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【僕の心の常備薬】強迫性障害になって良かったこと【経験者だけが得られる5つのメリット】

【最終更新日:2022年7月9日】

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こんにちは、アクマくんです。

本記事をご覧いただき、ありがとうございます。



-筆者について-

この記事を書いている僕は、27歳の会社員です。

特に珍しい仕事をしている訳ではないですが、

一般の人と違う点が1つだけあります。

それが、「強迫性障害を4年間患い、完治したこと」です。


-強迫性障害って何?-

4年前の僕は、『強迫性障害って何?』と、

YouTubeでふと目に入った「強迫性障害を治す方法」という動画に気を引かれました。

何故なら、

まるで、自分のことを言っているかのような言葉が、動画のサムネイル画像に入っていたからです。


「自分でもバカバカしいと分かっていながら不安が頭から離れず何度も同じ確認を繰り返してしまう」


このとき僕は、「自分が強迫性障害であること」に気づいたのです。

<強迫性障害>
自分でもつまらないことだと分かっていても、そのことが頭から離れず、分かっていながら何度も同じ確認などを繰り返すこと。意志に反して頭に浮かんでしまって払いのけられない考えを強迫観念、ある行為をしないでいられないことを強迫行為という。たとえば、不潔に思い過剰に手を洗う、戸締りなどを何度も確認せずにはいられないなど。(引用元)


「財布の中のキャッシュカードやクレジットカードが、ちゃんとあるか何度も確認してしまう」

「服を着るときに、服に何も付いていないか何度も確認してしまう」

「外出するときに、台所のガスがちゃんと閉まっているか何度も確認してしまう」

「外出するときに、家の鍵がちゃんと閉まっているか何度も確認してしまう」

「他人とすれ違ったときに、不吉なことを考えてしまっただけで、相手に何か危害を与えてしまったんじゃないかと不安になる」

「記事やニュースで不吉な事件を見たときに、自分が加害者になってしまうんじゃないかと不安になる」

「頭に不吉なことが思い浮かんだときに、それを払いのけようと不吉な思いを打ち消す思考を繰り返す(反芻思考)」

「反芻思考に囚われているときに、不注意で何か大変なことをしてしまったんじゃないかと不安になる」


上記に心当たりがある方へ。

あなたと同じ人間が、ここにもいます。


僕自身、自分が「強迫性障害」であることに、すぐに気が付くことが出来ませんでした。

理由は簡単で、

『別にこういった気になり事って人間なら普通にあることだよな。単に自分が人より神経質だからなんだろうな。』

と思っていたからです。

つまり、

"よくある普通のこと"と認識してしまいがちで、

家族や友達に相談しても「まあ、中にはそういう人もいるよね」となって【病気である】と気づけないのです。

だからこそ、

『自分はちょっと過剰な気がするな...。』と感じた方は、本記事を読み進めて頂ければと思います。



-本記事は、特定の方に向けて書いています。-


具体的には、

「強迫性障害だからこそ得られるメリットを知りたい方」向けです。

つまり、実際に強迫性障害だった僕が

『今考えると、強迫性障害になって良かったな』

と感じている理由を解説していきます。

これまでの僕は、

『無意味なことに頭が囚われてしまい物事に全然集中できない。色んな所でパフォーマンスが落ちてしまって、自分は一生こんな勿体無い人生を送っていくんだな。仮に今更治ったとしても、過去の時間はもう取り戻せないし、人生を無駄にしちゃったな...。』

