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「自分が変わった」ことには案外気づきにくい
たとえば。――あくまで一例だが。
前は許せたことが、許せなくなった、とか。
逆に、前は許せなかったことが、許せるようになった、とか。
これらは、「気づかぬうちに、でもいくらでも当たり前に起こり得る変化」のはずだと思うのだが。
しかし、人の気持ちの「慣性の法則」というか、「私はその方向に動くはずのものなんだから、私はその方向に動く」みたいな所謂「思いこみ」で、「条件反射的に」動いていることって、結構あるのかもしれない。
つまり、自分自身の「価値観」や「感覚的なもの」などの、その「視覚情報で確認することができない変化」というのは、あっても案外、気づきにくいものなのだよなあ、と。
で、だからこそ、「これまでのやり方」に、「習慣的に」こだわってしまったりもするのだよなあ、と。
(「変化してからそれに気づくまでに長めの時間差が生じる」ということもありうる。
――その気づくまでの期間は、その「よくわからぬ違和感」で、しばらく「何かモヤモヤ」したりして。)
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あくまで傾向としてだが、そして、かなり大雑把に、俯瞰して、言えばだが。
そもそも、「人はそんなに変わらない」ものだとは思う。
が、しかし反面。
「どの部分をとっても、何一つも変化しない」という人も、あるいはいないのである。
「無意味なこだわり」は、無意味だからこそ特に、自分でも気づきにくくなったりもし得るものかとも思うので。
「自分も、実は、気づかぬうちに案外変わっていくものなのだ」というのは、常に念頭に置いておくのが、いいのかもしれない。
柔軟な心で、素直に、「その時どきの、自分の心の声に、その都度、」耳を傾けるようにしよう。
――そんなことまでをいちいちできるのは、概して、自分だけなのだから。
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