noteで過ごした1年
昨晩ぶりの方も、初めましての方も、それ以外の方も、こんにちは。
目に留めていただきありがとうございます、みうです。
私事ですが、昨日で毎日投稿365日目を迎えました。
何かを続けること、「毎日ちょっとずつ」が大の苦手だった私が、まさかの。
皆さまの支えあってのことです、本当にありがとうございます。
…ということで、今日は「noteを365日続けるとどうなる?」というテーマで、これまでのことを振り返っていこうと思います。
◇
1. 自分の目指す姿が少しずつはっきり見えてきた
ひとりの人間が綴ってきた言葉は、何か目新しいものでもなければ、誰もが感銘を受けるような素晴らしいものでもなく、それまで心の内にとどめていたものを表に出しただけのものでした。
昔から物思いに耽りがちな私に必要だったのは、頭の中で綿密に絡み合った、整理されているようでされていないその物思いを言葉にして、人目に晒すことだったのかもしれません。
過去に向き合い、今を見つめ直し、どんな未来に辿り着きたいのか、そしてたどり着くまでにあと何が必要かを考える。
当たり前のことのように聞こえるけれど、これがものすごく大切なことだと気がつきました。
では、どんな姿が見えてきたのか…
正直に言って、それは、noteを始める前とほぼ変わりません。
でも、その解像度が明らかに違うのです。
挙げ始めるとキリがないので、2つのnoteを貼っておきます。
◇
2. 思考が整理された
先ほど書いたことと共通する点がいくつかありますが、思考が整理されたことで、悩んだり落ち込んだりすることが少なくなりました。
何と言えばいいのでしょう…、自分の中での究極的な答えが見つかったような気がするのです。
今までの癖でほぼ無意識のうちに複雑に考えようとしても、すっと一筋の光が差し込んできてすぐに解決できてしまうような、そんなイメージ。
周りの助けを借りながらも最終的には自分で握りしめたその言葉はとても強いものです。
どんな言葉が今の私にとって「究極的な答え」なのか、少し挙げてみます。
・傷つくことを恐れず一歩踏み出す勇気があれば大抵のことはうまくいく。
その勇気の出し方がまだ分かっていない臆病者。
・自分は何も特別な存在ではなく、普通の中の一部。
自分を保つためにその差異をハイライトで強調しているだけ。
・根底にあるのは切なさや寂しさ。
それを他人に語るか否か、どう語るかで自分の面が決まっていく。
・稀有なまでの"信頼"に対する不信感がある。
完全に拭うにせようまく付き合うにせよ、かなりかかりそう。
・自分の考えはけっこう薄っぺらい。
まだまだ考える余地はある。今見えている答えを正しいと思い込むな。
◇
3. 自分を正しくみることができるようになった
何かトラブルが起きると自分のせいにしがちだった私にとって、自分とは責めやすい存在であり、もっと言えば殴るのに格好の存在でした。
全部自分が悪いで終わらせれば、心は苦しいながらも表は片付く。それでいいと思ってしまうほどでした。自分を大事になんて、ただの綺麗事だと思っていました。
noteを続けてしっかり向き合ってみたら、そのぶん自分に優しく、素直になれたような気がします。
向き合ったらそれ相応にこたえたいという気持ちが自分に対してもこみ上げてくるのを実感したとき、はじめて自分が生きた人間であるような気がしました。
これまで書いてきた言葉の中には、ちょっと自己中心的・独り善がりに捉えられる言葉もあるかもしれませんが、今のうちはそれくらい言葉にしておいた方がバランスがいいなと思ってのことです。
日々勇気を出して書いていましたね。
その分、いいこともたくさんありました。
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4. 行動する気力がわいてきた
部屋の掃除のたびに2日間だけの日記が出てくるほどの人間からすれば、1年間毎日何かをやり遂げられたことは本当に驚きです。
それが自信に繋がって、いろんなことに挑戦する気力がわいてきました。
思うだけではなく行動も伴って。
もうちょっと踏ん張ってみようという気持ちが、最近とても強くなりました。
もしかしたらできるかもしれないという期待が大きくなって、いろいろ手を出してみて(主に勉強に関して)、やや忙しめの日々を送っています。
それから、この場所でもなお蓋をし続けた自分の昔の気持ちにもしっかり向き合えるような気がしてきました。
それをこの場所で綴ることは今後も控えさせていただきますが、ここまでやってきたならもう大丈夫だろうという自信があります。
何事も、自分でやってみなければ何も変わらないのです。
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さいごに
今後の活動ですが、投稿を休止します。
理由はいろいろありますが、一番はやはり、続けたいという思いが薄れていることです。
書きたいことがどんどん自分の深い部分になっていくにつれて書くこと自体を負担に思ったり、挑戦することが増えれば当然書く時間が取れなくなったり、時々この場所に違和感を覚えてしまったり…。
「続けたくない」のときもあれば、「続けなくてもいいかな」のときもあります。
いずれにせよそんな状況で続けても形骸化に繋がるだけなので、それを避けるための決断です。
私が文章を書く本当の目的は、その大部分をすでに果たされたようです。
今後も皆さんの創作を覗かせていただこうと思っています。突如コメント欄に現れるかもしれません。あるいはこれまでのようにタイムラインに出没するかもしれません。
そのときはぜひ、これまで通りお付き合いいただけたら幸いです。
たくさんの仲間や同志に会うことができました。
恵まれた時間だったと心から感じています。
この1年は、私にとって何にも変えがたいものを得た期間だったように思います。
どうか、これからもそうでありますように。そう願いながら。