と強迫性障害をネガティブに考えることしか出来ませんでした。

強迫性障害であることを誰にも言えず、ずっと自分の中に隠していました。


現在の僕は、強迫性障害の症状がありません。

今だからこそ言える「強迫性障害を通して得た大きなメリット」「完治後に見えた世界」を、

『過去の僕と同じ境遇のあなた』へ向けて書きました。

*本記事は決して強迫性障害の治し方を説明したものではありません。医学的な詳細情報は専門家の意見を参考にしてください。              


◇特に、こんな方へ向けて書いています

・外で歩いているときに、ちょっとした物音が聞こえると、自分の持ち物の何かを落としてしまったんじゃないかと不安になり、何度も地面を確認してしまう

・スマホや財布などの貴重品を使うときに、常に集中していないと、落として無くしてしまうんじゃないかと不安になる

・電車やバスを降りるときに、車内に何か忘れ物をしていないか不安になり、床や座席を何度も確認してしまう

・パソコン作業をしているときに、ふと気を逸らしたタイミングがあると、その間に無意識に何か大変なことをしてしまったんじゃないかと不安になる

・仕事で目上の方にメールを送るとき、ふと不吉な思いが頭に浮かんでしまうと、その思考を打ち消し、頭を「無」の状態に戻してから、最初からメール文を書き始める

・財布からお金やカード類を取り出すときに、取り出すタイミングで財布内の他のものが落ちてしまったんじゃないかと不安になり、無くなっていないことを何度も確認する

・SNSを見ているときに、不意に何かのリンクをクリックしてしまったり、不意に誰かのプロフィール画面を開いてしまったときなど、何か自分の個人情報が流出してしまうんじゃないかと不安になる

・外出時、家の鍵を締めるときに、明らかに締まっていると分かっていても、自分が決めた回数分確認しないと気が済まない

・外出時、ガスが「切」になっているか何度も確認してしまい、理性では確実に「切」になっていることが分かっているのに、じっと見つめ続けていると、どの位置が正解なのか分からなくなってくる

・仕事中、会社のお金で何かを買うとき、大丈夫だと分かっていても「商品名が間違っていないか」、「金額に見間違いはないか」など注文ミスがないかを何度も確認してしまう

・会社で目上の人に対して少し強めの意見を言ったときに、後々自分に何か罰が下るんじゃないかと不安になる

・誰かと電話をしたときに、電話の切り際に相手への暴言が頭の中で思い浮かんでしまい、相手に聞こえてしまったんじゃないかと不安になる

・会社の水道で自分が手を洗っているときに、隣でうがいをしている人がいると、水が飛び散って自分の身体に付いてしまい、ウイルスに感染してしまったんじゃないかと不安になる

・感染対策用の間仕切りなど、ウイルスが付着していそうなものに触れたときに、感染してしまったんじゃないかと不安になる

・何か不安を感じたときに、「あのときこういう行動をとっていれば不安を感じることは無かった」と理想的な行動を頭の中で作り上げようとする

・意識が不安に向いている間に無意識に何か大変なことをしてしまったんじゃないかと不安になり、"不安を感じてしまったこと"自体に後悔し、"不安を感じなかった場合の理想的な行動"を作り上げようと何度も頭の中で繰り返してしまう

・どんな行動にも必ず何かしらのリスクを感じてしまい、日常の色んな行動に対してストレスを感じてしまう

・物事に集中しているときに、人に話しかけられると、過剰にイライラしてしまう

・想定していなかった予定が入ると、自分の時間を削られているようで、過剰にイライラしてしまう

これが過去の僕です。

常に頭の休まる暇がない日々を過ごしていました。


実際に強迫性障害を経験してきて、

辛く、苦しい毎日を過ごしてきた僕だからこそ、

「過去の僕と同じ境遇で苦しむあなた」の気持ちを理解しています。


過去の僕がずっと見たかった『強迫性障害を乗り越えた先の景色』を、

今のあなたへ伝えたい。

そんな思いで、本記事を書きました。

「過去の僕と同じ境遇のあなた向け」とはいえ、"過去の僕と全く同じ症状でなければ価値がない"という訳ではありません。そもそも強迫性障害の症状は多様で人それぞれ違います。ただ、「症状のメカニズム」はどれも同じ。だからこそ、少しでも強迫性障害の症状を感じている方にとっては、本記事は価値があるはず。そして、ほぼ確実にあなたの人生に影響を与えると思っています。



