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娘 -盗み-

その家には、
いつだって現金がたくさんあった。

無造作にダイニングチェアにかけた
家主のズボンのポケットを探れば、
二つ折りにされた数万円の札束が出てきたし

家主の妻の箪笥の引き出しの底裏にも
隠し貯金のつもりなのか、
何枚かの一万円札が置いてあった。

だから、一枚や二枚が無くなったって
大したことはないと、家主の娘は思っていた。
事実、何年にもわたって繰り返された盗みを
咎められた記憶はなかったという。

娘は、手に入れた現金で
その時の欲望のままに様々なものを買ったが、
どれもお金を盗んでまで本当に欲しかったものだったのかと言えば、そうでもない。
大抵のものは、しばらくしたら
どこかへいってしまっていたし、
失くしたからといって悲しんだ記憶もない。

ただ、家主夫妻の目を盗んで行う悪事の放つ
スリルや達成感や、暗い万能感が、
娘を虜にした。


ある夜、不思議なほど静かだった。



いつもなら階下のダイニングから
怒鳴り声や皿などの割れる音が響いてくる
その時間帯になると
娘は階段をそっと降り、騒音に耳を塞ぎながらも家主夫妻の様子を探るのが日課だった。

でもその夜は、二人でボソボソと話し合う小さな声が聞こえてくる。


どうやら、ようやく、消えていく現金のゆくえに思いが至ったようだ。

娘は、急いで階段を駆け上がった。
今すぐにでも、足首を掴まれ、二人の怒りに満ちた顔が目の前に迫ってくるような気がして
心臓が痛いくらいにドクドクと音を立てた。

布団を頭から被り、ギュッと目を瞑って
階段を上がってくる二人の足音を待った。

気づいたら、朝だった。



娘は、とても早起きをした。
家主夫妻も、その親も、まだ寝ている時間だ。

娘は、タンスの引き出しをそっと取り出し、
いつもの場所に現金がないことを知った。
家主のズボンのポケットにも
二つ折りの札束は入っていなかった。




娘は、いつものように
赤いランドセルを背負う。

いってきます。

いってらっしゃい。

家主の妻は、いつものごとく声をかける。


誰も何も欺かず、皿は一枚も割れず
悪いことなど少しも起きないような一日が
その日も始まる。




三日後、娘は、家主の妻の財布から
千円札を抜いた。
十日後、家主のズボンには二つ折りの札束が戻っていたが、そのお札は一万円札から全て千円札に変わっていた。娘は二枚、抜いた。
一ヶ月後、箪笥の引き出しの底裏には現金が戻っていた。だから、一枚抜いた。

今夜も娘は、そっと階段を降りて
聞こえてくる音に耳を塞ぐ。

ダイニングの灯りはいつまでも消えず、
音はいつまでも鳴り止まない。


娘の膝の上では
今日手に入れたばかりの
高価なぬいぐるみが笑っている。

#盗み #創作 #物語  



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