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末木文美士 『日本思想史』 : 〈叩き台〉としての 日本思想史

書評:末木文美士『日本思想史』(岩波新書)

著者も「はじめに」に書いているとおり、本書は「日本の思想」というものを、西欧の「思想・哲学」の枠組みでは捉えにくい「思想」として、総体的に捉えようという試みである。
これまで、この種の大胆な試みがなされてこなかったため、不十分なものとなるのは覚悟の上で、あえて「叩き台」を提供しようというのが、著者の狙いだ。そして、その試みは十分に成功していると思う。

つまり、日本の「文化」や「宗教」に詳しい人には、本書はいかにも物足りない「寄せ集め的な概論」と映るだろうが、これまでは「日本文化論」や「日本宗教論」といったものはあっても、本書のような(ある意味では無謀とも言える)「日本思想論」という枠組みで書かれたものはなかったので、この先に構築されていくべき、未見の「日本思想論」の「叩き台」あるいは「捨て石」として、本書は「あえて」提供されたものなのである。

そして、そうした観点から本書を見るならば、やはり日本には「オリジナルの(首尾一貫した)思想」というのが、ほとんど無かったというのが、とてもよくわかる。
日本にあったのは、「思想」ではなく「気分」的なものであり、それをもって「外来文化」を変造していったものが「日本文化」だったのではないか。つまり、日本の「思想」とは、「思想」として確固としたかたちを持つものではなく、一種の「メタ思想」と捉えるべきなのではないだろうか。
同じ「思想」と言っても、主体的で確固たるかたちあるいは身体性を持った西洋の「思想」とは違い、日本の「思想」というのは「思想を扱う態度や気分」のようなものだと考えればいいのではないか。
だからこそ、それを本来の「思想」のレベルで捉えようとすれば「思想が無い」ということにもなるのだけれど、日本の「思想」を「メタ思想」だと考えば、それは(西洋とは違ったかたちで)「在る」とも言えるのである。

さて、私が本書を手に取ったのは、私の専門が「キリスト教」であり、歴史については「日本の近現代史」に限定されていたからだ。そして、それ以外の部分についても、基礎的かつ大まかな知識くらいは得たいと考えたからである。どうしたって、本格的に「日本の通史」的なものにまで手を出す暇はない。だから、本書を参考にしようとしたのだが、その点で、読者である私の期待と、著者の狙いが合致したため、本書は十分に役に立った。
内容が薄かろうが乱暴だろうが、とにかく「一つの視点で、ひととおり語ってしまう」という蛮勇には、なかなかお目にかかることはできない。その意味で私は、著者の試みを好意的に評価したいし、本書を物足りないと評価するのは、八百屋で魚を買おうとするもののように思えるのである。

そしてその上で、あえて言うならば、「はじめに」において、著者が語る「現代思想」批判は、やはりいただけない。

『 長い間、日本人にとって過去の自分たちの思想は、まともに考えるべき対象とはされてこなかった。思想や哲学と言えば、西洋から輸入されたものを指し、最新流行の欧米の概念を使って、その口真似のうまい学者が思想家としてもてはやされた。思想や哲学は一部の好事家の愛好品か、流行を追うファッションで十分であり、そんなことに関係なく、国も社会も動いてきた。』

著者は、このあたりの文章について、「あとがき」で、

『「はじめに」の文章はいささか過激に見えるかも知れないが、私の渾身からの願いである。』

と書いて正当化しようとしているが、『渾身からの願い』であろうがなかろうが、的外れで不適切な批判は、的外れで不適切なものでしかない。それは、飛行機をハイジャックしてビルに突っ込むのと、本質的に大差ないのである。つまり、「言論」というのは、「気持ち」だけで済む問題ではないのだ。

本書を読んでもわかるとおり、『思想や哲学と言えば、西洋から輸入されたものを指し、最新流行の欧米の概念を使って、その口真似のうまい学者が思想家としてもてはやされ』るというのは、今も昔も同じである。
最澄や空海が現代に生まれていたら、流行思想家にはなれるかも知れないが、『国や社会』を動かすことは、できないで終わる蓋然性が極めて高い。昔の宗教家や文化人が、政治を動かせたのは、それは「そういう時代」であったからで、昔の人が特別に偉かったわけではないのだし、『国や政治』を動かした人が、必ずしも、あるいはしばしば「ぜんぜん偉くない」場合も、今と変わらずあったのだ。

また、昔の「歴史に大きな名前を残さなかった、宗教者や文化人」のなかにも、政治的影響を与えた宗教家や文化人について、本書の著者と同じような批判を加えた人が、必ずやいたことだろう。『最新流行の欧米の概念を使って、その口真似のうまい学者が思想家としてもてはやされた。』と。

しかし、それを妬んでもしかたがない。
現代の私たちが知るべきことは、そうした人たちが個人的に立派だったか否かといったことではなく、何がどのように、日本の政治や文化に影響を与えたのかという事実であり結果であろう。そこが、今の我々にとっても「リアルな問題」となるからである。

初出:2020年2月28日「Amazonレビュー」

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