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みう的まとめ

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自身に向き合えた記事のまとめ。
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記事一覧

noteで過ごした1年

noteで過ごした1年

昨晩ぶりの方も、初めましての方も、それ以外の方も、こんにちは。

目に留めていただきありがとうございます、みうです。

私事ですが、昨日で毎日投稿365日目を迎えました。

何かを続けること、「毎日ちょっとずつ」が大の苦手だった私が、まさかの。

皆さまの支えあってのことです、本当にありがとうございます。

…ということで、今日は「noteを365日続けるとどうなる?」というテーマで、これまでのこ

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幸せを願うとき、不幸に思いを馳せている

幸せを願うとき、不幸に思いを馳せている

私たちは性格も価値観も違えば歩き方も違うけれど、みんな心のどこかでは幸せに生きていたいと思っているし、悲しいことより楽しいことの方が多い方がいいと思っているし、自分が亡くなったあとには、できれば虚無以外の何かを遺したいと思っている。そんなふうに思う。

ハッピーエンドを、望んでいる。

けれど、ハッピーエンドが保証された人生などない。ましてその"エンド"までの道のりがどれほど多難であるかなど、直面

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誰かを信じたり、好いたり、その他。

誰かを信じたり、好いたり、その他。

誰に教えられるでもなく「嫌いな人とは無理に付き合わなくていい」という意識を昔からもっていた私は、嫌いな人に対して見せかけの笑顔を振りまいたり、「みんな仲良く」をスローガンに掲げたりすることもなく過ごしてきた。

私が悩みたいのは、自分の嫌いな人に対してではなく、自分の好きな人に対してだった。

大切にしたい人をどうやったら大切にできるか。
もっと仲を深めたい人のことをどうやったら理解できるか。

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人からの評価

人からの評価

「人からの評価が全く気にならない」という人は一流だ。

たとえば自分が創作したものに対していい評価がこようと悪い評価がこようと全く気にならず、自分のただ創りたいままに動く。

褒められても貶されてもフラットでいる姿は決して簡単に得られるものではない。



なんとなく「人の目を気にするのは悪」という風潮が流れているのは気のせいだろうか。

悪とまでは言わないとしても、「人の目なんて気にしてないで

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優しさという凶器

優しさという凶器

優しさのある人ほど、誰かに対して深く影響を与えることができると思っている。
相手のことを熟知しているのだから、相手の心の動かし方を知っている。
大袈裟に言えばそういうことだ。

優しさという言葉は聞こえもいいし、私も優しい人物になりたいと思っている。しかし、優しさというものは随分と危険なもののようにも思える。

場合によっては相手を深く傷つけてしまうことがあるからだ。



もちろん初対面の人や

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ひとの価値なんて

ひとの価値なんて、他人も自分も含め誰かが決めるものではないのだと思いたい。

あくまでひとが決めるのは個人的・社会的な評価にすぎなくて、そのひと自体の価値ではない、と。
ひとの存在なんてあるがままでしかないのだから、とやかく言われて下げられたり上げられたりするわけではない。

いつでもそう言い張れたらそれはそれで羨ましく思うが、とりあえず今の思いを認めておくこととする。



評価には、それを下

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謙虚な人、そうでない人

謙虚な人、そうでない人

やっぱり、謙虚に生きていたいよね、と思う。

それは、自分を下げることで相手を上げるというよりは、同じ目線でいながら思いやりをもつことであり、

たとえ社会的に上の立場に立ったとしても、決して見下すようなことはしないということであり、

一つ他人を巻き込む欲を言えば、誰かを陰ながら支える存在でありたい、ということだ。



私の思う「謙虚でない人」というのは、あからさまにわがままを言うような自己

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平和主義者の覆面

平和主義者の覆面

生きていればいいことも悪いこともあるわけで、自分の中での永遠の信条になるほどの幸福があれば、気がつかないささやかな幸せもあるし、おいしいものを食べれば復活する落ち込みがあれば、何年という単位で苦しんでしまう絶望もある。

幸せや落ち込み、つまり小さな心の動きは、私たちにとって一番身近だ。
身近な分、気軽に誰かに伝えられる。

一方、幸福や絶望という大きな心の動きは、人に言い出すまでが長いことが多い

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一瞬の燦たる輝きを

思ったことを何らかの形で残すこととは、当時の自分を生かしておくことだと思う。
文章でも絵でも写真でも音楽でも何でも、自分の一番好きなもので、保管できる手段なら何でもいい。

いくら昔のことを覚えていると言ったって、それを原動力にして今があると言ったって、すべては現在・将来と対比される過去の出来事。自分が生きている以上、どんどん遠ざかってしまう。

形に残さないことが死だとは言わないが、残しておくこ

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「人と分かり合えない」と嘆く私へ

「人と分かり合えない」と嘆く私へ

「人と分かり合えない」のは、自分の世界を本気で語り合うことを恐れているからだと思う。

昔のことを思い起こしてみる。

どれだけ歩み寄ったつもりでも、言葉の裏をも汲み取ろうと努力したつもりでも、相手は私のことを分かってくれないし、同様に相手のことを分かりきれてはいないだろう。100%の相互理解はそう簡単に実現しないと思っていない自分もいるけれど…。

私は孤独なのか?
そんな疑問を抱いたその日から

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すくわれた人間の末路

すくわれた人間の末路

5月の初めから、いやずっと前から、このエッセイを書くかどうか迷ったり迷わなかったりを繰り返していた。

つまり切り捨てられない思いがあるということである。それは後ろめたさかもしれない。謝罪かもしれない。怒りかもしれない。嘆きかもしれない。

せっかくの機会をいただいたこともあり、自己解決しない根底を、「私らしいが、私らしくない」この迷いを、この場所に残すのもたまには悪くないと思った。



ここ

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弱さを免罪符にする前に

弱さを免罪符にする前に

人は誰でも弱さや脆さを抱えているというのは当然の話である。
一見強そうに見える人も、いつも気丈に振る舞う人も、毎日快晴のもとで陽の光を浴びて前だけ向いて歩いてきたなんてことはないだろう。

その「脆弱性」を逆手にとって、周りに振りかざす人がいるのも真実である。
つまり、弱いふりをして周りを支配するということだ。

「弱者マウンティング」と言うらしい。

ここでは、「自分の方がつらい」と周りに押し付

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私の生き方は窮屈か?

私の生き方は窮屈か?

直接書けないなら書かないほうがいいのかもしれないけれど、それでも書きたい自分がいるのでそれに素直に従うことにしたい。

私は、自分が愛した人に自分の生き方を「窮屈」と形容されたことがある。

確かに彼からすれば、私の生き方は窮屈に見えたかもしれない。
あらゆるリスクを避け、一歩を踏み出すことを躊躇し、自分の気持ちに目をつぶることを当たり前のことのようにしてきた。自分はそういう人間だと言い張れば誰も

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Simplifier

Simplifier

"人生はシンプルなものである"

"人生が複雑に見えるのは、自分自身が人生を複雑に考えているから"

つい最近までアドラー心理学のそんな基本的な考え方すら知らなかった私だが、初めてその言葉を聞いた時、「まあ、そうだろうな」という妙な納得をした。それとともに、「みんなそうなんだな」「それが普通なんだな」という気づきを得た。

自分自身が人生を複雑に考えている。
それはどうやら私という人間の一個体に固

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