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懐かしい時間、懐かしい場所のこと。

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記憶の中にある故郷。
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彼方へ。

彼方へ。

新幹線の雨は横に降る。
そんなことを久しく忘れていた。
ペンで描いたような雨粒が何本も、窓越しに進行方向から後方へと流れていく。

いつの間にか、車内をガタガタとワゴンとともに練り歩く彼女たちの姿はなくなっていた。
切符を拝見、と見回る車掌さんは、警備員さんに変わって。
そういえばいつだったか、あの固い固いアイスクリームを車内で口にすることはできなくなったと聞いた。

幼い頃、東から西へと向かう新

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砂糖の山と、船の灯りと。

砂糖の山と、船の灯りと。

学生の頃、和菓子屋でアルバイトをしていたことがある。
ちょっとした手土産用の饅頭や、ケーキ類の洋菓子まで揃う、地元密着型の店。
季節ごとの行事や、四季折々の菓子を見ているのは楽しかったし、毎日怒涛の客波がやってくる居酒屋よりも性に合っていたのだと思う。
結局、学生生活が終わるまで、お世話になった。

菓子にはその土地の個性が見える。
地元民ではないせいか、店で垣間見た風習はどれも新鮮で。
生後数ヶ

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からっぽのマーガリン。

からっぽのマーガリン。

誰かが亡くなったあとの時間というのは、どんなに大切だった人でも、次第に曖昧になっていくような気がする。
母方の祖母が亡くなってから、もう何年過ぎただろうか。
お盆に入ろうかという頃、眠るように逝ってしまった。

まだ私がこの街にひとりで暮らしはじめた頃、祖母の様子を見に立ち寄ることがよくあった。
その頃の祖母はまだ自分で台所に立っていて、夏はトウガラシやナスを炊いたり、冬は鰤大根なんかをつくって、

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ガラス越しの花

ガラス越しの花

テレビ画面の夜空に、花火が打ち上がる。
背景には花火に負けず劣らずの見事な夜景。
時折、きらきらと弾ける火花すら街灯りに取り込まれてしまう。
もったいないなぁ。
そんなことを思いながら、幼い日に見た大輪の花が甦る。

故郷の花火大会は十月か十一月だったか。
もうすぐ冬がやってこようかという季節。
父の車に温かいお茶、おにぎり、剥いたリンゴ、そして毛布を積み込んで家族揃って出かけた。

堤防のような

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ちいさなまつり。

ちいさなまつり。

この街にはあちらこちらにお地蔵さまの祠がある。
手を合わせるほど熱心ではないけれど、なんとなく会釈をしてしまうのは、幼い頃に親しんだ癖だろうか。

夏休み、祖母の家に来るとかならずセットになっていたのが地蔵盆。
近所の住人たちが集まり、町内のお地蔵さまのまわりでちいさなお祭りをする。
大縄跳びほどの長さはありそうな大数珠を、子どもたちが輪になって繰る。
ひとつの珠が野球ボールほどある数珠は、右から

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彼らのいた場所。

彼らのいた場所。

子どもの頃、近所に「うなぎや」という青果店があった。
なぜ「くだもの」なのに「うなぎ」なのか、子ども心に不思議だったけれど。
平屋造りの店には、果物の段ボールがところ狭しと積まれ、いつもどこか青いような甘いような香りが漂っていた。

メロンの時期になると、地方の知人に贈るため、母はよく足を運んでいた。
小学生だった私は、母によくついて行った記憶がある。

調べてみたら、今も営業されているらしい。

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波鏡

波鏡

ツバメはいつのまにか旅立っていた。
百日紅が咲きはじめた。
蝉の声はもうすっかり最大値に近づいている。
今年もこれといった夏らしい予定はないけれど、海が見たいと思うときがある。
きらきらと波打つ水を。

私の育った町は海から遠く、水辺といえばちいさな池と水路のような川が流れるくらいだった。
高校の頃、必修単位として四キロ遠泳という謎の校外学習があり、学年全員揃って隣県の海に赴いたことがある。
泳げ

