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己の旗を掲げる覚悟のない人間は虐げられてしまうと感じた

◆他人に〇〇されたくない、〇〇して欲しいという他人軸


いじめられたくない、仲間外れになりたくない、相手に良いように取り扱って欲しい、相手に何かして欲しい、欲しくないから相手に合わせて、自分の態度を変えて行く

これって当たり前のようでいて、自分が無い。『私はこういう人間なんです!』という旗を掲げる覚悟がないのが相手に伝わって、人によっては足元見られると思います。

この人は自分にこうして欲しくないから、こういう態度を取るのだろうな、と感じ取られれば相手に主導権が行く訳で、多少のわがままも無茶も聞いてくれるだろうと、世の中良い人ばかりではないので、それを利用する人も中には出てきますし、そういうレッテル貼られやすくなります。

相手に何か要求がある場合は調子の態度や甘言を並べるのではなく、相手に与えられる自分の資源と覚悟を提示することが先決だと思うのです。

持ちつ持たれつではありませんが、自分に協力してくれたら、こういうメリットがあるというのを言葉ではなく、日ごろから実力、行動で示した上で、メリットを与えることが出来ると相手に伝われば、ぞんざいには扱われることはありません。

なんだよ。結局取引してるだけかよ!と思う方も居ると想いますが、人間何かしらの自分の持っている資源の交換で成り立っていると私は感じております。(お金を稼ぐのも体力、知識、水商売では性別などを資源にしてます)

例え夫婦でも、旦那さんの金銭的、精神的自立した上で、余りある生活力という資源に魅力を感じ結婚する人も少なくないと思います。金があるから好きになるというよりも、生きる力、お金を稼ぐということは誰かに認められるという所での尊敬もあるのと

奥さんも容姿や特技以外にも、仕事をバリバリこなす、お金を稼ぐ協力者、男性にはないきめ細かさ、優しさ、天真爛漫てんしんらんまんさ(←私の希望です。)という資源を持ち合わせていたりなど

そして自分の旗というのは、自分の守るべき立ち位置が定まっているか?そうでないかで、自分はこういう価値基準を元に進んでいる人間だというのを提示出来ないと、守るべき所が無い状態で、天敵が来れば簡単に心の領土を明け渡し、虐げられてしまう。

旗を掲げるというのは、自分の旗を立てた領土に誰かが侵入してくれば戦いも辞さない覚悟です。

自分はこうして生きたいという旗を掲げて居れば、協力者もできやすい。しかし、旗も何も立てずに宙ぶらりんで進むと。協力したい人間が周りにいたとしても、何を求めているのか?見えてこないので手を出しづらい

同じ旗を掲げていない人間同士で連合を組んだ所で、互いに相手の求めているものが分かりづらく、出来るのは安直な傷の舐め合いぐらいで、傷つかないように戦う根本的解決には至らないです。

旗を掲げよ!というのは自分を国で例えたら自分の持っている資源と意志と行動の提示です。

こうなったら良いな、ああなったら良いな。と誰も居ない所で嘆いた所で何も変わりません。善良な人に対しての対応の仕方だけでは守りが足りません。

相手の顔色伺うよりも、まず自分の旗を掲げてとりあえず動いて見ることで周囲の見る目も自然と変わって行きます。




◇強固になれという訳ではない


ここまで書いて来たことは、敵から身を守る為に強固になれ!という訳ではありません。もしそう捉えてしまったならば、私の駄文のせいなのです。話は戻って

武器で固めてガッチガチに壁を作って。鎖国しろ!というのではなく、自分の置かれた状況の中でのバランスを大切にするべきです。

守りを固める必要のない場所で変な壁を作ってしまう方がよっほど弊害になります。目的に若干の違いがあれど利害が一致する所は協力する。

境界線を平気で超えて来るような人間がいれば、何かしらのアクションを起こさないと二度、三度と繰り返すうちにどんどんエスカレートして行きます。

自分の与えられる資源を増やす努力、お互いに足りないものを補い合う助け合う精神、協力も反目もせず、同じ空間を邪魔せず共有するだけでも、場所によっては必要なことだったりします。

その人によって状況が違うので必ずこうするべきとは言えませんが、その置かれた変化する状況下でのバランスというのが必ず存在し、そのバランスというの取り方というのが自分という人間を運営して行く方針にも繋がります。

あっち立てればこっちが立たず、のようなことが現実世界でも多々にあり、人間関係や行動に使うエネルギー、時間、何にどのぐらい分配するか?で必ず立たない方が出て来る。

誰かに資源を配ることで、他の誰かが不都合になり、意図せず敵対してしまうこともさえもある。それを無くす為に、どっちつかずの八方美人で腰巾着で敵を作らない生き方に徹するのも1つの生き方として良いかもしれませんが

自分の行動で優先するべきことが敵を作らないだと、自分がより豊かになることよりもその場を無事に過ごす、事なかれ主義になってしまい、他人に譲って自分の取れる利を取り逃がしてしまう

そして、先の戦争でもそうですが、理屈と道徳が通じない相手もこの世に存在します。話せば分かる、性善説で生きていけるほど世の中綺麗ではないのは皆さんもご周知の事実だと想います。

良い人間だけ想定して生きて行くと必ず嫌な思いや災難に見舞われます。

物理的な害から己を守るだけではなく、精神的に傷つくことから自分を守る為に、他人に過度の期待や依存をしない、今の失敗に囚われず改善を考える未来志向で居る、柳に風で聞き流す能力を身に着けるなど

あらゆる強さを持つことが抑止力になったりもします。

聞き流すことのどこが抑止力になるんだよ!と思う方も居るかもしれませんが、人によっては相手が全く効いていないと面白くなくなって止める人もいます、もちろんそうでない人の場合は違う対応が必要ですが

そして無用な所で消耗しないのは必要な時にエネルギーを使う上で大事なことでもあります。



■一龍一猪を肝に銘じる


中国のことわざで一竜一猪いちりょういっちょという言葉があります。

これは字のままに、学ぶ人と怠けて学ばない人とでは龍と猪(日本でいう豚という意味です)位の差が出ると言う意味です。

これは見た目や存在価値のことを指している言葉ではありません。

失敗から学ばず、他責思考にするのを欠かさず、他人のミスには目ざとく、自分の失敗には寛容な人間、どうせ自分なんて…と自分を大切に育てようとせず見限っている人間、『めんどくさい』を呪文のように繰り返し言い、行動にネガティブな人間など

学ぶことをしなければ、豚のように与えられた残飯を食らい、良いように扱われる、食われる、家畜のように唯々諾々と生きて行くことになります。

勉強して学ぶ以外にも経験の中でも少しでも、学びを見つけ改善して行く努力を重ねることが出来る人間というのは、その1つ1つの学びの中での変化は微量でも、長い期間の積み重ねが、皮を破り、より自分を大きくして行く

時が来れば滝つぼから天に昇って行く龍のように、飼われることは決してない、飛び立つべき時に飛び立てる人間になるということです。

私は学びがある人間のが生きるのが面白いと考えます。

全く改善、変えることの出来る余地のないことは殆ど無い。そこから少しでも学べば次に小さくとも必ず変化がある。何度も同じ所でつまずくよりも、目の前が変化して行くことのが楽しいと

その変化が自分の思った方向へ少しでも流れるのが、人生の1つの喜びだと想います。もちろん上手く行かないことも多いですが。

という所で今回はこの辺でおわりにします。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね('ω')ノ



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