-過去の僕と同じあなたへ、伝えたいこと-

僕はずっと「自分だけが抱えている悩み」だと思っていました。

だからこそ、

『家族や友達に相談しても、どうせ分かってくれない。一生一人でこの苦しみに耐えていかないといけないんだろうな。』

と諦め、

『もう自分はこういう人間なんだから仕方ない。きっとこんな性格だからこそ良かったこともあるはずだ。』

と見えないメリットを無理やり探し出そうとして、強迫性障害である自分を正当化する毎日を送っていました。


そんな僕がこんなことを言うと、

「過去の僕」も、「今のあなた」も驚くかもしれません。

「今の僕」は、

『強迫性障害になって良かったな。』

と心から思っています。


本記事は、「過去の僕と同じあなた」へ向けた手紙です。

辛く、苦しいときに、いつでも振り返られる「常備薬」になることを信じています。

そして、

この先を読む読まないに関わらず、忘れないで欲しいことがあります。

あなたは、一人ではありません。

同じ人間が、ここにもいます。



-本記事の内容-

0章:見えない悪魔に取り憑かれた4年間

1章:僕が強迫性障害になった理由

2章:今日もいつもの反省会。同じ思考を繰り返す地獄の時間。

3章:失った時間に後悔し、また苦しむ。

4章:僕の強迫性障害が治った理由

5章:強迫性障害になって良かったこと【経験者だけが得られる5つのメリット】

6章:完治後に見えた世界


※現在、0章〜3章を無料公開しています


僕は4年間、強迫性障害に苦しみました。

誰にも相談できず、ずっと自分の中に閉まっていました。

今、『過去の僕と同じ人生を歩んでいるあなた』へ向けて、

「僕が強迫性障害と共に過ごしてきた人生」と「完治後の僕の人生」

を本記事に集約しました。

4年の歳月を全て書き出しています。そのため「文字数:15,000以上」と、かなりボリュームある記事になっています。休憩を挟みつつ、ゆっくり読んで頂ければ幸いです。


この先の人生で不安を感じたときに、いつでも振り返られるように

「僕の常備薬」として書いた本記事が、

『あなたの常備薬』にもなることを、心から願っております。



-0章-

見えない悪魔に取り憑かれた4年間


朝起きた直後に、毎回思うことがあります。

『よし!今日は悩まずに1日を過ごすぞ!』

そしてその直後に、毎回思うことがあります。

『そういえば、昨日寝る前に気にしてたことって何だっけ?』

本当は考えたくない。でも、考えてしまう。

僕の思考が休まる時間は、

寝ている間と、目が覚めてからの、ほんの1分くらい。

何故なら、一度「不安」が頭をよぎると、離れなくなってしまうから。

僕は4年間、見えない悪魔に取り憑かれていました。


-1章-

僕が強迫性障害になった理由


2017年3月、当時大学3年生だった僕は、就職活動の真っ只中でした。

元々神経質だった僕は、基本的には何でも完璧を目指すタイプの人間でした。

試験前になれば、取りこぼし無いように徹底的に勉強し、

レポートとなれば、誤字脱字が無いよう入念に確認する。

典型的な「完璧主義者」でしたね。

この頃から、無意識に小さな強迫観念を感じていたのかもしれません。

『勉強は確かに面倒くさいけど、赤点になって留年とかになったら嫌だしな...。』

という一見誰にでもありそうな恐怖が、僕の意識を勉強に向けていたのです。

そんな超完璧主義者の僕が挑む就活。

過去の人生を振り返っても例がないくらい、ハードなものでした。

というよりも、自らハードにしていたんですよね。そもそも、僕が試験前に必死に勉強していたのも、レポートを誤字脱字なく完璧に仕上げていたのも、別にその作業が好きだったからではないんです。「ただ後悔したくなかったから」というだけ。『後々苦労して面倒くさいことになるなら、多少辛くても今頑張った方が良くね?』という気持ちが、僕の行動の背景にはありました。今考えると未熟すぎる話ですが、学生時代の僕は『就活は人生最後の勝負だ』と【内定=人生のゴール】と考えていました。それに加えて『就活さえ終わればもう頑張らなくていい。内定さえ貰えれば後は遊ぶだけだ。』と内定獲得後の未来への期待が異常に大きかったんですよね。だからこそ、「後悔したくない」という気持ちがこれまで以上に強くなり、自分を徹底的に追い込むことに繋がっていった訳です。