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ささやかなるショートフィルム

ささやかなるショートフィルム

時々、SNSのタイムラインに流れてくる知人たちの動画がとても好きだ。
なんということもなく、車窓からの景色をそのまま写した映像。
その時その町の空、知っているようで知らない家々、田畑、駅、山里。
そういうものが、電車の揺れる音と共に、右から左、左から右へと移り変わっていく。

私はあまり旅をしない。
けれど郷愁に満ちた車窓の風景というのは、いつまでも見ていたくなる。
子どもの頃、何度も乗った東から

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もうひとつの夏

もうひとつの夏

ラジオを聞いていたら、水族館が閉園したという話題が流れていた。
幼い頃、父と、父方の祖父と行ったことのある場所だった。
残念なことに、どんなところだったか、まったく思い出せない。
その時の記憶に残っているのは、水族館の側に広がっていた浜辺で、祖父と間違えて見ず知らずの人に声をかけてしまったことくらい。

祖父は快活な人だったけれど、私にはとても厳しい人に見えて。
正直言うと、子どもの頃はすこし苦手

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穴の痕

穴の痕

同級生の訃報があり、長らく物入れの底に眠っていた卒業アルバムを開いてみた。

あの頃の自分は、あまり人を見ていなかったと思う。
正直、あまりよく覚えていないことも多い。
今になって友人の話に、そうだっけ?というときがある
楽しかったこともそこそこはあった気はする。
そしてやんわりと、はやく規則的な学生時代が終わることを願っていた。

いったい何を見ていたのだろう。
おそらく、自分が乗っかったレール

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a secret base

a secret base

子どもの頃、秘密基地ごっこが好きだった。
木の繁みや大きな木の上、押入れの隅、階段の裏。
狭くてすこし薄暗い。
そんな隠れ家から見た外の世界は、不思議といつもより何かが起きそうな気配に満ちていた。

誰も知らないこっそりした場所は、誰かと暮らしていればなおさら、必要なものかもしれない。
近頃は家でもすっかりオープンスペースで仕事をするようになってしまった。
しかし、常々なんだかしっくりこないのであ

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窓辺の旅

窓辺の旅

何も大それたことじゃない。
それでも、決して叶うことはない。
そういう願いも幾つかある。

旅に出ない理由は以前書いたけれど。

いつか暮らした町をまた訪れてみたいとは思う。
かつて住んでいた場所にもう一度。
たとえば、あるひとつの瞬間だけでもいい。

子どもの頃住んでいた家。
自分の部屋から眺めた、やわらかな雨が降る庭。

はじめてひとりで暮らしたちいさなアパート。
ベランダ越しに見た花火大会。

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扉はいつのまにかハリボテになっていた。

扉はいつのまにかハリボテになっていた。

今でこそ、道ゆく犬はカラフルなリードに繋がれた飼い犬と決まっている。
けれども私が子どもの頃は、それこそ、学校の帰り道や遊び場に野良犬が現れる、なんてことは日常茶飯事だった。

それでいて、野良犬というのは幼い子どもにとって大層な脅威で。
なにしろ走って逃げようものなら、かならず追いかけてくる。
目を合わせたが最後、ロックオンである。
五十メートルほど先に野良犬が見えると、時間ロスを覚悟で気配を殺

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流転するパズルピース

流転するパズルピース

八重洲ブックセンターが閉店した、というニュースを観た。

子どもの頃は長期休みになると祖母の家に行くのが恒例だった。
常磐線を上野で乗り換え、東京駅で新幹線。
ちいさな旅はどれだけ車窓を見慣れても飽きることはなかった。

楽しかった休みが終わり、東京から自宅へ帰るときは決まって高速バスで。
八重洲南口からバスに乗り、窓からぼんやりと眺めた景色にはいつも「八重洲ブックセンター」という文字が浮かんでい

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