#エッセイ
好きなだけでは相手を幸せにはできない
相手のことが心から好き=相手を幸せにできる
なんとなくそう思っていたけど
必ずしもそうではないのだなと最近考えさせられた
相手のことがどんなに好きでも
相手が何をもって幸せと感じるのかを知っていないと、相手を幸せにすることはできない
自分がされたら嬉しいことをしたり
自分が好きな人に対してしたいことをしたり
それだけでは相手を本当に幸せにすることはできなくて
ただ愛情表現をすればいいわけで
長所も短所も認めること
相手に求めるものは人それぞれ
好みやタイプも人それぞれ
それをとても実感した
よく喋る人が心地良い人もいれば
自分が話すのを目を見てじっくり聞いてくれるのが心地いい人もいる
タイプの顔、雰囲気もある
なぜか話が盛り上がる相手もいればそうじゃない人もいる
人それぞれ、長所短所があって
不得意を少しずつ克服しながら
自分の得意を認めて絶対失わないこと。
得意をしっかり自分のものにすること。
シンプルに考えてシンプルに動く。言い訳で複雑にしないこと
やりたいことは今やらないと一生できない
やろうと思ったことは今やらないと一生やらない
明日にはやりたくなくなってるかもしれないから
やったことないことを、難しいものだと決めつけるのも自分
やったことないことを、簡単かもしれないと思いやってみるのも自分
こうなりたいと想像できたものにはなれるのだから
あとはやってみるかやってみないか
少しの勇気と一緒に、前に進むかどうか
挑戦することを
「好かれたいと思う人に、好かれたい」
寝落ちしたので朝投稿!!!
↓昨日の夜のnote
今日は24時にカフェラテ飲もう!
と意気込んだらラテがなくてただのエスプレッソになり、
さすがにエスプレッソのカフェインは効いたらしい。
夜更かしです笑笑
ただいま3:30。
今日思ったことは、
できるなら、出会った人全員に好かれたい。
でもなによりも
「好かれたいと思う人に、好かれたい」
選ばれる人になりたい。
なによりも、
Work to Live
日本人は、Live to work (働くために生きている)
そう見られることが多い。
一昔前に比べると、働き方改革が進んで、
さまざまな働き方が認められ、
ホワイト企業!という言葉を聞く機会も増えているが、
世界の中では、まだまだ日本人は働きすぎというイメージが強い。
残業、付き合いでの飲み会、有給を消化していないなど、なんとなく周囲の環境に合わせているうちに、
無意識に働く時間が長くなって
人に流されて過ごす時間より、自分の意思で過ごす時間を。
なんとなく、
どこでも、誰とでも、その時間を楽しむことができる。
それが私の長所だと思っています🙂
でもなんとなく楽しい時間を過ごすことが、本当に良いのだろうか。
「結果的に楽しいのだからいいだろう」
そうも思いますが、
人生の限られた時間を"まぁいいか"の時間に使い、
自分の意思で決めた時間ではなく、
人に流されて過ごした時間が多いのはどうなのだろう。
人生終わるまでにやりたいことをやり
私のミッションを考えてみた
愛されて生きてきた
私は一人っ子として
父、母、祖父、祖母に囲まれて
常にみんなに応援され、愛されて生きてきました
自分で"愛されていた"と自信を持って言えてしまうって幸せな事ですよね
習い事なども、
はじめるきっかけや興味を持つきっかけをつくってくれて、
私が「やりたい」と言ったらやらせてくれたし
朝も夜も送り迎えをしてもらい、晴れ舞台があれば見に来てもらい、
頑張りたいことに対してずっと
言葉にはするとわかること -夢を語って気づいたこと-
言葉にはするとわかる
今日はわたしの夢についてお話をしてきました
どんな状態になりたい?
わたしの周りの人を応援できる自分でありたい!
応援されたいっと思ってもらえる頼られる人でありたい
そのために、
→お金と時間から自由になりたい
→自分らしく生き生きとしていたい
これは手段というかんじ
ただ、とにかく
人の役に立つことが本当に好きで、
求められて、頼られて、ありがとうって言ってもら