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心配という名の批判。
時々、遭遇しないだろうか。
「心配」という言葉を使って、相手を傷つける人に。
「心配」という言葉は心を配ると書く。
心を配るとは、細かいところまで配慮したり、注意を払うということだ。
特に人に対して「心配です」という言葉を使う時、
本当に、その場で、その人に、その言葉を送るべきなのかという
心配りが必要なんじゃないかと思う。
なぜなら、心配の背景には、大抵、ネガティブな思いがある。
こうなった
菊理媛神に会いに行く。その1
この土日は、名古屋発、岐阜〜福井〜石川の1泊2日、
ワンオペドライブを強行。
何キロ走ったのか数える気はないけど
自分史上最高距離のドライブをしたのは間違いない。
つい先ほど、最終地の金沢から約3時間運転して帰宅し
これを書き始めている。
体は疲れている。
でも気持ちはとても落ち着いていて、満ち足りている。
ドライブ旅の目的は、神社巡りだ。
5〜6年前から、“神様の声が聞こえる人“に同行し
年数
それいけバイキンマン
花粉が飛び交う快晴&初夏日和の本日。
私も春の初めに目が痒くて
お、ついに来たのか?花粉症!
と思っていたらいつの間にか快癒の模様。
それもこれも、最近、沼ってるメディカルアロマのおかげかと
ますます沼が底なしになる予感ばかりの今日この頃。
考えてみれば人間は
太古の頃から植物をはじめとした自然の恩恵を享受して生きてきて
今よりも寿命は短かったかもしれないけど
人体の生理的にはそれが自然なことで
嫌われる勇気よりも、始める勇気。
「すべての悩みは人間関係の悩みである」というのは
『嫌われる勇気』で有名なアドラー心理学の根底的な概念だという。
私たちはこの世に、たった1人では決して生まれてこない。
確実に、親という自分以外の人間がいるから生まれてくるのだし
生まれてすぐ、否が応にも親や保育者といった「他人」との人間関係の中に放り込まれる。
そして、他人からの様々な働きかけの中で「自分」を認識していく。
大人になって、「自