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【分野別音楽史】#05-1「ラテン音楽史」(序論・『ハバネラ』の発生)

音楽史note[Junya]

『分野別音楽史』のシリーズです。
良ければ是非シリーズ通してお読みください。

本シリーズのここまでの記事

#01-1「クラシック史」 (基本編)
#01-2「クラシック史」 (捉えなおし・前編)
#01-3「クラシック史」 (捉えなおし・中編)
#01-4「クラシック史」 (捉えなおし・後編)
#01-5 クラシックと関連したヨーロッパ音楽のもう1つの系譜
#02 「吹奏楽史」
#03-1 イギリスの大衆音楽史・ミュージックホールの系譜
#03-2 アメリカ民謡と劇場音楽・ミンストレルショーの系譜
#03-3 「ミュージカル史」
#04「映画音楽史」

こんにちのラテン音楽の発祥は「西洋音楽と黒人音楽の融合」と説明されることが多いですが、言葉上でそう説明されても、実感としてなかなかわかりにくい部分だったと思います。

ざっくり「西洋音楽」と呼ばれている音楽の「どのような部分」が黒人音楽と「融合」していったのか。つまり、クラシック時代の「民族舞踏」までを視野に入れることで解像度を高く認識できる、という考えのもとでクラシック史の地点からもラテン音楽への関わりや発展についてたびたび示唆してきました。(→記事

改めて今回からは「ラテン音楽史」として、まとめなおしていきたいと思います。


過去記事には クラシック史とポピュラー史を一つにつなげた図解年表をPDFで配布していたり、ジャンルごとではなくジャンルを横断して同時代ごとに記事を書いた「メタ音楽史」の記事シリーズなどもあるので、そちらも良ければチェックしてみてくださいね。


◉もともとの「ラテン」のルーツ

そもそも「ラテン」というのは、古代ヨーロッパ文明において、イタリア・ローマの南東にあったラティウムという地方に由来します。ラティウムではラテン人たちがラテン語を話していました。やがて、古代ローマにおいてラテン語が公用語となるなど、ヨーロッパ大陸からアフリカ北部に至るまでの巨大なラテン文化圏が形成されていきました。

東西ローマの分裂後、東側ではギリシャ語が優勢となりますが、西側ではラテン語が使われ、ゲルマン民族侵入によって西ローマ帝国が滅亡した後も、勢力を伸ばしたキリスト教会を通してラテン語はカトリック教会の公用語となります。

一方でスペイン語、ポルトガル語、フランス語などがラテン語から独自に発達し、これらの文化圏の人々は大きくラテン民族とされます。

そして大航海時代になり、スペインポルトガルが中南米へ侵略・進出したことから、中南米がラテン民族化したのでした。さらにそこへアフリカから黒人奴隷が連行され投入されていったのはご存知の通りの闇深い史実です。

さて、広義の「ラテン音楽」は、ヨーロッパのラテン民族国家の音楽も含みますが、狭義としては通常、「ラテンアメリカ(中南米)音楽」のことを指します。そしてこれが、「宗主国(ヨーロッパ)」と「地元の音楽」と「アフリカの音楽」が混ざって発展したものだと考えられているのです。

クラシック音楽史に立ち返ってみると、その視点はドイツ・ゲルマン民族の視点で切り取られたものでした。そのようなドイツ美学的「ヨーロッパ音楽」ではなく、ラテン音楽史を考える上では、ヨーロッパのラテン民族における舞踏などの土着音楽(スペインフラメンコボレロパソドブレなど)などに目を向けたほうがルーツとしてわかりやすいかと思います。

さらに、クラシック音楽であっても、ベートーヴェンやワーグナー的な、「真面目な芸術作品」志向の部分ではなく、ワルツポルカなどの「都市の流行音楽」の部分をきちんと認識することで、ラテン音楽への系譜を認識しやすくなります。


◉音楽史上の静かな大革命。「ハバネラ」の誕生

こんにちの狭義の「ラテン音楽」の直接的な源流を、いては、こんにちの消費社会における意味での「ポピュラー音楽」の直接的な源流としても、19世紀半ばにキューバ・ハバナからスペインを経由して世界的に流行した、「ハバネラ」という音楽の発生にそれを見出すことができます。

一般的には20世紀初頭に世界的に伝播したジャズやブルースが現在のポピュラー音楽史の直接的なスタートだと見られがちですが、それよりも前に、19世紀後半のカリブ海において、ポピュラー音楽の世界化の胎動が起こっていた、という指摘があるのです。

