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rain drops

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柴田瞳の短歌つきエッセイ・コラムです。
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#エッセイ

鴫立庵の休日

鴫立庵の休日

心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ  西行

かの有名な三夕の歌のひとつが詠まれた鴫立沢。
比較的近所にあると知りながらなかなか訪れることのできずにいたのですが。

行ってきました。
気持ちのよい5月の日に。
夫とふたりで。

大磯駅から少し歩くと、突然広がる異空間。
そこだけ空気が浄化されているような世界。

鴫立庵の庭をめぐる。鳥の声がすごい。

投句箱があったので、即詠して投

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病院でマリトッツォ

病院でマリトッツォ

ずっと我慢していた体の不調があった。
重い腰を上げて病院へ行くにも、逆にコロナをもらって帰ってきたらと不安があった。死に至る病じゃないしな、と。

しかしとうとうのっぴきならない状況になってきたため、夫の勧めもあって重い腰を上げることにした。
まずは市民病院へ電話をかけてみる。
「えっと、こういうのは何科に行けばよいでしょう」
「皮膚科でいいと思いますよー。紹介状がないと5500円追加でかかってし

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他人の宝箱の内側

他人の宝箱の内側

ある界隈のSNSで仲良くなった方から、「実は秘密のブログがあるの」と打ち明けられた。少し年上の女性である。
誰にも気兼ねせず自分の半生について赤裸々に語っているの、だいぶどろどろしてるし重いけど、表で書いてるものよりずっと多いpv数をたたき出しているの、と。

「でもなあ、読まれたら嫌われちゃうかもしれないな~」
読んでほしいのか、読まれたくないのか。いや、読まれたくないならそんな、宝箱の内側を見

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膀胱炎アゲイン

膀胱炎アゲイン

懐かしい痛みがやってたのは突然だった。
排尿時、針で刺されたような鋭い痛みが走った。

……うーわー。
やっちゃったよ。膀胱炎。

この日は起き抜けから喉に痛みを覚え、泥のような倦怠感が全身を覆い、頭痛の酷きことかぎりなしで、ひたすら家で寝ていた。
夕方になってようやく重い腰を上げて病院へ行ったら、個室に隔離され、例の感染症の可能性はないか丁寧に探られ、PCR検査をしてくれる医院を教えられ、風邪薬

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春、始めたこととやめたこと

春、始めたこととやめたこと

仲間と集まって、桜の下にシートを広げて、料理やお酒を並べて。そんな花見は今年もできなかった。
感染症は、わたしたちから季節感というものを奪っていったようだ。

それでも娘の入学式の直前、桜が散ってしまう前に、家族だけでささやかに花見散歩をした。

桜の花は年々白っぽくなるという。
たしかに、花に接近すると意外な白さを知る。
けれど遠目にはやっぱりピンクの靄のように見えるから、大丈夫なのだと思う。思

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4歳息子が最初から補助輪を使うことなく自転車に乗れるようになった話

4歳息子が最初から補助輪を使うことなく自転車に乗れるようになった話

かんしゃく持ちで、泣き虫で、禁止事項を守れず、物の扱いが雑で、いたずらが大好きで。
ザ・手のかかる4歳児な息子ですが、そんな彼にも取り柄があります。

かわいい。(いきなりの親バカ)
感性が豊か。(月や夕焼けを見るために窓にかじりつく)
そして、運動神経がいい。
恐れることなくジャングルジムやうんていのてっぺんに立ったり登り棒をどこまでも登っていったりキャッチボールを延々続けたりと、好奇心と体力の

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自転車とおじさん

自転車とおじさん

公園のグラウンドで子どもたちに自転車の練習をさせていたら、どこぞの知らないおじさんが娘に向かってぱんぱんと手を打ちながら
「はい! はい! 頑張れ! 走れ!」
と声をかけ始めた。

