時空の直観を議論の前提にしながら殆どの哲学者/哲学研究者がそれに無自覚なのは驚きです。最先端物理学(量子重力理論)では時空を理論の背景/前提にできるかどうかが究極の問題になっているのと際立って対照的です。多分殆どの哲学研究者はこれの意味することを理解すること自体難しいと思います。
現在『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』 の「上巻」「EpilogueⅠ――<私>は<0>と《私》/《1》の<狭間>で不断に振動している」のプロローグ的記述を完了。
純粋理性批判の『空間について』を読んでいた。 空間とは経験以前に本質的に備わった人間の直観(直ちに理解できる感覚)だと言う。なるほど。 ではその直観する能力に個人差があるように見えるのはなぜだろう。目の見えない方は事物をどう直観しているのだろう。 謎が謎を呼ぶが、興味深い論題だ。
拙稿『形而上学 <私>は0と1の<狭間>で不断に振動している』「上巻」の執筆作業は概ね完了した。なお、最終的な叙述構造は6/23のnote記事にアップしている。
カントの『経験的な判断は全て総合的な判断である』で、 「例えば経験によって自分の内にある新たな個性を認識する時があるけど、それは経験の成す分析的な判断では…?」と思ってしまった。 だけど、その後の幾何学の判断の例を見て、実はそれも結局総合的な判断だと分かった。 コメント欄に続く
拙稿『形而上学 〈私〉は0と1の〈狭間〉で不断に振動している』「上巻」である程度以上の分量で主題的に論じている哲学者を絞り込めば、カント、永井 均、入不二基義、アリストテレス、道元、デカルト、大森荘蔵、クリプキ、清水将吾になる。
『純粋理性批判』を読んでいる。 一つ一つの文は分かるけれど、『段落→節→章』と括りが大きくなるにつれて、何を主張したいのか分かりにくくなる。 難解な哲学書や小説あるあるだね。 重要な用語とその意味をノートに纏めながら読む必要がありそうだ。面倒だがやりがいはあるかもしれない。
『純粋理性批判』カント (中山元 訳)を読みたいと思っている。分かりやすい訳らしい。哲学書入門者の僕でも読めるかもと期待している。 僕は新潮文庫至上主義者(哲学書は岩波文庫)だが、ここは柔軟にいこうと思う。かけらでも理解できたらいいな。
哲学における純粋とはどういう意味だろうか? 皆さんもよく知っているカントの「純粋」理性批判 対義語を考える 不純な理性? 笑 応用理性? 純粋数学と応用数学のイメージ。 三つ目が浮かばない。 カントは、経験的なものを含まない認識を純粋認識としている。 カント読む?