※ジャズの発祥地ニューオーリンズは「アメリカ南部」と通常は表現されますが、実は「ラテンアメリカ圏の北部」と捉える見方も出現しています。キューバのハバナニューオーリンズはメキシコ湾を挟んで対岸の、どちらもヨーロッパ諸国にとって歴史的に重要な港町であり、関連が深いのです。リズムの面でも共通点が見られるなど、実はジャズの誕生に大きな影響を与えたルーツの音楽として、キューバン・ラテン音楽が見過ごせなくなってきています。

長らくスペインの支配が続いていたキューバでは、18世紀の頃からスペインやフランスの踊り(コントラダンス)が伝わっていました。そこに、アフリカから連行された黒人達の踊りが融合し、さまざまなリズムパターンがうまれたと言われます。その流れで誕生したリズムの1つがハバネラであり、以下のような、二小節毎に跳ねる軽快な二拍子の音楽です。

ハバネラのリズム


スペイン人の作曲家 セバスティアン・イラディエル(1809~1865)は、若いころから精力的に各地を旅行し、キューバにも数年間住んだことがありました。そして1850年代にハバネラのリズムを用いて『ラ・パローマ』という楽曲を産み出しました。1859年にマドリードで楽譜が出版されたこの楽曲はヨーロッパ各地やアメリカへまで伝播し、広く親しまれます。

楽譜出版ビジネスが音楽の潮流に作用していき重要視されたアメリカと違い、スペインにおいては楽譜の売り上げについてよく分かっていません。しかし、そのほかの口伝的な民謡や舞踏と同じように、耳から耳へと広まっていったのではないか、と考えられています。

『ラ・パローマ』の大流行に伴って、ハバネラのリズムは世界へ広まっていきました。キューバ音楽の発展の原点となったことはもちろん、アルゼンチンではタンゴに繋がる系譜となります。

19世紀末に蓄音機が誕生し、レコードビジネスが開始すると、すぐに各国の一流楽団や歌手によって『ラ・パローマ』が次々に吹き込まれました。アメリカのマーチの王・スーザのバンドもこの曲を録音しています。

さて、イラディエルは、1864年に『エル・アレグリート』という曲も発表しましたが、こちらのメロディーは、クラシック作曲家のビゼーがオペラ『カルメン』に借用したため、クラシック作品の「カルメンのハバネラ」として広く知られてしまっています。

さらに、19世紀末~20世紀初頭にイタリア・ナポリで発生したカンツォーネ・ナポリターナ(ナポリ歌謡)という流行歌の中でも、有名な『オーソレ・ミオ』においてハバネラのリズムが見られるなど、このリズムが世界的に伝播していったことが見受けられます。

このあたりに着目すると、まさにクラシックとポピュラー音楽の分岐点を垣間見ることができるでしょう。


◉様々なリズムパターンの発生へ

ハバネラのリズムが発生し、キューバではここから、キューバ音楽の根幹をなす様々なリズムパターンの発生へと繋がっていきます。

ハバネラのリズムの二拍目の頭を無くし、シンコペーションにしたものはトレシージョ(Tresillo)と呼ばれます。

トレシージョ(Tresillo)のリズム


ハバネラやトレシージョは、もともとアフリカの3拍子・3連符系のリズムと、ヨーロッパの2拍子のリズムが融合することで産まれたと考えられています。西アフリカでは、くわを打ち付けて3連符系のリズムが奏でられていたとされます。

三連符との関係性


同じようにして生まれたのが、クラーベというリズムです。

3-2 クラーベ


クラーベも、3連符のリズムと2拍子のリズムが重なることで発生したと考えられています。

クラーベのリズムは、ルンバ、マンボ、サルサなどその後のキューバ音楽に通底する基幹のリズムパターンとなっていきます。

さらに、ハバネラやクラーベのリズムはニューオーリンズジャズにおける重要なリズムパターンである「セカンドライン」への影響も指摘されています。

さらに、時代を進めると、ファンクのドラムビートのリズムなどにもその要素が確認できます。

21世紀の現在では、ヒップホップやクラブミュージックとして流行しているレゲトンのリズムやトロピカルハウスといった音楽にまで、このようなリズムが確認できます。


このように、ハバネラやトレシージョ、クラーベといったキューバのリズムは、様々なジャンルのリズムの源流となっている、ポピュラー音楽史上最も重要なリズムパターンであるのです。

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