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【小小説】ナノノベル

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短いお話はいかがでしょうか
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2021年7月の記事一覧

ピュア・マスター

 初恋が成就することは希だ。若さ故の未熟さ、思い上がり、空間と感情のすれ違いに阻まれて、純粋であったはずのものはいつしか無惨に砕かれてしまうのが世の常だ。すれ違いは世の中の至る所に存在する。街のちっぽけな酒場だって例外じゃない。

どうして自分だけ……。多くの者が同じように思う。思うものは思う時に手に入らないものなのだ。本命はかなわなくてもそれに似たものならまだ存在する。笑顔で迎え入れれば上手く事

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人生レポート(ゆらぎ星)

 誰にでもできる簡単な作業だった。単純な謎解きと確認。軽くレポートを書き上げるくらいのこと。ちょっと行って帰るくらいのこと。
 ほとんどは予想の範囲を超えるものはないだろう。当たり前のことを当たり前に報告するまでだ。ある意味これはつまらない仕事だった。つまらないとわかったものを、つまらないと確かめるだけなのだから。
 レポートは順調だ。時々、ペンの運びが重く感じられる。この星の重力に少し戸惑いを覚

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飛翔の棋士

飛翔の棋士

 座布団の上で冒険を待っている。行き先は私の一存では決められない。
 待つ時間は相手の手番であり、私の時間でもある。
 ご飯が炊けるのを待つ間、ご飯の時間であり私の時間でもある。雨が上がるのを待つ間、雨の時間でもあり私の時間でもある。
 棋士が漕ぎ出す船を待っている。本当の強者は手番に関係なく手を読むことができるが、私はどうだろう。読み以前に、空想に耽る時間も大事にしたいと思う。私は扇子を開き、空

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和食レストラン(肉じゃがと四間飛車)

和食レストラン(肉じゃがと四間飛車)

 久しぶりに和食が食べたい気分だった。普段なら行き当たりばったり飛び込むような真似はしない。スマホを持ち始めてからというものすっかり冒険心をなくしてしまった。予め近くの店を検索してそれなりの評価を集めるものに狙いを定め、あらゆる条件を確認してから実際に足を運ぶ。確かにそれなら大きな失敗は少ない。しかし、昔はもっと違った楽しみがあったようにも思う。(ハラハラしたりときめいたりわからないからこその出会

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真夏の逃亡者

 店内に流れるJポップにうっとりとして足を止めた。漫画本を手に取ろうとすると透明なフィルムに包まれて開けないようになっていた。チョコレートとラーメン(ニッポンに来る時から楽しみにしていた)を手にしてレジに急ぐ。5人ほど並んでいたが、スタッフの見事な連携プレーによって瞬く間にさばけた。レジ前に置かれた奇妙な一品に思わず手が伸びる。

「ありがとうございます!」

 どこまでも行き届いたおもてなしの精

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スーパー・リバー・サイド

 ちょうど先客の会計が終わるところだった。最高のタイミングで僕はレジへとたどり着いた。そう思った瞬間、大きな声に前進を阻まれた。
「お客様! 先にお待ちの方々が……」
 まさかと思い振り返ると川が流れていて、小舟に乗って近づいてくる人の姿があった。列は川の向こうにあるようだった。早合点した自分が恥ずかしくなった。
(大人150円)
 橋を渡るのにも金がいるのか。

 橋の上の診療所は大変混んでいた

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ポッポ店長スタイル

 あまたなる店長が店を守ってきました。お店の歴史は店長の歴史でもありました。皆様覚えておいででしょうか。あの口笛吹きの店長を。あの土下座の店長を。どうぞお忘れくださって結構でございます。主役はあくまでも皆様お客様方なのですから。

 いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、いらっしゃい、はい、皆様よ

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パワハラ・ラーメン体験記

 あれは私が働き始めて間もない頃でした。お昼休みに会社の人に連れられてラーメン屋さんに行きました。近所では割と有名な豚骨ラーメンの店でしたが、私はその時が初めての来店でした。席に着いてゆっくりメニューを見ようとしていると、せっかちな部長がぽんぽんと勝手に皆の注文をしてしまいました。強面の部長ということもあって、誰も文句も言えず従うしかありませんでした。

「お待たせしました。豚骨ラーメン全のせ特盛

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ラスト・ブック・ストア

ラスト・ブック・ストア

 自分が好んで足を運べる場所は唯一本屋だけだった。
 服屋も飯屋も時計屋も電話屋も電気屋もみんな駄目だった。決めるべき時に決めなければならない。自身では何もわからないのに、接近する者は恐ろしい。人が怖い。笑顔と親切とそのあとがずっと怖くて仕方なかったのだ。

 本屋は何も急がない。選ぶのも選ばないのも自由なのだ。誰の助けを借りることもない。本当に迷った時には、本そのものの声を拾ってくることもできる

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同期の私

 会社の私、自宅の私、路上の私、海辺の私、働く私、眠る私。どれも皆私。個々の私の体験は瞬時に同期されてすべての私の中に共有される。私は一人でなければならないという先入観からついに解放される時が訪れた。どこにでもいる私。

もう私は一人じゃない!

「先週の木曜夜8時どこにいましたか?」
「木曜の8時だったら八丁堀の将棋センターで将棋を指していました。私が四間飛車で、確か相手の方が右四間飛車でした。

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PKフォー・ザ・ディナー

 立て続けに2人が失敗してPK戦は不穏な空気に包まれた。
 芝はめくれシューズは脱げ選手は転倒して気分が悪くなった。
「ボールを変えてくれ」
 とりあえず変えられるものはボールくらいのものだった。
 それでも流れは変わらなかった。気づけば10人も連続で外していた。蹴れば蹴るほどボールは大きく枠を越えて明後日の方向に飛んでいく。

「俺たちは悪くない」
 なぜならみんなプロ中のプロであるから。
 失

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魂のハイライト

 みんなにいいところを見せたい。いいことをしたら誉めてほしい。認めてほしい。スキになってほしい。そのために日々精進し、試合となれば全力を尽くす。自分を輝かせることによって人々を喜ばせることができる。それがプロとしての誇りだ。芝生の上の選手たちも、モニターの前の私たちも、その心にきっと変わりはないのだと思う。
 けれども、いくら頑張っても、いつもいつもいいことばかりを続けられるわけではない。運に見放

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幻の銀

 ずっと温めていた焦点の捨て駒。取れば端角を打って詰み。取れなければ寄りは近い。敵の読みにはあるまい。私は確信を秘めながら敵陣深くへ指を伸ばした。
 着手の瞬間、それは私の指から離れて飛んだ。

「5二銀!」

 秒読みでもないのに私は咄嗟に叫んでいた。とっておきの一手が逃げて行くような気がしたのだ。脇息の向こうの方に、飛んだと思ったのに、銀は見つからなかった。敵は平静を装っているのか置物のように

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1day カップル

1day カップル

 他の人は週に1日、2日、もっと恵まれた人たちは毎日のように逢うことができるのに、僕がオーちゃんに逢えるのは年に1度だけ。
「1日しかない」
 そう思って運命を恨んだりしたのは、もうずっと昔のことだ。

「そうね。ヒコやん。私たちは考えすぎていたのね」
 今は1日あることを思うばかりだ。
 他の誰にもない1日が僕たちにはある。
 なんて輝かしい1日だろう。
 いつか宇宙が滅んでも、僕らは忘れないだ

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