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子供がくれる奇跡みたいなもの
これは決してわたしの子育てが上手だったという話ではない。
いや、むしろ、たまに、子供の小さい頃の自分の母親業を振り返っては、ヴァ〜〜〜ッてなることが多々ある方だ。
ただ、そうやってふと子供の小さい頃のことが蘇ると、ヴアアッてなると同時に、まるで奇跡のような出来事があることを思い出す。
ひとつは娘のこと。
彼女は小さい頃から絵を描いたり、ちょこちょこと工作をするのが好きで、よくオリジナルイラスト入りのメモや、牛乳パックで作ったペン立てなどをくれた。ペン立てはすでにイラストの色もあせて、ボロボロになっているけど、1面にママ(わたしね)の笑顔のイラストがあり、対する1面には、本物のママと文字まで付けてツノを出して怒ってるママのイラストがあり、見るたびにほろ苦く反省する…。
そんな娘が確か小学3、4年生の頃にくれた〝おまもり”カードがあるのだが、それにはこんなメッセージが書かれていた。
みんなつながってる
え?
もらった当初は意味を理解するでもなく、また新しいオリジナルグッズをくれたな程度だった。
でも何年かたったある日、それを改めて見て、大袈裟だけど「奇跡か!」と衝撃を受けた。
当時、わたしは現実人生に疲れ気味で、もともと好きだったのもあるけど、あらゆるスピにハマっていた。そして、その周辺で頻繁に聞く、いわゆる真理の言葉が、数年前の娘の手作りおまもりカードに、当然ながら娘の字で書いてあるではないですか!
おまもり、とわざわざ書いてあるってことは、娘にはその言葉の意味するところが理解できていたのだろうか。ツノ出して怒っているばかりの母親に、真理の言葉をプレゼントして嗜めようとしたのか慰めようとしたのか。わからないけど、小学生の娘からすごいメッセージをもらっていたのは、今でもやはり奇跡みたいな出来事な気がする。そういえば彼女は、胎内記憶も3歳くらいに話してくれた人だったな。
そして息子のこと。保育園の頃だったか、普通のどこにでもいるやんちゃで可愛い男の子だったのだけど、ある日の朝、娘だったか誰かにひどくけなされた時があった。
はたで聞いてて、ちょっとかわいそうだなと思ったわたしは、息子の前で、そんなことないよね、〇〇(息子)はこう思ってこうしたんだよね、みたいなことを言って擁護したのだと思う。
すると、しばらくしてから息子がわたしにこう言った。
わかってくれてありがとう。
え?
いや、ホントに大人が言うようなそのまんまの言葉で。その時確か、幼児用の椅子に座って、保育園用の黄色いスモッグを着てた。
あまりに大人びた言葉になんだか感動したと同時に、わかってあげれてよかったと、とても嬉しかったことを覚えている。
それからの年月で、わたしは、そういう彼らをまっすぐに育てられたとは全く思えていないし
それなりに反抗期もあり、返事もしてくれない時期もあったけど
彼らも今や20歳と17歳になって、すっかり現実を生きる今時の若者たちになっているけれど
少なくともそうした幼い頃の子供たちとの、心がハッとするような出来事を思い出すと、その瞬間にわたしも育てられたのかもしれないと思ったりする。それってどこか特別な、わたしの人生における奇跡のようなものではないのかな。
そして、うちの子達って素晴らしいなあと思ったりするのだ。
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