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#日記
鮫洲駅の停車時間のような日々で
鮫洲駅と聞いて多くの人が連想するのは、教習所か、または京急線の停車時間なのではないないだろうか?
各駅停車しか泊まらない鮫洲駅は、急行の時間調整のために、長めの停車時間がある。
小さい頃、横浜方面から家に帰るとき、または向かう時に鮫洲で電車が停まると、少しイライラした。
早く家に帰りたいのに。目的地に行きたいのに。電車の中で退屈しているのに。
止まっている時間以上に、長く感じたものだった。
し
君が生まれて、虎ノ門に向かう銀座線で泣き笑いしたくなったことを思い出した
自分の人生の底と言えば、いまからちょうど7年前だ。
思い返すと、自分で引き起こした出来事がうまくいかず、それでもう世界の終わりみたいな気分になって、なかなか浮き上がることができなくなってしまった。
最近「鬱の本」といういろんな人の鬱な感情や出来事のエッセイ集を読んでいて色々と思い出したのだけど、自分がそのテーマで文章を書くとしたら間違いなくその頃のことを書くと思う。
妻との出会いや家族や友人の支
明大前で降りて、大学生と並んで食べた家系ラーメン
社会人5、6年目の頃、京王線と京王井の頭線で、渋谷の会社まで通勤していた。
さすがに学生気分は消えけていたけれど、学生時代の思い出にまだ少し後ろ髪を引かれていたような時期だった記憶がある。
仕事が忙しくて終電やタクシー帰りをすることも多かったけれど、会社で仕事をするのに疲れてしまった時は、途中で切り上げて家に持ち帰ることもあった。
ある日、会社を出て井の頭線に乗り込んだ時に、無性に家系ラーメンが
京王永山駅のラーメン屋で後輩が言ってくれたこと
社会人になってから、一度だけボランティアサークルに入っていたことがある。ただ仕事でパワハラを受けた時期と重なってしまったり、それに伴って転職したり、なんかバタバタしてしまって、数回参加しただけで辞めてしまった。
なのでそこでの人間関係はほぼ出来なかったけれど、1人だけ、原山くんという大学生の男の子とは、連絡を取り合う仲になった。
原山くんは日本映画が好きで、愛嬌があって、ただ少し斜に構えた感じも
崎陽軒の読み方を知ったのは、新木場から帰った18の夜
TwitterあらためXの治安が悪い。
僕がはじめてTwitterに手を出したのは高校を卒業した2010年で、その頃はとてもほのぼのしているSNSだった。
たとえば、朝起きた時に「OCEANLANEの曲みたいな空だ」と呟いたら、会ったこともない人から「私もです!」とリプライが来たり、できたばかりのサッカーチームの公式アカウントをフォローしたらすぐにリフォローしてもらったり、それらが治安の良いエピ
新宿歌舞伎町の喫茶店で行われた社会人予行演習
大学生の頃、音楽雑誌を作るという名目で集まって、ひたすらダラダラするサークルに入っていた。
音楽雑誌を作るという名目で集まった割に、音楽にはあまり詳しくない大学生の集まりだった。
それっぽいサークルの形をなぞって数年連続でフジロックに行ったこともあったけれど、大御所のヘッドライナーを観てもわかるのは名前だけで、高いチケット代をドブに捨てて都内に戻ってスーパー銭湯でぬくぬくしていた。
大してライブも
豊島園近くの生活には映画館と美味い焼き鳥屋があった
住んでいる家の近くに映画館があることは、確実に暮らしを豊かにする。
そのことに気づいたのは、自分が一人暮らしをはじめて、車や電車で数十分かけて移動しないと映画を見ることができない環境に置かれてからのことだった。
育った実家は自転車ですぐの場所に映画館があったので、夕飯を食べてから映画を観に行って、帰ってきたら風呂に入ってすぐ布団に入るみたいなことができた。
それから何度か引っ越しをしたのちに、一
同級生と芝公園駅に向かいながら、僕は東京タワーを変顔で見上げた
高校に入学して間もない春、同じサッカー部の同期が練習中に大怪我して入院することになった。
まだまだ、隣にいる同期が良いやつなのか、はたまた相性が合わないやつなのか、探り合っているような時期である。
そんな関係性だったけれど、誰かしらの発案でとにかく病院にお見舞いに行こうぜという話になり、10人近くで学校帰りにゾロゾロ赴くことになった。
場所は、御成門にある病院だった。
地下鉄で向かう途中、お互い