今考えると、これが強迫性障害に陥った原因でした。

強迫性障害は、過大なストレスが一定期間かかり続けたときに、

ストレスが抑えきれなくなって発症する脳の障害だと言われています。

*強迫性障害には、主に「強迫観念」、「強迫行為」という2つの概念があります。日常のあらゆる局面で感じる「不安」のことを強迫観念。自分を安心させるためにその「不安」を打ち消すためにとる反復行動を強迫行為と言います。


当時の僕の行動を振り返ってみると、今でこそ『異常だったな』と思えるのですが、

次のような行動を毎日繰り返していました。

・家のポストに志望先企業からの重要な書類が届いてないか何度も確認する

・何度も確認している行動を、どこからか志望先企業の関係者に見られているんじゃないかと思い、変に思われて内定に影響が出たらどうしようと不安になる

・志望先企業へのエントリーシートに誤字脱字が無いか異常なまでに確認を繰り返す

当時は『やっぱり神経質だな〜俺』くらいにしか思っていなかったんですよね。

つまり、「就活さえ終われば気楽な生活に戻れる」と、神経質すぎる自分"就活中だけの行動"だと思い、別に気にしていなかった訳です。


ただ、僕の地獄の人生はここからスタートしました。


✔️移り変わる強迫観念【不安は、後を絶たず訪れる】

僕は何かに取り憑かれたように、

「エントリーシートの作り込み」、「入社試験の勉強」、「面接の受け答え練習」を繰り返し、徹底的に自分を追い込んでいました。

強迫性障害の症状だと気づいていなかった当時は、

『自分で追い込んでいるんだから辛いのは当たり前。後少しで解放される。大変だけど、最後まで頑張るぞ!』

と神経質すぎる自分に多少の違和感を感じつつも、「志望先企業の内定獲得」という一点を目指して神経をすり減らす毎日を送っていました。

本当は「強迫観念」という悪魔に「非現実的な妄想」を植え付けられて脳を乗っ取られていたんですよね。自分でも正直『もうこれ以上準備しなくても大丈夫だろ...。』と思っていました。でも、少しでも手を抜くとそれが原因で内定が貰えないんじゃないかと、その後悔を今後の人生でずっと背負っていくことになるんじゃないかと、そんな恐怖に怯えて何度も何度も"同じ確認作業"を繰り返していました。

異常なまでに自分を追い込んだ就職活動。

結果は、幸いにも志望先企業に内定を貰うことが出来ました。

僕は「内定獲得」の事実にホッとしていました。

ただ、このときから、自分の行動に違和感を感じるようになったのです。

就職活動中に僕が何度も繰り返していた「エントリーシートの誤字脱字チェック」、「入社試験の勉強」、「面接の受け答え練習」などの確認作業。

これが内定後には、「入社手続きに関する作業(入社書類への記入作業等)」に対しても同じくらい過剰な確認作業をやるようになっていたのです。

毎日、『何か入社関係の書類が来ていないか?』という不安から何度も郵便受けを確認したり、『提出書類への記入漏れはないか?』という不安から何度も書類を確認したり、終いには『友達とちょっと羽目を外して遊んでいると、その光景を内定先企業の関係者に目撃されて悪い印象を与え、最悪内定取り消しになってしまうんじゃないか?』みたいな不安まで抱えるようになっていました。

