と有名な豚骨ラーメンの店でしたが、私はその時が初めての来店でした。席に着いてゆっくりメニューを見ようとしていると、せっかちな部長がぽんぽんと勝手に皆の注文をしてしまいました。強面の部長ということもあって、誰も文句も言えず従うしかありませんでした。

「お待たせしました。豚骨ラーメン全のせ特盛

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ラスト・ブック・ストア

ラスト・ブック・ストア

 自分が好んで足を運べる場所は唯一本屋だけだった。
 服屋も飯屋も時計屋も電話屋も電気屋もみんな駄目だった。決めるべき時に決めなければならない。自身では何もわからないのに、接近する者は恐ろしい。人が怖い。笑顔と親切とそのあとがずっと怖くて仕方なかったのだ。

 本屋は何も急がない。選ぶのも選ばないのも自由なのだ。誰の助けを借りることもない。本当に迷った時には、本そのものの声を拾ってくることもできる

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魂キープ(イフマイライフ)

 侍は卒業したけどまだ刀を捨てることができない。持っているだけで強いのでは、強くなれるのでは、強くあることができるのでは。最もよかった頃の自分を保てるのでは。
 ネズミ年の御守りが捨てられない。そこに魂が宿っているかもしれない。ネズミのご先祖様からお叱りを受けるかもしれない。夜中にネズミが化けて出るかもしれない。

(イフイフイフイフイフイフイフイフイフ)

 いくつものイフが押し寄せてくると捨て

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