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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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2023年2月の記事一覧

「投げやり」にさえならなければすべては

「投げやり」にさえならなければすべては

「難」も「不運」も、ちゃんとどこかで役立つ「教材」にはなるのならば、人生にきっと「無駄」はないのだ。

――と、思っておくほうが、やはり得なのだと思う。

「今がんばっていること」は、最終的に、「特定の結果」には、全く繋がらないかもしれない。

けれど、直接的な「結果」が何も得られなかったとしても。

その「過程」で培った力こそが、自分だけが持つことのできる「オリジナルな力」になるわけだ。
――最

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損を損のままにしたら本当に損になるだけだし

損を損のままにしたら本当に損になるだけだし

とは、樹木希林さんの言葉である。

深く頷くと同時に。

「難」をそういうふうに捉えて、意識的にでも「自分が成熟するための材料」にしていかないと、それは「ただの災難」「悪運」でしかなく――つまりは「損」のまま終わってしまうわけだから。

そこはやはり「自分次第」なのか。

そういうことならば。
意地でもそれを「栄養」「教材」にしてやるからな!

――なんていうふうに、「ドケチ」な私は思うわけである

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ふと思い出した「壊れかけのテレビ」の話

ふと思い出した「壊れかけのテレビ」の話

またまた、私が幼少の頃の昔話で恐縮なのですが。

――まだ、ブラウン管だった時代の、テレビの話。

「もう長く使って、そろそろ映りも悪くなってきたので、買い換えようかね?」
という話が、家族間ででると、その度に。

まるでそれを耳にしたかのように、不思議と、そのテレビの映りが良くなる、(とはいえ、ほんの数週間の一時的なものだが、それでも)そういことが、一度ではなく、何回か繰り返されたことがあり。

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降る雪が、私のために。

降る雪が、私のために。

昨日の記事の最後を、

と、私は締めたのだが。

解っている。

雪は、心など持たない。

そして世界は、別に、意識を持たないし、したがって、「私を慰めようとしてくれている」なんていうのは、所詮、勘違いだ。

――と、これまでは思っていたのだが。

自分の身体の一部が傷つけば――たとえば、指先を少し切ってしまったとして――「私本体」は、それを「痛い」と感じるわけである。

最近の私は、「個別の生物

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「静める」そして「美しいものを眺める」

「静める」そして「美しいものを眺める」

自分なりに何とか、自分の気持ちくらい自分で、「明るく楽しく爽やかに!」なんて心掛けてやっていこうとしているというのに。

外側からいろいろと――そう、次から次へと、「鬱々としたこと」が入ってくるのである。

「仕方ないこと」もあれば。
「仕方なくない!ということ」(つまり「人為的なこと」と言えばいいのか)もあって。
――そっちについては、わざわざこちらも怖い顔を作ってファイティングポーズをとらなく

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「最後まで使い切る」なり「借り物だからちゃんと返す」なり

「最後まで使い切る」なり「借り物だからちゃんと返す」なり

「かつては人がいたのに、人がいなくなった後、荒んでいく場所」って。
――立ち入っただけで、何だか重たくって、どこか少ーし、胸が痛む感じすらしてきてしまう。

そこに流れる「時間」までもが、(その外部とは同じ時間が流れているはずなのに、)「世界とは切り離された」「打ち捨てられた」感じまでもまたしてきてしまう。

そもそも。

元から人が、立ち入ったり手を入れたりすることが一度もなかった山林や荒野は、

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「自分が変わった」ことには案外気づきにくい

「自分が変わった」ことには案外気づきにくい

たとえば。――あくまで一例だが。

前は許せたことが、許せなくなった、とか。
逆に、前は許せなかったことが、許せるようになった、とか。

これらは、「気づかぬうちに、でもいくらでも当たり前に起こり得る変化」のはずだと思うのだが。

しかし、人の気持ちの「慣性の法則」というか、「私はその方向に動くはずのものなんだから、私はその方向に動く」みたいな所謂「思いこみ」で、「条件反射的に」動いていることって