そういった行動をしているうちに、

『自分は確かに神経質で完璧主義のところはあるけど、ここまで過剰だったかな?就活の事とはいえ、内定はもう貰っているし、何でこんな不安を抱えながら生活をしているんだ?』

と思うようになっていきました。

僕は、「強迫性障害の恐ろしさ」は、ここにあると考えています。

つまり、

1つの「不安」が通り過ぎても「次の不安」が絶え間なくやってくる

ということです。

当時の僕の場合は、下記①の後に②がやってきたということになります。

① 「内定を獲得するまでの日常」で生まれる不安

② 「内定獲得後から志望先企業に入社するまでの日常」で生まれる不安

①では「何か手を抜いてしまって、それが原因で内定を貰えなかったらどうしよう」という強迫観念が頭を付きまとい、

②では「入社までの期間に何か問題を起こして、内定が取り消しになったらどうしよう」という強迫観念が頭を付きまとっていた訳です。


僕はこのとき既に、

日常のあらゆる場面で不安なイメージが頭に思い浮かび、

それを払いのけるための確認作業を繰り返すループに陥っていました。

一度不安を感じると、何度も思考を巻き戻して、理想的な行動を頭の中で作り上げる。自分が納得するまで反復を繰り返す。そしてその不安が解消しても、何かしらの行動を起こす度にまた次の不安がやってくる。不安は絶え間なく移り変わり、「今」に集中できず、次の行動に進めない。

これが、強迫性障害に取り憑かれた人間だけが知る地獄の時間です。



-2章-

今日もいつもの反省会。同じ思考を繰り返す地獄の時間。

正直、強迫性障害の症状を文章で説明するのは、非常に難しいです。

何故なら、強迫観念の種類は膨大であり、また人によっても様々だからです。

ただ、強迫性障害に苦しんでいるあなたなら、分かるはずです。


僕は、強迫性障害の症状を、次の3つで説明できると考えています。

①日常のあらゆる行動に過剰なリスクをイメージしてしまう

日常生活で何かしらの行動をとるときに、「その行動に伴う非現実的なリスク」が頭の中に沸き起こり、行動することが億劫になってしまう。どうしてもやらざるを得ない行動(生活する上で不可欠な行動等)の時は、"リスクが完全に無いこと"を注意深く確認(例えば、洗濯機にズボンを入れるときに、重要物を一緒に洗濯してしまうんじゃないか?という不安から、ポケットに何も入っていない事を何度も確認するなど)した後でしか実行できない。その結果、自分の中の「正しい順序(完璧な流れ)」を過剰に意識し、1つ1つの行動に時間が掛かる。また、「無意識にとった行動」や「予期せず起きた現象」など、予想外の事象に出くわしたときに、それを「自分の中の完璧とズレた行動」と認識し、非現実的な様々なリスクが頭の中に沸き起こってきてしまう。

②不安を払いのけようとして理想的な行動を何度も作り上げようとする(反芻思考)

何か不安を感じたときに、その"不安のきっかけとなった行動"まで思考を巻き戻し、「自分の中の正しい行動=理想的な行動」を一から構築しようとする。構築し終わると、一旦不安は柔らぐが再び訪れ、また同じ構築をしようとする。この「不安が訪れる→理想的な行動の構築→一旦落ち着く→再度不安が訪れる→再度理想的な行動の構築→・・・」という反芻思考に頭が囚われて、自分を納得させるまで永遠と繰り返す。また、一度納得した後でも、再度不安が訪れることがあります。例えば、何かポジティブなこと(未来で想定される楽しいことなど)が頭に思い浮かんだときに、再度不安が訪れて、そのポジティブな思考が遮られてしまうなどです。

③②の反芻思考に囚われてしまったことを払いのけようとして、反芻思考をしなかった場合の行動(理想的な行動)を頭の中で構築しようとする(反芻思考がきっかけで生まれる不安)

