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OLi[生きる姿を、音楽と。]
2024年6月14日 21:51
声が大きいなと思った。下高井戸駅の本屋で待っていると、吉田くんが若干の汗を滲ませながら「遅くなりました」とはにかんだ。時間に遅れたことは本当にどうでもよかったものの、なぜこんなにも本屋で声が大きいのだろうと少しひっかかった。それから下高井戸駅の周りを散策して、カレー屋さんへ行く。クラフトビールを飲みながら、仕事やジェンダーのことに話が進む。同じソースから情報を得ていることや、大切にしたい考え
2024年6月1日 09:45
夏は夜だと思っている。暑さが和らいだ中で、風が吹けばさらに良い。こう思うようになった原体験は、高校生の頃の”夜遊び”だったように思う。ガラケーを取り出す。ぱぱぱっと「今夜空いてる?遊ばない?」と文字を打ち、ざっと読んでから送信ボタンを押す。時間もそうかからずに返信がくる。「いいね!じゃあ校門で」そうして夜の予定が決まっていった。高校3年生の頃、部活がひと段落ついてから時間を持て余すように
2024年3月8日 09:56
二股に分かれた道だった。敦は私が後ろから追いかけてくると思っていただろう。だけど私は、敦が進んだ左の道へは行かず、右へ行った。敦の方を見ることもなかったし、気にすることもなかった。初めて自覚的に人との縁を切った瞬間だった。2010年春、私は大学生になった。勉強も遊びも充実させたいと思っていた自分にとって、大学はさまざまなチャンスや情報が転がっているように感じられ、胸が躍るとはこういうことなのか
2024年2月9日 18:56
大阪から友達が遊びにきた。宗(たかし)は私が大阪にいる時に知り合い、いつもお笑いだの人間関係だのの話しで笑い、最後はだいたい「かつみさゆり」の話をして帰るという、変わった友達だ。波長がとにかく合うので、私が大阪に行く時、宗が東京にくるときは大抵遊ぶ。宗が遊びにきた時、東京らしいところと考えて、東東京を選んだ。下町であるそのあたりであれば、東京っぽさが満載で楽しめると思ったからだ。私は東京出身だ
2023年12月8日 20:05
「ねえ、上北台って覚えてる?」「覚えてる!覚えてる!よく練習試合行ったよな〜」「だよね〜!めっちゃ遠かったよな」JR新宿駅の東南口を出てすぐの居酒屋で、高校時代の男子バレーボール部の同期や後輩たちと集まっていた。この日は、キャプテンだった隼人が来年関西に転勤してしまうため、送別会を兼ねた飲み会を開いたのだった。当然、懐かしい話はするわけで、その中で上北台駅が最寄りの高校に行ったという話
2023年11月24日 11:02
友達の学がカナダから帰ってきて、東京で遊んでいた。あちこち歩き回っていた私たちは、池袋から逸れ、なぜか雑司ヶ谷のお墓に足を踏み入れた。雲一つない秋晴れで、午後の陽光が眠気を誘うような日に来るようなところではないと感じつつ、次の目的地に向かうためには通るしかなかったのだ。雑司ヶ谷にあるその名も「雑司ヶ谷霊園」は、東京ドーム一個分とか言いたくなるような広大な霊園で、碁盤の目のようにお墓が整然と並ん
2023年8月4日 08:07
就活をしていて、周りの全員が敵に見えたことは一度や二度ではない。特に出版社の選考を受けていたときは、あまりの倍率の高さに、周りが敵に見える確率がかなり高かった。しかし、紀尾井町にある出版社を受けたときに一人だけ味方がいた。三橋くんだ。三橋くんと会ったのは、二次面接のグループワークの時だった。線が細く、メガネをかけた三橋くんからは賢さが漂っていた。自己紹介をする声も低く落ち着いていて、「こういう
2023年7月7日 07:59
走った。大学の体育館で着替えると、先輩への挨拶もそこそこに駅へ向かった。小田急線の急行に乗り込んだ。到着するといつもの下北沢がなんだか違って見えた。下北沢についてもなお呼吸が浅い。南口商店街をぐんぐんと進み、小さな事務所の扉の前に立っていた。そこは憧れの場所だった。大学3年。就職活動が徐々に迫っていたが、周りに比べて私の計画は順調だった。大学へ進学する際、バレーボールに打ち込みながらマスコ