え、馬を調教するみたい……と困惑しつつも、わたしの顔はマスクの下で自動的に愛想笑いを作り、「あーどうも」等とてきとうな言葉を発しようとした。
しかしそれより早く、娘が自転車をこぎながら
「うるさい、やめて! しずかにし

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袖摺れだから

袖摺れだから

8月に父方の祖母を亡くしたばかりだというのに、母方の祖母までも他界してしまった。91歳。
DMに埋もれた母からの携帯メールに気づいたときには葬儀まで終わってしまっていた。「だって返信くれないんだもの」などと平然と言う。
あまりのことに、言葉が出てこない。

これがエッセイでなく掌編とかだったらよかったのに。

おばあちゃん、大好きだったよ。わかってると思うけど。
遊びに行くたびにいつも熱烈に歓迎し

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弔電を打ちながら

弔電を打ちながら

矢印にみちびかれゆく夜のみち死んだ友とのおかしなゲーム

これは、「かばん」の大先輩である杉崎恒夫さんの短歌。
今は彼自身も鬼籍に入っている。

8/13(木)の朝早く、秋田の父方の祖母が他界した。
正確には5時6分だったらしい。
満97歳、数えで98歳だった。

助産師として長年病院に勤め、退職してからも風邪ひとつひかず、自宅で祖父を看取ってからも15年一人暮らしを続けた。

秋田のおばあちゃん

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ファミコン貧乏性

ファミコン貧乏性

子どもに子どもらしい娯楽を与えないタイプの親の元で育ったので、ファミコン誕生から家庭用テレビゲーム機の全盛期を生きてきたにもかかわらず、ゲーム経験が非常に少ない。
ドラゴンクエストもファイナルファンタジーも自分でプレイしたことがなく、友達の家で見た記憶がわずかにある程度だ、と言うとたいていびっくりされる。
ゲームネタについてゆけず、トラウマを刺激されたり疎外感を感じることもある。わりと重症だ。

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紫陽花から蛇

紫陽花から蛇

最初は、ロープか何かかと思った。
それは、川縁の紫陽花の茂みからその長い体を宙に突きだし、うごめいていた。

その透明感のある、青みがかった緑色に、わたしは息子の手を引いたまま一瞬、見惚れた。
次の瞬間、それに目鼻があることに気がついた。

「……蛇!」

みっともないくらい大声で叫んでしまった。
息子も自分も噛まれたらと思うと軽くパニックになった。何しろ至近距離だったのだ。

へび! へび!

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友とBOSSジャン

友とBOSSジャン

己のアイデンティティー自認に大きく関わった人のことは、忘れられない。

わたしはもう12年ほど某テクノポップユニットの、いや伏せるまでもない、Perfumeのファンである。
ファンとして過ごしてきた日々のほとんどを相当な密度で費やしてきたのだが、わたしを「おたく」という生き物であると自認させてくれたのは友達のひとりだった。
以下、Yとする。

Yは大学時代の同期であった。
彼女は法学部、わたしは文

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チョコと修羅

チョコと修羅

それは、バレンタインデーの翌朝のことでした。
8時過ぎくらいでしょうか。家族で朝食を食べていると、チャイムが鳴りました。
こんな時間に? とインターフォンのモニターを見ると、若い女性の姿が映し出されていました。
帽子を目深にかぶっていて、顔はよく見えませんでした。

「隣りに入れようと思って、あの、ポストの、」
切羽詰まった口調で的を射ないことを言うのです。

「ポスト?」
「あの、あの、隣りに

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「奥さん細かい方です」

「奥さん細かい方です」

それは自分の人生で通算8度目の引越しのときだった。
挨拶を交わして引越し作業を開始した作業リーダーのおじさんの手に握られている用紙に、何かが書かれているのが見えた。
見積もり担当者からの引継ぎの文言のようである。

「かい方です」

かい方?
なんだろう。

疑問に思って近づいて全文を見せてもらい、唖然とした。

「奥さん細かい方です」

そう書かれていたのだ。
奥さん、それは誰あろうわたしだ。

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