②の反芻思考を何度か繰り返した後に、頭の中で"反芻思考を繰り返す直前"まで時間を巻き戻し、"反芻思考に陥らずに(不安をスルーして)歩めた場合の人生(理想的な行動)"を構築しようとする。この場合にも、構築し終わると一旦落ち着くが、再び反芻思考に対する不安が訪れ、また同じ構築をしようとする。この「反芻思考に対する不安が訪れる→理想的な行動の構築→一旦落ち着く→再度反芻思考に対する不安が訪れる→再度理想的な行動の構築→・・・」という「直前の反芻思考を払いのけようとする反芻思考」に頭が囚われて、自分を納得させるまで永遠と繰り返す。この"反芻思考がきっかけで生まれる不安"は、"反芻思考に囚われていた間にとった行動"に対する恐怖が原因になっていると考えています。つまり、「反芻思考に囚われている間にとった行動=無意識にとった行動」と捉えてしまい『反芻思考に囚われていたが故に、その間にとった行動はそこに意識が集中していなかったかもしれない。その結果、不注意で何か大変なことをしてしまったんじゃないか?』という非現実的な不安が頭の中に思い浮かんでしまうのです。


一般的な人でも、日常生活で何らかの「不安」を感じることはあると思います。

ただ、強迫性障害の場合は、「小さな不安」を「後々自分が後悔しそうな大きな問題」に結びつけてしまいます。

一度頭をよぎった「不安」を無視できず、長い時間頭から離れません。

そして、その「不安」を払いのけようと、何度も何度も"自分を安心させるための反芻思考"を繰り返してしまうのです。

本当に精神を疲弊するんですよね。

理性では、大丈夫だと分かっていても、『万が一...。』という「不安」が消えない。

だからこそ、起きている間は常に、同じ思考を繰り返す反省会

過去の行動に囚われて、頭の中の時計は止まってしまう。

思考と行動が乖離して、「心ここに在らず」の毎日を過ごす4年間でした。


-3章-

失った時間に後悔し、また苦しむ。

強迫性障害の苦しさは、"強迫性障害による反芻思考"だけではありません。

何故なら、強迫性障害により引き起こされる「反芻思考」が「無意味」であることを、自分自身が一番理解しているからです。

『悩んでも仕方ない』、『本当に馬鹿馬鹿しい』

と分かっているからこそ、ふと冷静になったときに、

『反芻思考に囚われて、時間を無駄にしちゃったな..。』、『あのとき、不安を無視して目の前の作業に集中できていたら、もっと良い人生になっていたかもしれない。』

と、取り戻せない過去の時間を悔やむのです。

実際には、頭の中で不安を抱えつつも、体は行動しているので、別に時間を無駄にした訳ではないんです。

それでも、強迫性障害の人は、「自分が強迫性障害じゃなかった場合の人生」を頭の中で作り上げようとしてしまうのです。

『自分は普通の人とは違って、強迫性障害という"マイナス要素"を抱えているんだから、何かしら損をしているに違いない。』
『強迫性障害じゃなければ、自分はもっと優れていたはずだ』

という"根拠の無い思い込み"から、強迫性障害に囚われていた過去を後悔してしまうのです。


だからこそ、

あのときもっと、目の前の作業に集中できていればな、、、。

「理想的な人生を歩めなかった自分」を後悔する。

その度に、

『いや、あの反芻思考があったからこそ、何も問題を起こさずに今を過ごせているんだ。だから反芻思考は大事だったんだ。』

「強迫性障害である自分」を、無理やり正当化しようとする。

そんな【後悔⇄正当化】の行ったり来たりを、何度も繰り返すのです。


不安を感じたときは、その不安を払いのけようと反芻思考に陥り、

不安を感じていないときは、「反芻思考に陥っていた過去の自分」を後悔して、その後悔を払いのけようと、また反芻思考に陥る。

頭が休まるのは、寝ている間くらい。

これが、強迫性障害を患った人が過ごす日常なのです。


-4章-

僕の強迫性障害が治った理由

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