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「感情」と「時間」の無駄遣いこそ「罪」だ
「嫌だ」と思う人や場所から、そう感じたらその都度、さっさと離れてしまえれば、それに越したことはないのでしょうが。
――生活もあるし、そうもいきませんよね?(笑)
とはいえ。
昨日お話ししたように、怒りで睡眠不足とか、そういう「エネルギーを、正しく循環できていない、本来使うべきところに使えていない」というのは、やはり「原罪」――「神に背く罪」だが「人間が宿命的根源的に負う罪」という意味で、あるいはその「罰」も含めて――くらいに、悪いことなのでは?なんて思う。
早い話が。
これは「せっかく賜ったものを、ドブに捨てるような行為」であるからして。
つまり、無限ではけっしてない、自分に与えられた折角のその時間やエネルギーを、「こんなことのために使っていていいのか?」ということである。
――悪いウイルスのように、「負」の空気を、人からもらったからといって、それを自分の内側で増殖させてどうする?
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「原罪の種」を受け取ってしまったのなら。
――「これは試されているのだ」と思うしかない。
「悪い感情」のその「増幅器」みたいになっていて、本当に自分自身は満足なのか?
――その「悪い感情」の「毒」で、「自家中毒」になって、一人でくたばってしまうだけなら、まだいいのだけれど。
だいたいその毒って、自分で膨らませた挙句に、今度は「まったく関係ない人々」のところに、いずれそのうち、うっかり流出させかねなかったりもするわけだ。
(ホント、悪いウイルスみたいだよな、これって。)
――そこには「時間差」が生じることもあり、つまり「長きに渡って毒まみれ」なんてことにもなりかねない。
(数年、数十年後ということも、いくらだってあり得る。)
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まず真っ先に問われているのは、少なくとも、自分自身の「感情」を、ここからどう引っ張っていけるのか?ということなのだろう。
――「いやさ?お前、ホントにそんな気持ちのまんまで、限られた人生の時間に毒みたいな色を塗りつぶし続けていて、満足なの?」ということだ。
私はそうでなくても「ドケチ」なので、とにかく「無駄遣い」は嫌いだ。
特に、「時間」とか、「心」とか、そういうものの無駄遣いは許せない。
――言うまでもなく、他人様はともかく「自分がそれをやらかす」のが、一番許しがたい。
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「毒がある」と一度知ったなら、そのキノコや実を、私達は食べないし、触れもしないはずだ。
「人」も、それと同じだと思えばいい。
しかし、冒頭に戻るが、「パッと離れる」がどうしてもできない場合は、「毒になるもの」は、「意識の上で、切り離す」。
「安らかな世界」は、自分の意識上で、なんとかするしかないのかあ。
――うーん、修行だ。
私達は、試され続けているのだなあ。
でも、その修行をしくじった者が、たとえば、(話が急に大きくなるが、)(でも、事実として、)戦争を起こしたりするような気すら、私はするので。
――うん、「戦争をしてしまえ!」という思考回路は、絶対、何らかの「毒」に冒されてそれを(場合によっては長い期間に渡り)増幅させ続けてきた人のものだと私は思う。
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自分の体内に入ってしまった「毒」を、増幅させ続けて、「最大の無駄・無意味」に、人生の時間を費やしてしまわぬよう。
意識を、研ぎ澄ませていこうと思う。
―――うーーーん。
修行だなあああ。(しつこい!笑)
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※昨日の記事のフォローをこっちでするのも何なのだが。
やはり、「怒りで睡眠不足」なんてことをしていると、その「感情の爆発」が少しずつ収まってきた頃に、身体のほうに徐々にその「ツケ」が来たりするので。
「安らかな気持ち」は、なんとか早めに取り戻せるようにしたほうがいい、と、つくづく実感しています。
――「感情的な怒り」の長期化には、全くいい部分が何もないです。
いや、自分は、元来が身体も丈夫だし神経も太いので(笑)これくらいで済んだけど、それでも、やはり時間差で、いろいろ身体のほうに変調をきたしたりもするので。(今はもう何ともないですけどね!)