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「感情」と「時間」の無駄遣いこそ「罪」だ

「感情」と「時間」の無駄遣いこそ「罪」だ

「嫌だ」と思う人や場所から、そう感じたらその都度、さっさと離れてしまえれば、それに越したことはないのでしょうが。
――生活もあるし、そうもいきませんよね?(笑)

とはいえ。

昨日お話ししたように、怒りで睡眠不足とか、そういう「エネルギーを、正しく循環できていない、本来使うべきところに使えていない」というのは、やはり「原罪」――「神に背く罪」だが「人間が宿命的根源的に負う罪」という意味で、あるい

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「怒り」のエネルギーって物凄いよな(笑)

「怒り」のエネルギーって物凄いよな(笑)

先日、「怒り」が収まらなくて、一晩中、一睡もできないのではないかというようなことがあった。
――延々とエンドレスに、沸々と湧き出してくるから、驚いた。
(それにしたって止まらな過ぎて「どんだけの湧出量を誇ってんだよ!「怒り」の名湯、名だたる温泉地か!」っていいかげん眠れない自分にしょーもないツッコミをいれたわ。笑)

「ああ、これは、これまでに既に、数年に渡って腹の底に溜まり続けてはいて、でもそこ

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「こう動こうと思えば動けたのに動かなかった後悔」

「こう動こうと思えば動けたのに動かなかった後悔」

未来についての「たら・れば」は、今後は一切ナシだな、と、思っている。
――それこそ「神のみぞ知る」の世界だからだ。

しかし、過去を振り返って、(それを行った結果がどうなったかはわからないにせよ、)「こう動こうと思えば動けたのに」とか、「試そうとすればできたのに」とか、そういった、「実際にそれをしなかった後悔」というのは、今後は少なくしたいな、とも私は考えている。

――それは、自分自身が、「する

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「いつか書けなくなる日」のために

「いつか書けなくなる日」のために

「もういい加減、書くことについて、自分の中にあるものを、出せるだけ全部出し切ってしまいたい」
という気持ちがどこかにある。

「書くこと」が、大好きな自分ではあるのだ。

しかし、「もうこれ以上はどうしても何も書けない」という「限界」「空っぽ」を迎えたいような気持ちも、自分の中のどこかにある気がしている。

「大好きなこと」だからこそ、「どこかであきらめてラクになりたい」みたいな気持ちが、正直、少

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「永遠」に見えたのは、いつでも「一瞬」なのだ

「永遠」に見えたのは、いつでも「一瞬」なのだ

「望むことはただ一つ、こうしてただただ、何かしらを言葉で表すことを、生きている間は続けていけたらいいなあ。」

――という、それだけの願いが叶えられなくなる日も、いずれかは、来るのであろうか?

でも、あえて、「それならそれで、仕方なかろう」と、思うようにはしていたい、と思う。

そう思えばこそ、「こうして書ける今日という日」を、それだけで、「ありがたくてありがたくて仕方ない日」として、感じること

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「大丈夫」の効用

「大丈夫」の効用

一昨日のこちらの話の、後日談とも言えるかもしれない。

私はそもそも、自分の「心配事」などを、他人様に話すのが、少々苦手だ。

――しかし、そういうことって、「ただ話すだけ」でも、ちょっと心が軽くなったりするものだよな、ということには、反面、前々から気づいてもいた。
(それでも、何となくそういう自分の話題は、いまだに話すのを躊躇してしまいがちなのだが。)

それは別に「相談」でなくていいのだ。

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「食べものが喉を通らなくなる」ほどデリケートではないけれど

「食べものが喉を通らなくなる」ほどデリケートではないけれど

ちょっと前の出来事である。

職場の食事休憩前に、(個人的なものであるが、)「大変心配なニュース」を耳にすることとなった。

すると、持参していた御飯を、食べたくなくなってしまった。

――これは、「私みたいな者にとっては」、大変に驚くべき事態である。

タイトル通り、それで「食事が喉を通らなくなる」ほど、私は繊細な人間ではない。

が、しかし「味がしない」とは、このことか、と。
――うん、気持ち

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